第3話『契約』

「え、部活を休む?」


 剣道部顧問の橋本にそう告げたのは、朝練の合間だった。


「どうした、急に?」


 やはり、いきなりこんなことを言って許してもらえないだろうか。

 というか、何かしらの言い訳を考えておくべきだった。


「いや、えっと……」


 智志は上手く頭が回らず、言い淀んでしまう。


「良いぞ、休んでも」


「えっ」


「と言うか、むしろ休め。お前が休んでも誰も文句は言わん」


「はぁ……ありがとうございます」


 智志が呆けた返事をした後、


「よーし、朝練はそこまで! 各自身支度を整えて、教室に戻れ!」


 橋本は声を張り上げる。部員が「はい!」と威勢よく返事をした。


「ほら、お前も早く支度をしろ」


「あ、はい。失礼します」


 智志は促されてそそくさと更衣室に向かう。


「智志、どうしたの?」


 信樹が声をかけて来た。


「いや、今日ちょっと部活を休むって先生に……」


「えっ、智志が休むだって!?」


 信樹の声に他の部員も反応し、智志の周りにワラワラと寄って来た。


「おい、大丈夫かよ?」


「何かあったのか?」


「今日は大雨か?」


 こいつら、俺のことを何だと思ってやがるんだ。


「いや、ちょっと野暮用があってね。大したことじゃないよ」


 智志はぎこちない笑みを浮かべながらそう言った。




      ◇




 春馬教会を訪れるのは初めてだった。

 いや、もしかしたら小さい頃に連れて来られたことがあるかもしれない。


「ここか……」


 そのてっぺんには十字架が掲げられており、白を基調とした佇まいだ。

 背景が垢抜けない山々の森なのに対し、どこかオシャレで、異国情緒を漂わせている。

 少しばかり浮いた存在だ。

 きれいな木目が走る両開きの扉を開いた。

 中は日の光が柔らかに差し込み、静謐な空気が保たれている。


「来たね」


 低い男性の声に視線を引かれる。

 昨晩に会った、夢前善が後ろ手を組んで智志を見据えていた。

 智志は軽く会釈しながら、恵美の姿を見つけた。

 彼女は腕組みをしながら、相変わらず不機嫌そうな顔をしている。


「有村さん、もう来ていたんだ」


「不要な用事はさっさと済ませたいから。ていうか、もっと早く来なさいよ」


「ごめん」


 智志が素直に謝ると、恵美は「ふん」と鼻を鳴らし、ポニーテールを揺らした。


「あ~ら、私たちを放っておいて、イチャつかないでもらえるかしら?」


 ねっとりと舐め回すように鼻のかかった声がした。

 智志と恵美が同時に振り向く。

 夢前から少し離れた所に、そいつはいた。

 恵美と瓜二つの見た目をした、しかし全く異なる存在。


「色欲の王……」


 恵美と瓜二つの奴は、彼女が決してしないであろう、蠱惑的な笑みを浮かべ、その豊かな体のラインを惜しげもなく披露する。


 恵美が激しく表情を歪ませ、歯噛みをした。


「全く、勿体ないわね。こーんなに素敵なバディをしているのに、隠しちゃって。だから、『鉄壁の女』なんて色気のないあだ名を付けられる。けどまあ、そのおかげで私が生まれ、『色欲の王』になった訳だけど」


「黙りなさい」


 恵美が怒気を孕んだ声を発しても、色欲の王はどこ吹く風。


「お前ら、うるせえよ」


 背後で声がした。

 知らぬ間に、教会の椅子で横になっている男がいた。

 それは智志と全く同じ外見ながら、全く異なる存在。


「おちおち昼寝も出来ないじゃねえか」


「今は昼じゃない、もうすぐ夕方だ」


 智志が言うと、背後で恵美が「ツッコむ所そこ?」と呟いていた。


「それに、神聖な教会でそんな態度は良くないんじゃないか?」


「知った風な口を利いてんじゃねえよ、ガキが」


 全く同じ外見の奴に言われ、少しムッとしてしまう。


「君たち、小競り合いは結構だが、まずは大事な話をさせてくれ」


 場の乱れた空気を、その低く通る声でとりなす。

 この夢前という男には、底知れない凄みを感じた。


「さて、君たちにはまず、『裏人』とは何かを説明する所から始めないといけないな」


 夢前は言う。


「『裏人』とは、自分と全く同じ外見をしながら、相反する感性を持つ存在だ。ドッペルゲンガーという現象があるだろう? あれは、己と『裏人』との邂逅と言っても過言ではない。ただ、多くの場合は明確に具現化することも、存在が継続することもない。


