第10話『蛇女の罠』

 抜け殻のようになっていた。

 今の自分は、紛れも無い抜け殻だ。


「じゃあ、智志。お母さんは仕事に行って来るからね」


「おにぃ、行って来ます」


「いってらっしゃい」


 家族を見送った後、ソファーにどかっと腰を下ろす。

 今まで、学校を休んだことはほぼ無かった。

 それがこんな風に、半ばズル休みをするなんて。

 いや、負傷した肩が痛むのは本当だ。

 学校の先生も、智志が休むことに何ら反対せず、むしろ休むように勧めてくれた。

 ただ、今までの智志だったらケガをしたくらいじゃ休まない。

 足を披露骨折した時も、松葉杖を突いて登校したくらいだ。

 ケガよりも何よりも問題なのは、心にぽっかりと空いた穴だった。


「怠惰だな」


 いつの間にかソファーに腰を下ろしていたレイジが言う。


「まあ、その方が俺と気が合うけど。あ、でもお前が怠惰になっちまうと、俺はガムシャラくんになっちまう。それは勘弁だなぁ」


 そんな彼の軽口に付き合ってやる余裕は、今の智志に無い。

 何も答えず、ただぼんやりと天井を見つめるばかりだ。


「あのカラス野郎に言われたことを気にしてんのか?」


 レイジは言う。


「いや、それ以上に、俺に言われたことを気にしているのか。でも、仕方が無いだろ? 俺はお前の裏人、ずっとお前の側にいたと言っても過言じゃない。だから、分かってんだよ。一見まともそうに見えるお前の異常性が……」


「黙れよ!」


 智志は思い切りテーブルを叩いた。

 その瞬間、右肩を痛めていることを失念していた。

 だから、直後に激痛に見舞われる。


「お前、本当にバカだな。せっかく親が名前に『智』の字をくれたのに、立派なのは『志』だけじゃねえか」


「うるさい……」


 智志は悔しさと共に唇を強く噛んだ。


「……そんなことしても、じいちゃんは喜ばねえぞ」


 その言葉にハッと顔を上げる。


「お前だって薄々気が付いているんだろ? 今の自分のやり方じゃダメだって」


 その時、智志の脳裏に亡くなった祖父の顔が強く浮かんだ。


――智志、誰よりも強くなれ。そのためには、己を鍛え続けることだ。


――そうすれば、じいちゃんみたいな剣豪になれる?


――ああ。じいちゃんよりも、強い剣豪になれる。智志ならな。


 頭を撫でてくれた祖父の優しい手の温もりが、じんわりと広がるようで。

 自然と涙をこぼしてしまう。


「……俺は自分を鍛え続けないと行けないんだ」


 ソファーから立ち上がった智志は、玄関へと向かう。


「お供しようか、相棒?」


「良い。一人にしてくれ」


 智志は静かに外へと出た。




      ◇




 神社の境内でボーっとしていた。

 賽銭箱の前の階段は日陰になっているため、ひんやりとしている。

 ここは、昔よく祖父と剣道の稽古をしに来た場所だった。

 だから、つい足が向いてしまった。


「……じいちゃん、俺もうよく分からないよ」


 小さいころから剣道を教えてくれた、大好きな祖父のことを思い出す。

 常に己を磨き、鍛えろ、さすれば道は開ける。

 祖父のその言葉を信じてやって来た。

 けど、自分はあまりにも脆くて、頑張れば頑張るほど空回りしてしまうのが現状だ。


「サボりは感心しないわね」


 石畳をツカツカ歩く、ローファーの音がした。

 顔を上げると、ふわりと風にポニーテールをなびかせる恵美がいた。


「まあ、私も人のことを言えない訳だけど」


 呆然とする智志の隣に、恵美は腰を下ろす。


「この前の試合、見ていたわ」


 智志は目を見開く。


「肩の調子はどう? まだ痛む?」


「……まあ。けど、学校の行けないほどじゃない」


「ほら、やっぱりズル休み」


 恵美は横目でちらと智志を見る。


「何か言い返しなさいよ。これじゃ、私の感じが悪いじゃない」


「ああ、ごめん」


「そんな風に謝られても……」


恵美は小さく吐息を漏らす。


「智志はどうしてそんなに頑張るの?」


 何気ない口調で恵美は問いかける。


「……俺はさ、幸せ者だよ」


「え?」


「優しい家族が居て、友人にも恵まれて、本当に幸せ者だと思う。昔からずっとそうだった……けど、それじゃ満足出来ない自分もいてさ。だから、じいちゃんみたいな凄い剣士になりたいと思ったんだ。じいちゃんの試合を見た時、本当にかっこ良かったから」


 恵美は黙って智志の言葉に耳を傾けている。


「俺は凡人だ。じいちゃんほどの才能はない。だから、常に己を鍛錬して、磨き続けて、誰よりも強い剣士に、男になるんだって、そう心に誓ったんだ……なんて、バカみたいだろ?」


