第18話『裸の告白』

 その夜は、ベッドの上でひたすらに身じろぎをしていた。


「……んぅ」


 恵美は小さな吐息をこぼす。

 眠れない。寝間着に包まれた、己の豊かな胸に触れる。

 その胸の奥が、ずっと疼くのだ。

 痛い、苦しいと。

 それは肉体的な痛みとは違う。

 鋭く、かつ鈍い痛みが、ずっと恵美の心に鎮座している。


 ――私は智志くんのことが好き。


 楓の声が胸の内で木霊する。

 同時に、自分が彼に対して吐露した気持ちも鮮烈にフラッシュバックして……

 体が火照る。体が疼く。苦しい。


「……何であんなこと言っちゃったのよ」


 自己嫌悪に陥る。

 恵美が身じろぎする度にベッドが軋む。

 それが彼女の心情をより掻き立てた。

 こんな時、自分をからかうはずのシーナは、今姿を見せない。

 その気の利き具合がまた鬱陶しい。


 ただ、一つ気が付いたことがある。

 裏人は自分と正反対の存在。相反する存在。

 けれども……それもまた、自分自身なのだと。

 ヴィーナスとの……楓とのぶつかり合いで気が付いた。

 ベッドの上で起き上がる。

 恵美は改めて自分の豊かな胸に目を落とした。

 その前できゅっと手を握る。


「私は……」


 先の言葉を、今は紡がないでおいた。




      ◇




 肩の痛みは大分引いた。


「そろそろ部活に出ないとな」


 放課後、智志は剣道部の道場へと赴こうとした。


「智志」


 呼び止められる。

 その声に顔を引き寄せられた。


「おう、恵美か。どうした?」


 智志が振り向く先で、恵美は何やら神妙な面持ちをしていた。


「どうした、そんな怖い顔をして?」


「あなたに話があるの。今から屋上に来てくれる?」


「別に良いけど……」


 智志が少し口ごもりながら答えると、恵美はさっと背を向けて歩き出す。

 慌ててその後ろ姿を追った。


 カツン、カツン、と階段を上る音だけが静かに響いていた。

 恵美の背中を追う間、智志は考えていた。

 もしかして、彼女は自分に戦いを挑もうとしているのではないかと。

 最近、仲良くしてはいるけど、あくまでも『七王戦』で争う者同士だ。

 それは致し方ないこと。彼女には勝利して叶えたい願いがあるのだから。

 けど、出来ることなら、恵美とは戦いたくない。


 屋上の扉を開くと、少し冷たい風が吹いていた。

 その場に佇む恵美から、智志は少し距離を置く。

 黙って、彼女の言葉を待った。


「智志、覚悟は出来ている?」


 問われ、ドキリと胸が高鳴る。

 やはり、そう来たか。


「正直、出来ていない。俺はこんな風にお前と向き合いたくない」


「私は向き合わないと、前に進めないのよ」


 彼女は、やはり強いなと智志は場違いにも感心してしまう。


「分かったよ、恵美。お前がそう言うなら、俺は全力で受け止めてやる」


 智志は覚悟を決め、レイジを呼び出そうとした。

 すると、恵美がふいに振り向き、こちらに歩み寄って来た。

 すぐ目の前に立つ彼女を見て、素直にきれいだと思った。

 彼女は一度、深呼吸をした。


「……好き」


「え?」


 智志が聞き返すと、恵美は少し怒った顔になる。


「私はあなたが好き」


 彼女の言葉をすぐに飲み込めなかった。

 たっぷりと時間をかけて、咀嚼する。


「……誰が誰を好きだって?」


「私があなたを好きだって言っているのよ」


 見れば、恵美の頬は真っ赤に染まっていた。


「本気で言っているのか?」


「いい加減にしないと殴るわよ」


「ごめん」


 智志がうなだれた時、かすかにパツ、パツと音がした。


「顔を上げて」


 言われてふっと顔を上げると、きれいな谷間があった。

 立派な二つの山を支えるのは、予想に反して可愛らしいブラジャーだ。


「おまっ、何をして……」


 恵美は制服のブラウスの前ボタンを開け、全校男子が羨望の眼差しを向けるバストを惜しげもなく晒していた。

