第2話 世話焼きと僕。

「うおおおおおお.....」




 ナオトは声を出すというよりかは、声帯が勝手に震えてしまったかのような何とも言えない声を出す。


 この時点でヒロトは察した。それと同時にポケットのハンカチを差し出す。




「ダメだったよぉぉぉぉ...」




 そう言いながら秋の終わりを告げるように舞い落ちる枯葉そっくりに力なく床に倒れこむナオト。


 この光景すらなんども見てきたヒロトにとって、これから起こることの被害予測とそれを防ぐための手段は明確であり、また、これから起こる事柄はヒロトの本気の片鱗が垣間見える数少ない機会であろう。




 まずはこれから滝のように溢れ出してくる涙で床を濡らさないように、ハンカチを貸し与え応急処置をする。




「兄ちゃんこれ使って」


「ううう.......」




 ハンカチを差し出しながらそう言っているヒロトの声にかろうじて反応はするが、声ならざる声が漏れだしはするものの受け取る気配すら見せないナオト。




 ナオトの涙はまだこぼれている程度だ。結果を受け止めきれずに放心状態のため、泣きわめくことすらできていない。ヒロトはハンカチをナオトの顔にかけると瞬く間に動き始めた。ハンカチ程度の給水力では、ナオトの涙滝の前では取るに足らない無力な存在なので、早く次の手を打つ必要があるからである。




 ヒロトは幼稚園児の体が持ち合わせる未熟な筋肉を隅々まで使い、とてつもない瞬発力を発揮して風呂場へとむかう。そしてすぐさまにバスタオルを手に取りナオトの元へ戻ってきた。状況判断から動き出しのスピード、さらにはナオトから風呂場への往復速度を含め、まさに圧倒的。ジャパニーズニンジャはここにいました。といった感じである。




 ナオトの顔にかかったもうすでに給水力の限界に達しているハンカチをめくり、持ってきたバスタオルを差し出す。


 眼前に突如として現れたヒロトの気遣いの賜物であるバスタオルを見て、ナオトはついに決壊した。




「おまえはぁぁぁ......なんてやさしいやつなんだよぉぉぉおおおおお!!!!」




 滝である。ビチャビチャである。ヒロトはナオトの声に合わせて勢いよくタオルを顔に押し当てたのだが、もうすでに海水に浸したタオルと何ら違いはない。よく人間にここまでの水分の排出ができたものだ。少年漫画なら間違いなく、『人間の体の60%は水でできているが、その内何%を失うと.........』のようなバトルシーンではおなじみの死の瀬戸際のような解説が流れていることであろう。




「ここは俺が引き受ける....おまえは先に行け...!!」




 バスタオルさんのそんな声が聞こえたような気がしたヒロトは、後ろを振り返らずにキッチンへ向かった。そしてすぐさま水と塩とその他諸々を用意し、その日の気温、湿度、天気、季節、ナオトの体調などすべての要因を考慮した上で一瞬のうちに分量を算出し、本日のナオトが最も必要としているであろう特製塩水を作り上げた。


 この特製塩水は、ヒロトの本気の本気が詰まっているためナオトには市販のスポーツドリンクよりも吸収が良い。そしてその水量だが、もちろんコップ一杯で足りるはずもなくとんでもない量を必要とする。ヒロトは体の使える部分すべてにコップをのせて迅速かつ精密に命の水を補給しに行った。




 ナオトの元へ戻ると、そこには巨大なワカメがあった。いや、まだ若干水分を含んでいる分干し柿のほうが近いかもしれない。出し尽くせる水をすべて出し切ったナオトはもう動けるはずもなく、そこで干からびていたのだ。




「早く飲んで」




 ヒロトは人命救助という命の駆け引きを、無表情に淡々とこなす。




「ぁ...ぁりがとぅ....」




 消え入るような声でかろうじて礼を言う。


 3杯目の塩水を飲んだあたりで生乾きの洗濯物ほどには水分を取り戻したナオトが、




「いつもここまでやってくれるなんてほんとに優しいなぁ....ありがとうヒロト.....」




 哀愁を漂わせながら、つぶやくような打ちひしがれた声でそんなことを言う。大げさに言わなくても生命の危機に瀕しているナオトだが、いつもあれだけ冷たいヒロトが自分に向けてくれた優しさに感謝の言葉を述べずにはいられない。ヒロトもその言葉に何か思ったのか、コップを口に運ぶ手を止め閉じていた口を開く。




「いや、そういうんじゃない」











「床が水浸しになるのが嫌だから仕方なくやってるだけ」




 ナオトに10000のダメージ!!




「いや...でも...この飲み物は優しさだよな....?」




 すがるようなスライムは言った。






 だが現実は無慈悲である。






「それも違う、この前放っておいたらそのバスタオルに染みた自分の涙で水分補給しだしたでしょ」




 ナオトは昔、脱水症状で瀕死の中ヒロトに放置され続けた結果、本能的にそのような行為に及んだことがある。




「あんなおぞましい自給自足見せられたら、さすがの僕でもドン引くよね」




 ヒロトの冷静かつ冷徹な言葉で真意を告げられたナオトは、いままで優しさだと思ってきたことが単に迷惑防止行為だったことを知り、また決壊した。




「うわあああああああああああああんんんん!!!!」




 また間欠泉のようにナオト汁が溢れ始めた。




「結果発表よりこっちのほうがつらいいいいいいいい!!!」




 それでいいのか小説家志望。




「嘘だろ....]




ヒロトはそう言ってナオト汁に侵食されていく床をただ茫然と眺めている。いつもは特製塩水を飲ませてから軽く慰めて終わりだったものの、今回初めて事実を告げてしまったためにそのダメージでまた滝が流れ落ちたのだ。皮肉にもヒロトの特製塩水だったものが怒涛の勢いで流れ落ちている。無論そこに、受け皿はない。




「あとは....頼んだ....ゼ...........」




 またバスタオルさんの声が聞こえたような気がした。


 案の定、床はビチョビチョである。そしてナオトはまだ止まらない。




「もうどうしようもないなこのフリーター.......」




 久しぶりにヒロトが無表情以外の顔をしたのだが、その顔はまさしくゴミを見るような目で呆れはてた顔だった。稚園児の苦労はまだまだ続きそうである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る