第9話『カラス』

 夜。

 また一人、竹刀を振っていた。

 雑念を全て振り払うように。


 ――智志くん、ごめんね。


 まさか、楓も『七王戦』に参加する選ばれし者だったなんて。

 つまり、いずれは彼女とも戦わなければならない。


「ダメだ、ダメだ」


 智志は一度竹刀を止め、首を強く横に振った。

『七王戦』も大切かもしれないが、今の自分は何よりも剣道に邁進すべきだ。

 今の自分は弱い。もっと、もっと強くならないと。

 今日は遊んでしまったから、その分もっともっと頑張らないと。


「ハッ、ハッ」


 小刻みに呼吸を刻みながら、一心不乱に竹刀を振り続けた。

 その時、右肩に痺れるような痛みを覚えた。


 ――オーバーワークはやめなさい。


 顧問の橋本の声が脳裏に響く。

 だが、智志はまた首を強く横に振ると、竹刀を握り締め、素振りを続ける。


 自分には剣道しかない。この道をひたすらに突き進む。

 そして、いつか誰にも負けない剣豪になる。

 それが自分の……祖父の願い。

 大好きだった、祖父の願い。


「ふぅ……」


 一度素振りを止める。

 いつもなら絡んで来るレイジが、今日は何も言って来ない。

 静かで良いけれども、何だか気味が悪い。

 いけない、また雑念を抱いてしまう。


「集中だ、集中……」


 必死で自分に言い聞かせると、智志はまた竹刀を振り始めた。




      ◇




 朝日が差し込む道場内は、静謐な空気に包まれていた。

 そこに一人佇んでいると、


「あれ、智志? もう来ていたの?」


 信樹を初め同じ剣道部の仲間たちがやって来た。


「ああ」


「もしかして、瞑想の邪魔でもしちゃった?」


「いや、そんなことは無いよ。大丈夫」


 智志は淡く微笑む。


「そっか。まあ、今日の練習試合も頑張ろう」


「ああ」


 智志は頷く。

 と、道場の扉が開き、


「相手の高校さんがいらっしゃったぞ。挨拶しろ」


 顧問の橋本がやって来て言う。

 その声に部員一同は背筋を正し、


「お願いします!」


 高らかな声が道場内に響き渡った。




      ◇




 試合前のこのヒリついた感覚。

 胸の鼓動が否応なしに高まる。

 それをゆっくりと静めて、試合の場に足を踏み入れる。


「始め!」


 審判の掛け声と同時に駆け出すことはない。

 互いに見合って、相手の隙を伺う。

 それがセオリー。


 しかし、相手はいきなりこちらに攻め込んで来た。

 強烈な突きが智志の喉元を狙う。

 反射的に身を捻ってかわした。


 相手のモーションが大きかった分、隙が生じる。

 智志はすかさず攻撃に転じて相手に面打ちを決めようとした。


 ズキリ、と右肩が痛んだ。

 振り下ろす一閃が鈍くなってしまう。

 当然、相手に防がれ、逆に反撃のチャンスを与えてしまう。

 防がなければ――


 しかし、またしても右肩がズキリと痛み。

 無情にも相手の面打ちを食らってしまう。


「一本! そこまで!」


 審判が告げた直後、道場内はざわつく。


「智志!」


 信樹たちが駆け寄って来た。

 気が付けば、智志は右肩を押さえてうずくまっていた。

 自分でも無意識の内にそうしていた。


「すぐに担架を! 保健室に連れて行くぞ!」


 顧問の橋本の怒声にも近い声が響き渡る。


「大丈夫です……俺はまだ……」


 すがるような声を智志が漏らすと、

 橋本は鋭い目を向ける。

 それは瞬時に柔らかみを帯びた。


「武田、今はしっかりと休め」


 重いその一言に何も言い返すことが出来ず。

 智志はそのまま保健室に連れて行かれた。




      ◇




 一人、夜の道を歩いていた。

 あれから、橋本が親に連絡をして迎えに来てもらった。

 医者に見てもらった所、過労によって肉離れを起こしているとのことだった。

 幸い、選手生命を断たれるほどのケガでは無かった。


「武田、俺が言ったことを覚えているか?」


 病院に付き添ってくれた橋本が険しい顔で言った。


「オーバーワークするなと、言ったはずだ。何でもガムシャラにやれば良いってものじゃない。ここ最近のお前の不調は、そのオーバーワークが原因じゃないのか?」


 悔しいが、またしても何も言い返せなかった。


「……チクショウ」


 智志は背中に竹刀を入れた袋を担いでいた。

 家に居ては親の目があって練習が出来ない。