 しかし、その者が極端な性格をしている時、『裏人』はより強力な存在となり、この世界に具現化する。更にその中でも強い力を持つ『裏人』には称号が与えられる。君たちの『裏人』は、『七大罪の王』と呼ばれる存在と相成ったのだ」


 夢前は智志と恵美を順に見た。


「君は熱血でストイックな性格故に『怠惰の王』を、君は潔癖で鉄壁な性格故に『色欲の王』を生んでしまった。いや、生んでくれたと言うべきか」


 くっく、と夢前が笑う。智志は小首を傾げ、恵美は不愉快そうに眉根を寄せた。


「これで十年ぶりに、『七王戦しちおうせん』を執り行うことが出来る」


「何よ、それ?」


 ついに我慢出来なくなった恵美が口を挟む。


「七大罪の王の中で更なる王を決める戦いだ」


 夢前は端的に答える。


「君たちは『七大罪の王』の主となることで、その参加資格を得た。実に幸運なことだ」


「何が幸運よ。不幸なことこの上ないわ」


「何でも望みが叶う、と言ってもか?」


 恵美の眉がピクリ、と動く。


「『七王戦』は我々、神に仕えし教会の者が監視者となる。つまりは、神もこの戦いをご覧になっている。そのように祈りを捧げる。故に、その戦いに参加し、勝者となった者は、神の力によって大いなる褒美が与えられるだろう」


