第13話『夜を蝕む蝿』

 人が人の血肉を食ってもまずい。

 そもそも、そんな猟奇的な行為をするなんてあり得ないことだけど。

 今、自分のすぐ眼下で彼は実に美味そうに咀嚼している。


「おい、秀人! お前も食うか?」


 彼はドバドバ、ダラダラ、と口から血を垂れ流して言う。

 激しく遠慮しておきたい。


「君って、本当に化け物だったんだな、ベルゼ」


「何を今さら!」


 鼻で笑う彼の姿は、ハエだった。

 超巨大なハエ。体長は軽く二十メートルを超えているだろう。

 七対の手の先には、それぞれ網がぶら下がっている。

 中に居るのは、泣き喚く人間たちだ。

 その内の一つは、今し方ベルゼが食した。

 故に、捕らわれた人間たちの恐怖心がより一層に煽られたのだ。


「さーてと、次はどれを食べようかなぁ?」


 そんな人間たちの圧倒的な恐怖の叫びも、ベルゼにとってご馳走のスパイスに過ぎない。


「感謝しろよ? この俺に食べてもらえるんだからな! ギャッハハハハハハハハ!」


 彼の蹂躙する声と人間たちの悲鳴が混ざり合って、夜を絶望に彩る。

 秀人は捕らわれた人々に同情し申し訳ないと思いながらも、自分がその立場に居なくて良かったと思った。

 いや、ある種、自分は彼らよりも恐怖の立場にいるのかもしれない。

 何せ、この化け物の主なのだから。


「たかがフリーターの僕が、とんだ重荷を背負わされたもんだ」


「どした、秀人? お前も食うか?」


「食わないよ」


 秀人はげんなりと肩をすくめた。

 こいつは異常だ。当たり前の話かもしれないけど。

 しかし、この異常な状況を受け入れている自分も、大概に異常かもしれない。

 自分と同じ人間たちが絶望に喚きながら食われていると言うのに。

 やはり、人生あきらめたフリーターだから、良くも悪くも達観しているのだろうか。


「おいおい、秀人! いつも辛気臭いお前だけど、今日くらいはテンション上げて行こうぜ! ヒャアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!」


 ベルゼの高らかな哄笑が夜転を揺るがした。




      ◇




 智志は夜のアスファルトを駆けていた。


「おい、相棒。まだケガが完全に治ってないのに、そんな無茶しても良いのか?」


 レイジが相変わらずダルそうな口調で言う。

 だが、奴は滑るようにしてアスファルトの上を進んでいた。

 それがまた、腹立たしい。


「黙って見過ごす訳には行かないだろ。俺達が止めないと」


「あんなハエ野郎の相手なんてしたくねえよ」


「お前こそクソ怠惰野郎じゃないか」


 智志がじろりと睨むと、レイジは破顔した。


「クハッ! 相棒、お前も言うようになったじゃねえか」


「全然面白くないよ」


 そっぽを向きかけた時、


「智志!」


 聞き覚えのある声が響き、上空に目を向ける。

 黒い翼を生やしたシーナに抱えられた恵美の姿が見えた。


「恵美、君もアレの所に行くのか?」


「まあね。放っておく訳にも行かないでしょ?」


「じゃあ、一緒に止めに行こう」


「ええ」


 智志と恵美が頷き合うと、


「おいおい、またイチャついてんじゃねーよ」


 レイジがからかう。


「なッ……」


 恵美は顔を引きつらせ、頬を紅潮させた。


「レイジ、お前はバカか? 恵美は男ギライなんだ。だから、俺のこともそんな風に思ってないよ。なあ?」


 智志の問いかけに、恵美は顔を俯けたまま答えない。


「おバカさんなのは、智志の方ね」


 シーナが含み笑いをしながらぼそりと言った。


「あんた達! 下らないこと言ってないの! 今は緊急事態なのよ!」


 恵美が叫んだ。


「悪い、早く行こうぜ」


 智志は強く頷いた。




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