 智志は苦笑する。


「羨ましいわ」


「え?」


「私には熱中出来ることなんて何も無いから。ただ日々を、守りながら生きているだけ。主にエロ男子たちの視線からね」


 恵美が半ば荒んだ声で言うと、智志はつい噴き出してしまう。


「笑い事じゃないわよ」


「ごめん。でも、仕方がないよ。恵美は魅力的な女の子なんだから」


「あなたもそう思うの?」


 恵美が含みのある物言いと視線を向けて来た。


「うん、そう思うよ」


「そう……けど、私は元いじめられっ子よ」


 智志はつい言葉を失ってしまう。


「小さい頃から胸の発育が良かったから。それで男子から好奇の目を向けられて、女子からは妬まれていじめられたの。バカみたいでしょ?」


 恵美は自嘲するように笑った。


「そっか……だから、恵美は強いんだな」


「そう見えているだけよ。中身の方は、いつもビクビク怯えている。男子からの視線も、女子からの視線も、みんな……『鉄壁の女』が聞いて呆れるわね」


「けど、何か嬉しいな」


「何が?」


「そんな大事なことを俺に話してくれて」


「べ、別に、たまたま気まぐれよ」


 恵美はぷいとそっぽを向く。

 智志はそんな彼女を見て小さく笑った。


「――智志くん」


 少女の声にハッと顔を上げる。


「……楓」


 智志の目に映ったのは、先日再会したばかりの幼なじみの楓だった。


「誰?」


 恵美が眉をひそめた。


「笹山楓、俺の幼なじみだよ。この前、街でバッタリ再会したんだ」


「へぇ」


 恵美は目を細めたまま、楓を睨む。


「智志くん、その子はもしかして、彼女?」


「いや、違うよ。同級生だ」


 智志が即座に否定すると、恵美がぎろりと彼を睨む。


「え、何?」


「何でもないわよ」


 恵美はツン、とそっぽを向いてしまう。


「初めまして、笹山楓です。もしかして、あなたも『七王戦』に参加しているの?」


 その言葉に、恵美が機敏に反応した刹那――

 眼前でガギィ、と鈍い音が響いた。


「不意打ちは反則じゃなくて? 嫉妬の王さん」


「黙りなさい、色欲の王」


 シーナの鎌と、ヴィーナスの牙がぶつかり合っていた。

 お互いにギリギリと力を拮抗させている。


「――獣型ビーストモード


 直後、ヴィーナスの体が激しく隆起し、その姿を変容させる。

 現れたのは巨大な蛇だった。


「あら、何て醜い姿なのかしら」


「黙れ」


 大蛇はしっぽをうねらせ、シーナを叩こうとする。

 回避した先で、地面が激しく抉られた。


「恵美、私も『獣型ビーストモード』になっても良い?」


 シーナが含み笑いを浮かべながら恵美に言う。


「……仕方ないわね」


「ありがと」


 シーナはウィンクをすると、その身を光に包む。

 姿形は今までに見たキングやヴィーナスほど変化はない。

 ただ、その頭に角が生え、背中にコウモリのような翼が生えた。

 更に、髪の色がピンクへと変色する。

 その姿はサキュバスだった。


「汚らわしい淫売風情め」


「あら、モテない女のひがみかしら?」


 シーナがあざ笑うと、ヴィーナスはぎりりと歯噛みをする。


「楓から智志を奪う奴は、許さない」


 ヴィーナスの金の瞳が爛々と輝く。

 そのよくしなる体を駆使して、多彩な角度から相手を攻める。

 一方、シーナはその身軽さでひらりとかわして行く。


「デスサイズ」


 シーナは身の丈に合わない巨大な鎌を振るった。

 その強靭な先端がヴィーナスの額を真正面から捉える。


「うふ、決まっちゃった」


 シーナが妖艶に微笑む。

 と、ヴィーナスの額がピシリ、ピシリと割れた。

 そして、皮が破れ、一切傷の無い状態でヴィーナスが現れる。


「ありがとう、ちょうど古い皮を捨てたい所だったの」


「この野郎……」


 シーナが軽く歯噛みをした。


「デスアロー!」


 シーナが漆黒の弓を構え、矢を放つ。


「邪眼」


 ヴィーナスの瞳が赤く輝くと、矢は空中で止まった。


「毒針」


 続けざまに、その口から無数の毒針を放つ。


「ちっ」


 シーナは舌打ちをして上空に退避しようとした。

 直後、見えない障壁に阻まれたように身を弾かれ、揺らぐ。


「がはっ……」


 その隙に毒針が飛来し、彼女の体に突き刺さった。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!」


 シーナの悲鳴が響き渡る。


「……うっ」


 同時に、智志の隣にいた恵美が身を抱えて呻く。