「本当かしら?」


「君は何を願う?」


 夢前が間髪入れず聞き返すと、恵美は少し言葉に詰まった。

 わずかに顔を俯け、逡巡する。


「この世の男子の視線を皆殺しにしたい」


 そして、物騒なことを言った。


「……なんて言うのはさすがに言い過ぎだから、やめておくわ。そうね……胸を小さくしたいかしら」


 恵美が口ごもりながら言うと、「ぶふっ」と笑いが起きた。

 色欲の王と怠惰の王、そしてお堅い印象だった夢前さえ、笑いをかみ殺している。

 そんな周りの反応を見て、恵美の顔がボッと赤くなる。


「バ、バカにしないでちょうだい……」


「笑うなよ」


 場の空気を切り裂くように、智志が言った。


「有村さんにとっては真剣な悩みなんだ。だから、笑うなよ」


 一瞬、その場が静まり返る。

 恵美は目を丸くして智志を見つめていた。


「カーッコイイ~! さすがは俺の主様だぜ」


 椅子に寝そべっていた怠惰の王が立ち上がり、智志に歩み寄って来た。


「あー、まだ正式に契約をしていないから、主様じゃないのか」


 やる気のないやさぐれた目が、下から舐めるように智志を見た。


「契約?」


「そうだ。己の『裏人』と契約を交わすことで、ステータスを更新できる。ゲーム世代の君たちなら分かるだろう? 敵と戦うことで経験値を得て、強化することが可能なのだ」


「はぁ」


 智志は特に気の無い返事をする。

 確かに人並みにゲームはやったことあるが、専ら剣道を通して己を鍛錬することの方が優先だったし、楽しかったから。


「また、強化するだけじゃなく容姿もカスタマイズ出来るぞ」


「えっ?」


「顔立ちは変更できないが、髪型や服装などを変更して、本来の己と差別化が出来る。そうすれば、幾分かは自分と瓜二つの彼らに対して嫌悪感も薄れるだろう?」


 夢前は王たちを見て言う。


「いや、そんなこと言われても……」


「それで、契約って言うのはどうするの?」


 いつの間にか笑みが前に出ていた。


「有村さん?」


「とりあえず、さっさと契約して、その服装を正す!」


 恵美がぎろりと睨む先で、色欲の王は胸元がざっくり開いた服の襟元をこれ見よがしにひらひらとさせる。恵美のこめかみに青筋が走った。


「ほら、神父さん! どうやって契約するの!」


「契約には君たちの血が必要だ」


 夢前が言うと、恵美は若干勢いを失う。


「そう心配するな。ほんの少しで良い。その血を裏人に与えれば、契約は完了だ」


 彼は懐から小型のナイフを取り出す。

 それが日の光を受けて、ぎらりと輝いた。

 恵美と、そして智志も息を呑む。


「どうした、怖気づいたか? 何なら、この戦いを辞退しても良いのだぞ?」


「そんなこと出来るの?」


「ああ。今ならまだ、シンクロ率もそんなに高くないだろうから、裏人を殺処分しても君たちにさして影響はないだろう」


 残酷なことを平然と語る夢前を前に、二人は呆然とするばかりだ。


「ただまあ、君らにとって貴重な機会が失われることは、中々に悲しいだろうがな」


「貴重な機会っていうのは、何でも願いが叶うってことですか?」


 智志が問いかけると、夢前は口元に微笑を湛える。


「もちろん、それもそうだな。ちなみに、武田くんは何でも願いごとが叶うならば、何を願う? やはり、剣道の実力が誰よりも上になることか?」


「いや、そんなことは願わない。それは自分自身の力でやらなくちゃ意味がないことだから」


「なるほどな。さすがは怠惰の王の主だ」


 夢前はくっくと笑う。


「さあ、どうする? 戦うのか、戦わないのか? もし戦うのであれば、私は監督者として君たちの戦いを見守り、もし戦わないのであれば、この春馬市民の一員である君らの安全を保障しよう」


 その胡散臭い笑顔と台詞はどこまで信用出来たものか分からない。

 普通なら、そんな訳の分からないことには関わらないのが正解だ。

 けど、一つ引っかかるのは……


「……戦うわ」


 喉の奥から搾り出すような声を、恵美は出した。


「今のまま生きても、私の心に平穏は訪れない。だから、その『七王戦』とやらで勝って、神様に願ってやるわ。『この世の男からスケベ心を無くして下さい!』……ってね」


 恵美が何か吹っ切れたように言い放つと、夢前はまた噛み殺したような笑いを浮かべる。


「良いだろう。では、手をこちらに出せ」


 恵美は負けん気の強い瞳で夢前を睨みながら、その手を差し出す。

 夢前は手に持ったナイフで、すーっと、薄く恵美の手の甲を切った。

 恵美はわずかに瞳を歪ませる。

 じわり、と赤い血が浮かんだ。


「さあ、色欲の王よ。彼女の血を」


「はーい」


 緊迫した場の空気をあざ笑うように、色欲の王は軽やかなステップを踏みながら恵美の側にやって来た。

 そして、その手の甲に浮かぶ血を指先ですくうと、己の唇に塗った。


「うふ、きれいでしょ?」


「はぁ? バッカじゃないの?」


 恵美が嫌悪の表情を浮かべた時、ぱあっと光が溢れる。


「これで君と裏人は契約完了した。頭の中で念じれば、ステータスが見られるはずだ」


 夢前に言われて、恵美は怪訝そうな表情ながらも、目を瞑った。


「……あっ」


「ちゃんと見えたようだな」


 傍から見たら恵美に何も変化は見受けられないが。

 どうやら明確な変化があったようだ。


「何よこれ、ゲームみたい」


「初めはそういう認識でも構わない。まあ、直にそんな余裕もなくなるだろうがな」


 その意地の悪い物言いを咎めるように、恵美は夢前を睨む。

 そんな彼女の視線を軽く流し、夢前は智志を見た。


「さあ、君はどうする?」


「俺は……」


 今の自分にとって一番大切なことは剣道だ。

 もし、こんな訳の分からない戦いに巻き込まれたら、その鍛錬どころじゃ無くなる。

 普通なら断るはずだ。

 けれども……


「……分かった。俺も参加する」


 夢前がこくりと頷く。


「では、手を前に」


 智志は言われた通りに手を差し出す。

 夢前は先ほど恵美にやったように、智志の手の甲を薄く切った。

 鮮血が溢れ出す。


「さあ、怠惰の王よ。彼の血を」


 夢前が呼びかける。

 先ほどまで、智志のそばにいたはずの奴は、いつの間にかまた教会の椅子に寝そべっていた。


「あー、だりぃ。悪いけど、お前がこっちに来てくれよ」


 怠惰の王は言う。

 その名の通り、本当に怠惰な奴だ。

 正直、智志が一番嫌いな奴だ。

 智志はゆっくりと奴の方に歩み寄る。


「そんな怖い顔するなって」


 目の前にやって来ると、怠惰の王は寝そべったままにやりと笑う。

 智志はそんな奴を睨み下ろしながら、手の甲を傾ける。

 血が雫となって垂れ落ち、奴の口に入った。

 奴は小さく喉をならし、飲み込む。

 小さな光の波動が二人を包み込んだ。


「契約完了だな。さあ、ステータス画面の確認を」


 智志は夢前に促され、目を閉じて念じる。

 やがて目を開くと、目の前にそれこそゲームのようなステータス画面が浮かび上がっていた。


「では、武田智志、並びに有村恵美を『七王戦』の参加者として承認する。運が良いことに、今回の舞台はこの春馬市だ。当面は学校を休まなくても済むだろう」


 相変わらず、含みのある言い方をする男だ。


「私は君らの活躍を大いに期待しているよ」


 そして、どこまでも胡散臭い笑顔を浮かべた。




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