 彼女の顔は、今までにないくらい真っ赤にそまっていた。


「胸の大きい女は嫌い?」


「はっ?」


「答えなさい」


「いや、まあ……嫌いじゃないけど」


「じゃあ、興奮している?」


「興奮……しているのかな?」


「何よ、ハッキリ答えなさい」


「興奮しています」


 半ば言わされた感は否めないが。

 智志がその谷間に見惚れてしまったのは事実だ。


「……触ってみる?」


「いや、それは無理だろ」


「何で?」


「そういうのは、付き合った者同士がすることじゃないのか?」


「じゃあ、付き合ってくれるの?」


 彼女の表情の気丈さは衰えない。

 けど、その唇がかすかに震えていた。


「本当に俺のことが好きなのか?」


「何度も言わせないでよ」


 きつく睨みを利かせられるが、その奥底には怯える少女がいるようだった。


「そっか……」


 智志は空を見上げた。まだ空は青い。もうじき、朱色が混ざるだろうけど。


「……俺もお前が好きだ」


 不安げだった恵美の表情から力みが抜けた。


「本当に?」


「ああ。お前は見た目だけじゃなく、中身も良い女だと思う。惚れてしまうほどに」


 いつもキツい恵美の顔がわずかに綻んだ。


「じゃあ、私と恋人に……」


 智志は微笑んだ。


「でも、ごめん。恵美とは付き合えない」


 グランドから野球部の掛け声が木霊して来た。


「……どうして?」


「俺はまだまだ弱い。未熟者だから。彼女を作っている場合じゃないんだ」


 強張っていた恵美の肩から、すっと力が抜ける。


「私のことを好きっていうのは、嘘なの?」


「本当だよ」


「でも、付き合わないの?」


「ああ」


「バッカじゃないの?」


 恵美の目付きに鋭さが戻った。

 いや、先ほど以上に鋭く睨まれてしまう。


「ごめん、恵美」


 智志がわずかに微笑を湛えて言うと、恵美はうなだれた。


「――ありえない、この男」


 恵美と似通った、別の女の声がした。

 姿を現したのはシーナだ。

 しかし、その風体が今までと違う。

 溢れんばかりの色気が、いまはすっかり失せてしまっている。


「こんな結末じゃあ、私が『色欲の王』から陥落した意味がないじゃない」


 シーナも智志に対して睨みを利かせる。


「……良かった」


 智志がぽつりと呟く。


「はぁ?」


「これで恵美と戦わずに済む」


 きつく眉根を寄せかけたシーナは、脱力したように目元を緩ませる。

 深くため息を吐いた。


「恵美、あなたも難儀な男に惚れたわね」


 水を向けられた恵美は何も答えず、はだけた胸元を直すと、スタスタと歩き出す。

 智志の横を過ぎ去って行く。


「…………バカ」


 屋上の扉が閉まる。

 最後にもう一度ため息を吐いて、シーナも姿を消した。

 その場に残されたのは智志一人だけ。


「お前、バカなんじゃないか?」


 智志は声がした方を睨む。

 いつの間にか、レイジが屋上の柵に背を預けもたれかかっていた。


「何が?」


「あんな美人でボインの嬢ちゃんを振るなんて、他の男が知ったら泣いてぶん殴られるんじゃねえか?」


「黙れよ、お前には関係ない」


 レイジは腕組みをして空を見上げた。


「お前さ……ちょっと異常だよ」


 智志は強く拳を握り締めた。爪先が肉に食い込む。


「お前の方がよっぽど異常な存在だろ」


「その言葉、ブーメランだぜ」


「は?」


「まあ良いや。そうやって、せいぜい肩肘張って、一人でどこまでも高みに登ってくれや」


 レイジはひらひらと手を振って、姿を消した。

 今度こそ一人きりになった智志は、改めて空を見上げる。

 先ほどまで快晴だった空は、わずかに雲がかかっていた。


「俺は……」



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