アンビバレント

三葉空

第1話『裏人』

「メエエエエエエエエエエェン!」


 高らかな叫びが道場内に木霊し、直後にバシィと小気味の良い音が響き渡った。


「一本、そこまで!」


 審判の声を受け、両者は互いに間合いを取り、礼をした。

 面を外すと、蒸れた頭巾からむわっと湯気が立った。


「さすがだね、智志」


 小柄な少年が側にやって来た。同じく剣道の防具を身に纏っている。


「おうよ! 今日も俺は絶好調だぜ!」


 にかり、と快活な笑みを浮かべて見せる。


「おい、武田。絶好調なのは良いことだが、またオーバーワークで故障するなよ?」


 顧問が言う。


「大丈夫ですよ」


 また快活な笑みを浮かべて見せた。




      ◇




 武田智志たけださとし春馬高校はるまこうこうに通う高校二年生だ。

 至って真面目な剣道少年である。


「智志はちょっと真面目過ぎるよ」


 昼休み。

 よく晴れていたので、道場近くにあるベンチに座って昼食を取っていた。


「ん?」


「と言うか、ストイックだね」


 隣に座る小柄な少年は寺井信樹てらいのぶき

 同じ剣道部の友人だ。


「そうか? 普通だと思うけど」


「オーバーワークで疲労骨折するなんて、普通じゃないの」


「あっはっは」


「笑い事じゃないよ」


 信樹はため息を漏らす。


「……やっぱり、あれは智志じゃないよな」


 そして、何やらボソリと呟く。


「どした?」


「いや、その……この前、休みの日に智志を見かけたんだ。……いや、智志のそっくりさんかな。見た目は智志なんだけど、凄くダルそうにしていたから。智志ならそんなことしないだろうし」


「ああ、俺はいつでもキビキビしているからな」


「自画自賛だね。まあ、この世には自分も含めてそっくりさんが三人は居るって言うから」


「ああ、知っているぞ。アレだ……トックリケンカってやつだろ?」


「ドッペルゲンガーね」


「そうそう、それ」


「智志ってバ……いや、何でもない」


「今バカって言おうとしただろ?」


 智志が卵焼きを頬張りながら詰め寄ると、信樹はたじろぐ。


「あっ、有村さんだ」


 そして、話題を逸らすかのようにそう言った。

 智志も視線を向けた先に、一人の少女がいた。

 スラッと背が高く、長い髪をポニーテールに結んでいる。

 有体に言えば、美少女だ。

 色々と情報に疎い智志でも、有村恵美ありむらえみの名前は知っていた。


「やっぱり僕らの学年じゃ彼女が一番人気だろうね。顔は文句なしに可愛いし。ただ、ちょっと性格がキツくてガードが固いのが難点かな」


「そうなのか?」


「有村さんって、あまり胸が目立たないように色々と工夫しているんだよ。けどまあ、同じ女子の噂でそのご立派さが伝わって、男子たちはひたすらに想像を膨らませてムラムラしている訳だけど」


「お前もそうなのか?」


「悪い? ていうか、智志は興味ないの?」


 信樹に問われて、智志は腕組みをして考え込む。


「興味はあるな」


「やっぱり」


「己の弱点を隠すその手法についてはぜひとも学んでみたい」


 信樹はズルっとベンチから落ちそうになる。


「バカかこのストイック向上心バカ」


「すまん」


「普通に謝るなよ。それに、有村さんの胸は弱点じゃなくて強みだから」


「それはお前らにとってだろ? 彼女にしたら、コンプレックスなんじゃないの?」


 智志が何気なく言うと、信樹がうっと呻く。


「なるほど、これが実はモテ男くんの言動か」


「いや、俺は別にモテないぞ」


「じゃあ、一年のバレンタインでチョコ何人からもらった?」


「えっと……確か五人くらい」


「死ね」


「シンプルにひどいな。ただの義理チョコだよ」


 智志は眉尻を下げて抗議する。

 信樹はジト目を彼に向けていた。


「まあ、剣道部のエース様だから、当然っちゃ当然だよね」


「いや、俺なんてまだまだだ」


 謙遜したつもりだが、信樹は尚も不服そうに智志を睨んでいた。


「そういえば、他の奴が前に有村さんを街で見かけてさ、ちょっと変だったって」


「変?」


「普段はカードの固い服装なのに、何か露出が激しくて、そのご立派な物もちゃっかり見えたとか……くぅ~、羨ましい!」


「信樹」


「何?」


「見た目可愛い系男子の性欲が強いのは、ちょっとどうかと思うぞ?」


「なっ……べ、別にそんな性欲が強い訳じゃないから!」


 信樹が叫んだ時、


「ちょっと、あなた達」


 ふいに刺さるような声がして二人同時に振り向く。

 いつの間にか、目の前に件の有村恵美がいた。

 腕組みをしながら、傲然とこちらを見下ろしている。


「今、私の名前が聞こえたんだけど……気のせいかしら?」


 美少女の刺さるような視線を受けて、信樹は小動物のようにすっかり強張ってしまっている。


「有村さんだよね?」


 智志が呼びかけると、ギロリと鋭く睨まれる。


「実はちょっと噂で、普段はガードが固い君が街中で露出の激しい格好をしていたっていう話を聞いたもんだからさ」


 智志が微笑を浮かべながら言うと、恵美はじっと彼を睨んでいた。


「……私がそんな格好する訳ないでしょ?」


「だよね、ごめん」


「これに懲りたら、陰でも二度と下らない話はしないことね。これだから男子は嫌いなのよ、気持ち悪い」


 最後まで辛辣な口調と視線を残し、恵美は去って行った。


「……あ~、怖かったぁ。さすがは潔癖にして『鉄壁の女』だよ」


 信樹は安堵の息を漏らす。


「もしかして、下の方も漏らしたか?」


「漏らしてないよ!」


 怒る信樹を軽くスルーして残りの弁当を食べ始めた。




      ◇




 部活終わりの体は心地良い疲労感に満ちていた。

 春の宵闇は爽やかな風が流れて行く。

 このまま、家まで走って帰りたい気分だ。

 けれども、顧問の先生にオーバーワークを注意されてばかりなので、自重した。

 踏切に差し掛かる。

 向こう側に人影があった。

 特に気にせず歩みを進めようとした時。

 ふと相手の顔を見た。


 それは自分と瓜二つだった。


 硬直している間に踏み切りがカンカンと鳴り、遮断機が下りる。

 電車がごぅ、と音を立てて通過して行く。

 その光景を、ぼんやりと見つめている間に、電車は過ぎ去った。


 そして、向こう側にはもう誰もいなかった。


「……疲れているのかな?」


 やはり、顧問の先生の言う通り、自分はオーバーワーク気味なのかもしれない。


「――よう」


 背後からの声に鋭く反応した。

 反射的に布袋に入れた竹刀を構える。

 眼前には、先ほど見た自分と瓜二つの人物が立っていた。


「……お前はトップリクレターか?」


「それを言うならドッペルゲンガーだろ、バカだなぁ~」


 自分と全く同じ顔の奴にケタケタと笑われてしまう。

 何だか無性に腹が立った。


「そう怒るなって」


「黙れ、ドッペルゲンガー」


「違うよ、俺はドッペルゲンガーじゃない」


「じゃあ、お前は何なんだ?」


 智志が眉根を寄せて問い質すと、奴はニヤリと笑う。


「俺は『裏人りひと』だ」




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