 だから、一人で近所の神社にでも行くつもりだった。

 今の自分は弱い。もっともっと、強くならないと。


「――貴様は強欲だな」


 ふいに声がした。

 目線を上げると、宙に浮かぶ人影があった。

 その背中には黒い翼が生えている。

 月光を浴びながら、ふわりとアスファルトに降り立った。


「……もしかして、お前は『七大罪の王』か?」


「ほう、よく分かったな」


 黒い翼を生やした男は言う。


「そうとしか考えられない」


「ならば話は早い。我が主のために死んでもらおう」


 突如、黒い翼の男が猛突進を仕掛けて来た。

 風切り音が耳を裂き、そして眼前に脅威が迫る。


 刹那――

 智志の前に立ちはだかった影の蹴りが、黒い翼の男を吹き飛ばした。


「……レイジ」


「ったく、黙って見てりゃ、危なっかしいことこの上ない」


 レイジは相変わらず、こちらを小バカにしたような目を向ける。


「怠惰の王か……」


 黒い翼の男はぎろりとレイジを睨む。


「お前は『強欲の王』だな」


「ああ、そうだ。そして、今の私の名は『カラス』だ。愛しい主がそう名付けてくれた」


「まあ確かに、お前はカラス野郎だな」


 レイジはからからと笑いながら、刀を抜いた。


「やるか?」


 カラスはじっと、その刀身を見据えていた。


「……貴様を倒すのは、また機会を改めてからだ。私は愛しき主の元に帰る」


 カラスは踵を返しかけ、智志を見た。


「私は『強欲の王』、強欲の大罪を抱く者を裁くのも仕事。貴様の生きざまは『強欲』に他ならない。だから、いずれそのいけ好かない怠惰もろとも、殺してやる」


 そう言い残して、カラスは飛翔し、去って行った。


「堅い野郎だなぁ~」


 そうぼやくレイジの背中を見つめていた。


「けどまあ、言うことに一理あるね」


 こちらに振り向くレイジは、にやりと口元に笑みを浮かべながら、


「お前は頑張り屋なんかじゃねえ。ただの自己満足の『強欲』野郎だ」


「なっ……俺はただ、誰よりも強くなりたいだけで……」


「それが強欲だってんだよ。お前は昔から十分に恵まれた環境と立場にありながら、満足しなかった。常に更なる高みを目指して来た。違うか?」


「知った風な口を利くな!」


「利くよ。だって、俺はお前の裏人だからな」


 尚も嘲り笑うレイジを、智志はひたすらに睨みつけていた。




      ◇




 月の光を浴びながら、ふわりと窓ガラスの前に浮かぶ。

 静かに開けて中に侵入した。


「おかえり、カラスさん」


 白いベッドの上にいる人物が、そう言った。


「凛、ただいま」


 カラスはそれまでの険しい表情を崩し、柔和な笑みを浮かべる。

 笑顔の先には、美しい顔立ちの少年がいた。

 よく女の子と間違われるくらい愛らしい顔立ちだが、歴とした男の子である。


「私はお前の裏人……それなのに、どうして同じ顔じゃないんだろうか? ステータスにシンクロ率も表示されていないし」


 カラスは言う。


「それはきっと、カラスさんが僕のヒーローだからだよ」


「ヒーロー?」


「うん。僕はずっと、この窓からカラスを見ていたから。自由に飛び回るカラスを。かっこいいなって、思っていたよ」


「カラスとは、世間一般では薄汚い存在だが?」


「そんなことないよ。カラスは誰よりも賢くて、力強く生きる、強い存在だ」


 そう語る凛の横顔を、カラスはまじまじと見つめていた。


「もしかして、憧れていた、とか?」


「憧れ……そうかもしれない。けど、無理だよ。僕はただこのまま、何もやり遂げることなく、死んで行くだけだから。欲望を抱くことなく、穏やかに死にたい」


 カラスは静かに凛へと歩み寄ると、その手を握った。


「此度の『七王戦』、私は必ず勝利する。そして、その暁にお前は願えば良い。病気を治し、健康な体となって、自由に生きたいと」


「そんな贅沢な願いをしちゃっても良いのかな?」


「構わないさ。お前はこの『強欲の王』、カラスの主なのだから」


「ありがとう、カラスさん。けど、僕はこうしてカラスさんがお友達になってくれただけでも嬉しいから。あまり無茶をしないでね」


「問題ない。他の七大罪の王は、私には及ばない」


 カラスが言うと、凛はクスクスと笑う。


「さすがは僕のヒーローだ」


 そんな凛を、カラスは優しい眼差しで見つめていた。




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