第7話『名前』

 その場は熱気を帯びながらも、静謐な空気に包まれていた。

 相対する敵に敬意を払いつつも、全力で倒しに行く。

 それが剣道だ。


「メエエエエエエエエエエェン!」


 鮮やかな面打ちが決まったと思った。

 しかし、敵は寸前の所で防ぐ。

 わずかに動揺した隙を突かれ、


「コテエエエエエェイ!」


 籠手打ちを決められてしまった。


「一本! それまで!」


 互いに礼をしてその場を退く。


「ドンマイ、智志」


 自陣に戻ると、信樹が声をかけてくれた。


「すまない」


「良いよ。いつも僕らが足を引っ張っている訳だし。たまにはこういう時もあるよ」


「何でニヤニヤしているんだ?」


「本音を言っても良い?」


「良いよ」


「ファンの女子が応援に来ている前で負けてざまぁ……アイタタタ!」


 智志は小生意気な信樹の頬を思い切りつねってやった。


「ごめん、冗談だって!」


「全く」


 智志はため息を漏らす。


「おーい、お前ら。バカやってないで集合だ」


 顧問の橋本に呼ばれて二人は駆け足で向かった。




      ◇




 今日は春馬高校の剣道場にて、他校を招いて練習試合を行った。

 残念ながら、エースたる智志は満足な結果を残すことが出来なかった。


「ふぅ」


 水飲み場で顔をパシャリと洗った。


「お疲れ様」


 ふいに声をかけられ、反射的に振り向く。


「……有村さん?」


 お決まりの腕組みポーズをして立つ彼女を見て、智志は目を丸くした。


「もしかして、見てくれていたのか?」


「ええ」


「そっか。じゃあ、カッコ悪い所を見せちゃったな」


 智志は苦笑する。


「そんな風に卑屈になることはないわ。真剣に相手と向き合うあなたの姿は、見ていて清々しかったわ」


「褒めてくれるの?」


「客観的な事実を述べただけよ」


 恵美は言う。


「ありがとう。有村さんって、実は結構優しい?」


「うるさいわよ。ていうか、別に『さん』付けで呼ばなくても良いし」


「えっ? ああ……じゃあ、恵美」


 瞬間、恵美の表情が固まった。

 直後、ぶわっと顔色が赤く染まる。


「ちょっ、あなた……」


「あ、俺のことも『智志』って呼んでくれて良いよ」


 慌てふためく彼女の様子を気にすることなく、智志はさらっと言ってのける。


「……だあああぁ! もう我慢できねえぇ!」


 いきなり叫び声が響いたと思ったら、校舎の角から男子たちが湧いて来た。

 それは智志と同じ剣道部の仲間たちだった。


「あれ? お前たちどうした?」


「どうした? じゃねえよ、この抜け駆け野郎!」


「何のことだよ?」


「トボけやがって! 俺らの巨乳アイドル、有村さんとイチャつきやがって!」


「いや、俺と恵美はそんな関係じゃないから。なぁ?」


「恵美って名前で呼んでるじゃねえかああああああああああぁ!」


 剣道男子たちの悲鳴が木霊する。


「おい、信樹。こいつらを黙らせてくれよ」


 智志がゲンナリして言うと、信樹が気まずそうな顔をする。


「ごめん、僕が発信源なんだ」


「えっ」


「最近、智志と有村さんがイチャついているって」


「…………」


 智志は無言で信樹の頭をポカッ、と叩いた。


「ごめん、恵美……あっ」


 振り向くと、恵美はゴミを見るような目でバカ男子共を睨んでいた。


「……やっぱり男子は敵ね。汚らわしい」


 憧れを抱く恵美からそのように辛辣な言葉を投げられ、男子たちはさぞかしへこむかと思いきや、何だか嬉しそうな顔をしていた。


 うん、ちょっと気持ち悪いな、と智志は思ってしまう。


「それから、あなたも敵よ」


 恵美はビシっと人差し指で智志を示す。


「ああ……そうだね」


 智志と恵美は『七王戦』を戦う敵同士だ。

 もちろん、そのことは彼らに話す訳にいかないが。


「でもやっぱり、俺は恵美と戦いたくないな」


「なっ……と、とにかく! 首を洗って待っていなさい! さ、智志!」


 赤面状態で叫び、恵美はその場から立ち去った。


「何か怒らせちゃったなぁ」


 智志は弱ったと言わんばかりに後頭部を掻いた。


「「「リア充は滅びろ~」」」


 背後から、まるでゾンビみたいな声を浴びせられる。


「お前ら、いい加減にしてくれよ」


 智志が抗議するも、


「「「有村さんのおっぱいを独り占めしたら殺すぞ~」」」


 尚もゾンビ集団にしつこく迫られる。


「いや、しないから」


 キッパリと言った智志は、大きくため息を漏らした。




      ◇




 夜。

 智志は庭で竹刀を振っていた。

 シュッ、シュッ、と風切り音だけが聞こえていた。


「ふぅ……」


 今日の試合、敗北を喫したことが悔しい。

 エースと呼ばれておきながら、結果を残すことが出来なかった。

 まだ、自分は足りない。己の鍛錬が足りていない。


「ちぃとばかし、肩に力が入り過ぎなんじゃねえの?」


 ゆらりと側に現れたレイジが言う。


「そんなんじゃ、逆に上手く行かないぜ?」


 智志は素振りを止め、顔だけレイジに振り向く。


「俺はまだまだ弱い。だから、もっと強くなるために、もっと頑張らないといけないんだ。死んだじいちゃんも、常に鍛錬あるのみだって、俺に教えてくれた」


 智志の真っ直ぐな視線を受けて、レイジは肩をすくめる。


「そうかい。まあ、好きにしな」


 その時、庭に面した廊下の窓が開く。


「おにぃ、もう遅いから寝なさいって、お母さんが言ってたよ」


 声をかけて来たのは、妹の美香みかだった。

 まだ小学生のあどけない少女だ。


「分かった。もう少しだけ」


「もう、おにぃは本当にストッキングなんだから」


「それを言うならストイックだろ? 美香こそ、もう寝なさい」


「はーい」


 美香は素直に頷いて窓を閉め、トタトタと駆けて行った。

 姿をくらましていたレイジが再び現れ、


「さすがは兄妹だな。言い間違いをするおバカさんな所がそっくりだ」


「うるさいな」


 智志がじろりと睨むと、レイジはからかうように笑いながら姿を消した。


「……休んでいる暇なんてない。俺はもっと頑張らないと」


 言伝を預かってくれた妹には申し訳ないが、智志はまだしばらく素振りを続けた。




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