第3話 竹下家母と僕。

「ピ〜ンポ〜ン♪」




 ある日の昼下がり、笹川家のインターホンが鳴った。




「はいは〜い」




 上下に灰色のスウェット姿のナオトが、腹をボリボリとかきながら玄関へと向かう。




「ナオトく~~ん、今日もよろしくね~~~」


「こちらこそよろしくお願いします」




 現れたのは置物のように表情の変化が見られない相変わらず無表情を決め込んだ幼稚園児と、こちらも相変わらず二ヘラ~とした顔でクネクネし続けているスーツ姿の女性。ヒロトの母親だ。




「だだいま」




 ボソッとそう言い放ち笹川家に上り込むヒロト。


 ヒロトの偉いところはボソッとではあるものの呟いているわけではなく、一応相手に聞こえるように言っているところだ。きっと彼自身礼儀のようなものを意識してのことであろう。




(まあ幼稚園児ならもっと元気いっぱいに飛び込んできてくれてもいいんだけどね.......!!)




 などと心の中で思ってはいるものの、決して口にはしないナオト。もしそのようなことをすれば飛んでくる物は分厚く硬い辞書という鈍器だとわかっているためである。




 そして玄関の段差を登ったヒロトは、自分の靴を揃えるついでに脱ぎっぱなしのナオトの靴まで揃えた後スタスタとリビングに向かって行った。




「いつもごめんね〜、あの子相変わらずでしょう?」




 頬に手をあてながらそう言った竹下家母は、クネクネを続けている。そして二ヘラ~っとしている。なぜこの母親からあの置物フェイスボーイが生まれてきたのか。いや、置物フェイスと言ってしまっては置物に失礼かもしれない。置物であってももう少し表情に特徴がある。お好み焼き屋の入り口にいるあのアホ顔たぬきさんを少しは見習ってほしいものだ。




「いやぁ、ヒロト君は本当に手がかからないのでお母さんが謝ることなんてないですよ.....ははっ........」




 そう若干うつむきながら言ったナオトの顔は、失望と言う名の諦めフェイスをしている。




「そうだといいんだけどね~、あの子、普段お留守番中はどんなことをしてるのか聞いても全然教えてくれなくって.....」




 それもそうだろう、していることと言えばブロックで遊んでいるか、ソファに座ってボーっとしているか、ほとんどないが極稀にテレビゲームをしているぐらいである。




「どう?ヒロトはちゃんといい子にしてる?」


「ええ、とってもいい子にしてまっ.....」




 『いい子』と聞いて普段のヒロトを思い浮かべてみると、これと言って問題もなければ手をかけさせてすらくれないのだが、あることが思い出されて言葉が止まる。




「どうしたの?もしかしてヒロトが何かしちゃったの...!?」




 ナオトが喋るのを止めてしまったせいで、自分の知らない息子の一面があるのではと焦りだしとても心配そうになってしまった竹下家母。




「いえいえ、とんでもない!!......ヒロトの悪口をこっそりご報告しようと思ったんですけどあまりにも浮かばないもので少し考え込んでしまいました....!!」




 竹下家母の様子を見て瞬時に機転を利かせ冗談を言いつつ必死にフォローに回るナオト。それもそうだ、ナオトの頭に浮かんできたヒロトの様子とは普段のおとなしい姿がほとんどだったのだが、それと同時に自分に辞書を投げつけてくる光景や、この前の泣かされた事なども思い出してしまったのだ。そんなことをヒロトの実の母親に言えるわけもなければ、




『ヒロトに泣かされました』




 なんてさすがのナオトも羞恥心が許さない。




「そう....?それならいいんだけど....」


「ヒロトなら本当に何もしでかさないと思うんで僕も安心して寝られますよ」




 なんとか自分の頭の中に浮かんだ光景や焦りをかき消すように笑ってごまかすナオト。その笑顔のお陰で少しは竹下家母の心配も和らいでくれる。




「それでも、もし何か困ったことがあったらすぐに言ってね.....?」


「むしろヒロトのせいで困るようなことがあるなら体験してみたいですよ」






「わかる」






わかるんか~い。




 竹下家母の不安を取り払ってあげようと冗談と本心を織り交ぜたような軽口をたたいてみたつもりが、まさかの共感を得てしまった。




「あの子家でもずっとおとなしいから、年の離れた『お兄ちゃん』になら少しくらい甘えたりもしてくれるかな~なんて期待もしてたんだけど....」




(そんな期待をしてた時期が僕にもありました。)




「きっと我慢してるとかじゃなくて、そもそも甘える気が無いんじゃないですかね.....」


「やっぱりそうよね......」




 二人して簡易お通夜を始めてしまう始末である。




 そんなやりとりをしていると、リビングに行ったはずのヒロトが戻ってきて家の中からこう言った。




「お母さん仕事戻らなくていいの」


「あらやだ、もうこんな時間!!ならお母さんもう行くわね!!」




 そう言って時計を見ながら眉毛を八の字にさせた竹下家母は、少し残念そうな顔をした。このお母さんの溢れ出る『萌え母感』、素晴らしい。




「なら迷惑をかけないように大人しくしてるのよ~!」




 お母さん特有のテンプレートを残し、ペコリと頭を下げた竹下家母は急ぎ足で仕事場へ向かった。それを聞いたヒロトは完全に他人事のようにナオトを見ながら、




「だってさ」


「いや、アレ俺に向かって言った言葉じゃねぇから!!」




 きっとヒロトに『迷惑をかけないように』などと言う人間は全国各地津々浦々どこを探しても竹下家母だけだろう。しかも竹下家母の良いところはそれを本心から言っているところである。良いお母さんだ。萌え母ごちそうさまである。




 そうして二人でリビングに行くとナオトは思い出したかのようにニヤッとした。竹下家母のような二ヘラではない、どちらかというとおちょくりのニヤだ。そしてこのニヤにはちゃんとした理由がある。ついにナオトが精神の安定を図れず『そういう方』になってしまわれたわけではない。




「ひぃ~ろぉ~とぉ~くぅ~ん??」




 ニヤニヤしている。腹立たしい。


 この男の悪いところというか習性として止められないのであろうが、ここで止めておけば辞書が飛んでくることはないであろうに、それを覚悟で言ってしまうところだ。




そしてナオトは、言葉を続ける。

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