「恵美!? 大丈夫か!?」


「へぇ、それなりにシンクロ率が高いんだ。けど、それが仇となったねぇ!」


 先ほどまで嫉妬の怒りに狂いかけていたヴィーナスは、高笑いをした。


「……あんた、図ったわね?」


 元から薄かった衣装がボロ切れにされたことで、シーナは激しく露出していた。

 傷付いた身を押さえながら、ヴィーナスを睨む。


「私はあらかじめ、この地域の各所に結界を張っておいた。この場所も、私の巣の一つだ」


「ちっ……本当に嫌らしい奴」


「クッハッハ! 淫売風情が! その顔が見たかったんだよ!」


 高笑いをしたヴィーナスはその尻尾でシーナをはたき落とす。


「ガハッ」


 地面に叩きつけられたシーナは軽く泡を吹いた。


「うっ……」


 恵美もダメージを受け、その場にひざまずく。

 智志はそんな彼女を抱きかかえながら、


「お願いだ、もうやめてくれ!」


 その叫びに、ヴィーナスの目が揺らぐ。


「智志の願いなら何でも聞いてあげたい。けど、そればかりは聞けない。私はその淫売も、何もかも倒してこの『七王戦』に勝利し、楓の願いを叶えてあげなくちゃいけない」


 智志は楓を見た。彼女は黙ったまま、その場に佇んでいる。


「楓の願いって……何だ?」


「良い男が野暮なことを聞くものじゃないわ」


 薄ら笑いを浮かべながら、ヴィーナスは再び尾を構える。

 その先端が鋭い針の形になった。


「まずはその淫売と、生意気な小娘を葬りましょう」


 容赦なく、殺意を込めた針が迫り来る。

 このままでは、助からない。


「――レイジイイイイイイイイイイイイィ!」


 智志はとっさにその名を叫んでいた。

 ガギィ、と金属音が響き渡る。


「……ったく、人がせっかく気持ち良く居眠りをしていたってのによ」


 現れた彼は、片手で握った刀で巨大な針を受け止めながら、尻の辺りをボリボリと掻いた。


「怠惰の王……!」


「よっ、蛇女。予想通り、やらしい戦い方をしてんなぁ」


 レイジは軽くあざ笑う。


「黙れ!」


 毒針がレイジに飛来する。

 だが、彼を中心に空間が揺らぎ、毒針は停止する。

 そして力を失い、パラパラと地面に落ちた。


「あらよっと」


 彼が軽く刀を振ると、ヴィーナスの巨体が吹き飛ばされた。

 彼女は自分が張った結界に身を打ち、悶える。


「うぅ……」


 すると、楓が呻き、よろめいた。


「レイジ、あまり奴にダメージを与えるな。楓まで傷付く」


「おいおい、面倒な注文をしてくれるなぁ」


 レイジは心底どうでも良さそうに耳の穴をほじった。


「……この怠惰野郎がああああああああああああぁ!」


 再び息を吹き返したヴィーナスが、ミサイルの如く勢いで突進して来た。


「やれやれ……『怠惰の世界』」


 先ほどと同じように空間が歪み、ヴィーナスの動きが鈍る。


「ぐ……ぬぬぬぬぅ……」


「とりあえず、まあ、落ち着け」


 レイジが人差し指を下に向けると、ヴィーナスは地に伏した。


「これで良いか、相棒?」


 レイジは首だけ智志に振り向いて言う。


「ああ、ありがとう」


「おやおや、素直に礼を言ってくれるなんて。俺のことが嫌いなんじゃないのか?」


「嫌いだ。お前の生き方も何もかも」


「くはっ、ひどい主様だぜ」


 レイジはからからと笑った。




      ◇




 水晶に映るその光景を見つめながら、彼は呟く。


「やはり、彼らには可能性があるな。武田智志と怠惰の王。それに、結城凛と強欲の王はレアケースだ。全く、此度の『七王戦』は実に面白い」


 ほくそ笑んでいると、ドアがノックされた。


「失礼します、夢前様」


 入って来たのは一人のシスターだ。


「どうした?」


「暴食サイドが不穏な動きを見せています。いかがなさいますか?」


「不穏、と言うと?」


「一般市民を巻き込む可能性があります」


「ふむ……」


 夢前は顎を撫でた。


「構わない。有事の際には、我々も出動するからな。それに、これは神がご覧になっている偉大な儀式だ。多少の犠牲は止むを得ん。我々の崇高な目的のためにもな」


 シスターは少しばかり浮かない顔をしながらも、


「かしこまりました。失礼します」


 と言って部屋から出て行った。


「暴食か……。こいつは毎度、問題児だな。憤怒も今の所大人しいが……さてさて、どうなることやら」


 夢前は口元に不吉な微笑を湛えていた。




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