第12話『長い夜の始まり』

 一日休んだだけなのだが、何だか学校に行くのが気まずかった。

 教室の扉を遠慮がちにガララ、と開く。


「あっ、智志。おはよう!」


 教室に入ると、すぐに気が付いた信樹が声を掛けてくれた。


「おはよう……」


「元気無いね。まだ本調子じゃない?」


 くりくりっとした可愛らしい目でこちらの顔色を伺う信樹に対し、


「まあ、そんな所だな」


 智志は曖昧な笑みで答えた。


「肩はまだ痛む」


「そうだな。当分、練習には参加出来そうにないよ。ごめん」


「何で謝るの? むしろ、謝るのは僕らの方だよ」


「え?」


「智志が強いから、エースだからって、一人に重荷を背負わせて。だから、無理をさせちゃって、本当に申し訳ないって、僕らは言っていたんだ。


 胸の奥がジクリと痛む。

 違うんだ、信樹。

 俺は、皆のためじゃなく、自分のために無理をして、ケガをしたんだ。

 自業自得なんだ。

 智志は唇を噛み締め、俯く。

 と、教室がざわついた。


「智志……武田くんはいるかしら?」


 その声にハッと顔を上げると、恵美がいた。

 周りのクラスメイト達は、堂々と歩く彼女に対し、自然と道を開けている。

 ツカツカと足音を鳴らし、智志のそばに立った。


「ちょっと話したいことがあるんだけど、良いかしら?」


 相変わらず鋭いその目は、有無を言わさぬ迫力に満ちている。


「分かった」


 智志は素直に立ち上がった。


「悪い、信樹。HRまでには戻るから」


 ポカンとする信樹に軽く手を振って、智志は恵美と共に教室を後にした。




      ◇




 屋上を爽やかな風が吹き抜けて行く。

 その風にポニーテールをなびかせながら、恵美は目を閉じていた。


「それで、話したいことって何かな?」


 智志が問いかける。


「智志、あなた『七王戦』から降りなさい」


「……いきなりどうした?」


「昨日の戦い、私は怖いと思った」


 恵美は小さく拳を握り締める。

 嫉妬の王・ヴィーナスとの戦いは、レイジのおかげで何とか相手を退けることが出来た。


「智志くん、またね」


 去り際、楓は複雑な笑みを浮かべて去って行った。


「じゃあ、恵美も降りれば良いじゃないか」


「私は……降りない」


「何で?」


「うるさいわね。とにかく、あなたは降りなさい」


 恵美は智志を鋭く睨みながら言う。

 智志はふと空を見上げた。


「……昨日の戦い、下手をすれば恵美は大怪我をするかもしれなかった。最悪、死んでしまったかもしれない」


 恵美は息を呑む。


「俺は仲良くなった同級生として、君を守りたい。だから、降りないよ」


 智志が言うと、恵美は面映ゆい顔になり、つま先で地べたをなぞり始めた。


「……同級生、ね」


「何か不満かな?」


「別に」


 恵美はぷい、とそっぽを向いてしまう。

 智志は小さく肩をすくめた。


「イチャついてんじゃねーよ」


 ふいに声がして振り向くと、からかうように笑うレイジがいた。


「何だよ? 誰がイチャついているって?」


「お前ら以外、誰がいるってんだよ?」


 相変わらず人を食ったようなその顔つきに、智志は苛立つ。


「ちょっと、レイジ。せっかくの二人のお楽しみタイムを邪魔しないの」


 ふっとシーナも現れて言う。


「こいつは失敬」


 全然悪気の無い顔でレイジはからからと笑う。

 ちょうどそのタイミングで、キーンコーンと、予鈴が鳴った。


「あ、HRの時間だ。恵美も早く戻ろうぜ」


「分かっているわよ」


 少しふて腐れたように言う彼女の頬は、なぜか赤く染まっていた。




      ◇




 夜闇の庭先は静かだった。

 智志は竹刀を持つことなく、ただ月を見上げていた。


「……俺は間違っていたのかな」


 自問自答する。

 ただひたすらに高みを目指して、己を磨き上げて来た。

 鍛え上げて来た。そのつもりだった。

 けれども、現実の自分はあまりにも脆くて。

 理想は遥か彼方にあった。


 右肩に目を落とす。

 痛みは大分引いたが、違和感は残っている。

 また以前のように酷使すれば、すぐに痛めてしまいそうだ。


「月夜を見上げてたそがれる。お前も随分と怠惰になったもんだな」


「またお前は茶化すようなことを言うな」


 智志はちらと背後を睨む。

 レイジはまたぞろ人を食ったような笑みを浮かべていた。


「怠惰であることは、心に余裕がある証拠だ」


「は?」


「お前は心に余裕がない。だから、色々と気付かない」


「色々って何だよ? 俺がここ最近、剣道の試合で負け続けている原因か?」


 智志が真顔で聞くと、レイジは額に手を置き、


「かーっ、このおバカさん」


 呆れたように言うものだから、智志はムッとして眉根を寄せた。


「バカで悪かったな」


「何だよ、拗ねてんのか相棒?」


 レイジは智志の顔色を伺うように身を屈めて捻る。

 その仕草がまた、智志の苛立ちを煽った。


「お前、いい加減に……」


 智志が軽く怒鳴ろうとした時。

 天に浮かぶ物体が目に映った。

 そこから、ドバドバと、ダラダラと、何かが垂れ落ちている。

 それは夜闇の中でも鮮烈に輝く、真っ赤な血だった。


「……何だ、あれ?」


「暴食だな」


 驚愕に言葉を失う智志の横で、レイジが冷めた声を発する。


「バクバク、ムシャムシャと、よく食うぜ」


「何を食っているんだ……?」


「決まってんだろ? 人間だよ」


 事も無げに言うレイジに対し、智志は瞠目した。


「――ギャーッハッハッハッハァ!」


 そして、夜闇を切り裂くような奇声が発せられた。


「やれやれ、ダルい夜になりそうだぜ」



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