閑話 しまらないなぁ


「で、では翔和くん。テストが近いので今から勉強しましょー!」

「そうだな、やるとするかー!!」


 しんみりとした、それでいて甘ったるい空気を一掃するかのように叫ぶと、凛は勉強道具を持ってきて俺の前にノートを並べていった。

 さっき抱き締めていた影響なのか、凛の声が若干上ずっている。


 ……テンションも高めだし、顔も赤いな。

 まぁ、かく言う俺も同じで顔も熱いし、無駄に声は出るし、恥ずかしさを隠すので精一杯だ。

 この状態を喩えるならばランナーズハイではなく、ラバーズハイみたいな感じだろうか。


 俺がそんなことを考えている間に、凛は教材を次々と持ってくる。

 限度を知らないのか、青と赤の辞書みたいに太い教材も積み重ね、数学だけではなく他の科目……いや、試験科目全部の教材を持ってきているようだ。

 流石にこの量をやるのは無理だと思うんだけど……。


 俺はてきぱきと動く凛に苦笑し、彼女に声を掛けた。



「っなぁ凛。この広〇苑みたいに分厚い本があるんだが、これがまさか参考書じゃないよね?」

「ふふっ。そのまさかですよ」

「はは……腕が鳴るね」

「翔和くんもやる気ですね。これが終わりましたら私が作成した予想問題テストで腕試しといきましょう」

「オッケー! 任せとけっ!! 今日はなんだってやってやる」



 俺は拳を突き上げ、テンションにものを言わせて同意する。

 凛も俺につられるように「えいえいお~っ」と頬を赤らめながら声を出した。


 最早やけくそで投げやりな態度に見えるが……正直なところ、気持ちが高ぶっているせいで今だったら何でも出来る気がしている。

 だから、今ならどんな難問も解ける気がする。

 まぁ、それは言い過ぎかもしれないけど、やる気に満ち溢れているのは事実だ。


 俺がノートを開き、ペンを握ろうとすると、凛が俺のペンを押さえてきた。

 どうしたんだ?

 首を傾げ、眉をひそめると凛はドアの方を指さし、にこりと笑う。



「翔和くん、勉強をしたいのはやまやまですが……する前に外にいる方々に文句を言いに行きましょうか」

「ええと、うん? 気づいていたのか?」

「あれだけ物音を出していれば、誰でも気が付きますよ。なんの音か察しもついています」

「だよなぁ~」

「ふふっ。なので、ここは私がビシッと言って差し上げますっ!」



 凛は腕を曲げ、「任せてください」と言いたげに力こぶ辺りを叩く。


 まぁ、凛の細腕に力こぶはできてないから、ただ腕を叩いているだけだけどね。

 ってか、よくあの腕であれだけのパワーがあるよなぁ……。

 それは永遠の謎かもしれない。



「お父さん、お母さん! 盗み聞きはどうか…………と?」



 凛はドアを勢いよく開け、文句を言おうとしていたが視界に入った何かに首を傾げ、動かなくなってしまった。

 その様子が気になり、俺は腰を上げ凛のもとに向かう。



「凛、どうしたんだー………あ」

「あらあら~。二人とも早かったわねぇ~。もう少しかかると思ってたわぁ。まだ部屋で待ってていいのよぉ。今からこの愚夫を寝かせてくるからぁ」

「やぁ、早かったね。今から寝るからゆっくりしていって欲しい(リサ裏声)」



 リサさんに引きずられている凛の父親。

 風呂場ではあんなにカッコよかったのに……見る影もないじゃないか。


 今はだらんと腕を床に垂らし、口を開けた情けない姿を晒している。

 手にはコップが握られていて、耳には薄っすらと赤い線が見て取れた。


 あの耳の周りにある痕ってもしかして……。

 いや、そんなことよりも……生きてるのか?



「あの……リサさん。その、大丈夫なんですか? なんだか、白目をむいていますけど……」

「あらあら~。お酒に弱いのに飲むからよぉ~」

「あのなんか生気も感じないですし……」

「なんのことかしらぁ?」

「いや、でも……あ」



 リサさんが凛の父親の顔に手をかざすと安らかな顔に……。

 さっきはかっこよく見えた凛の父親の情けない姿は、悲しさと同時に妙な親近感が湧いた。

『女性には勝てないよ』と身をもって俺に伝えてくれているみたいだ。


 ……南無。

 俺は心の中で合掌した。



「ほんと、お母さんとお父さんは仲がいいです。仲睦まじいを体現していると言っても過言ではないかもしれません」

「めっちゃ伸びきっているけどな……」

「この形は私の理想ですね」

「……ははは」



 渇いた笑いしか出てこない。


 既にリサさんのような片鱗がある凛があんな感じになったら……。

 うん、考えるのは止めよう


 凛の父親はそのままずるずると引きずられ、寝室と思われる部屋に入って行ってしまった。



「なんかしまらないなぁ」



 その光景を見ていると、自然と口元が緩む。

 横目で凛を見るとにこにこと笑みを浮かべ、俺と同じように眺めていた。



「では、勉強後は翔和くんも泊まりましょうか。今なら止める人がいません」

「あー、その流れっぽいなぁ」

「では、一緒のベッドで寝ます?」

「俺は床。凛はベッド。ってか、泊まるならソファーを借りるよ」



 朝起きて、目覚めた凛の父親と気まずくなるのはいけない。

 耳に痕が残るほど部屋の様子が気になるぐらいだしね。


 優しく俺に語り掛けてくれる度量の大きな人だけど、娘のことはやはり心配なんだろう。

 だから、今日の俺は凛に何を言われても『いいよ』とは言っちゃいけないな。

 まぁきっと、凛の抵抗を受けるだろうけど。


 そんなことを考えながら横目で凛を見る。



「そうですか。では、タオルケットを用意しますね。身体が冷えるといけませんから」



 凛の物言いに俺はきょとんとした。

 てっきり、あれこれ理由をつけてくると思っていたが……。

 なんかあっさりと認めたな。



「……うん? やけに聞き分けがいいような」

「私は物分かりがいいので」

「なるほど……。確かに凛は頭がいいもんなぁ」

「光栄です」



 話を流そうと、深くは考えさせないようにしてないか?

 ってことは……。



「ちなみに寝相が悪いからという理由で、いつの間にかソファーに来るのはなしな」

「……え」



 凛が唖然とし、顔が引きつった。

 あ、この様子はどうやら図星みたいだ。



「両親を前にして気まずくなるのは嫌だろ。だから、先に釘を刺しておく」

「そ、そんな翔和くん! それはずるいです!!」

「鏡を見てみろー、もっとずるいことを考えていた奴が映っているぞ~」

「そんなことありませんっ」



 頬を膨らまし、「撤回してください~!」と言いながら俺の胸をぽかぽかと叩いてくる。

 それでも俺が首を横に振り続けると、観念したのか、肩を落としてため息をついた。



「……わかりました」

「お、珍しく聞き分けが——」

「もう関係なく突き進みます! 嫌がられても前進あるのみですからっ!!」

「いや、力技はせこくないか?」



 俺のツッコミを無視した凛は、腕を絡めてぐいぐいと引っ張ってくる。

 なんか、より歯止めが効かなくなったなぁ……。

 そう思うと思わず口元が緩むのを感じた。


 ちなみに、『親がいるから気まずいと主張する俺』と、『全く気にしない凛』の攻防は結局、リサさんが戻ってくるまで続くことになった。


 その後、どうなったか……。

 まぁ、ソファーではなかったとだけ、言っておくことにしよう。


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