第2話 定期テスト前に(翔和と健一)
近づいてくる定期テストの時期。
この言いようのない焦りと緊張は、わかる人ならわかることだろう。
そんなの気にならないよ!
って言う人もいるかもしれない。
確かに、中学生と違って高校生の定期テストは、留年と大学の推薦、つまりは評定が関係してくるもの程度にしか意味を持たない。
だから、中学生の時ほど真面目にやっている人は少ないことだろう。
それでも、俺は真面目に取り組んでいる。
まぁ、取り組むようになった。
と言う方が正しいか。
俺はペンを動かし、勉強が一区切りついたところで健一にこの前のことを報告した。
「なぁ健一」
「んー? なんかわからないとこでもあったかぁ?」
「この前、凛に伝えた」
「…………え?」
健一の目が点になり、口がぱくぱくと魚のように動く。それから、曖昧な笑みを浮かべてみせると肩を竦めた。
「あー……ははっ! この展開はわかってるぜ。どうせあれだろ? 今日、俺と勉強することを伝えたとか、これから頑張ることを伝えたとか……。そういう、いつも通りのチキンな報告だろ~?」
「いや、気持ちをだけど」
「キモチ? キムチ?」
「なんで片言で疑問系なんだよ」
「「………………」」
再度、固まってしまった健一と俺は見つめ合う。
健一は目をぱちくりと瞬きさせ、目を擦った。
頰を抓り、引っ張る仕草をみせ「痛い」と呟く。
すると、次第に健一の顔がほんのり赤く染まり始めぷるぷると震え始めた。
そして——。
「マジかよっ!!! よっしゃぁあああーーーっ!!!!」
家中に響き渡るような歓喜の叫び。
ガッツポーズをとり、俺の背中をいつも以上の力でバシッと叩いてきた。
……喜んでくれてるのか。
なんだか……照れるな。
俺は頬をぽりぽりと掻き、小さく咳払いをして一人お祭り騒ぎの健一を宥めた。
「健一、落ち着けって。そんな喜ぶなよ……。なんかこの後が話辛いだろ?」
「いやいやいや! これを喜ばずにいられるかよっ!!」
「そうか?」
「んだよ~。素っ気ないなぁ翔和は! 兄さんはお前の成長に感動してるぜっ!!」
「誰が兄さんだ! ってか背中を叩くなよ……馬鹿力なんだからさ」
さらに叩くせいで、背中がじんじんと痛む。
でも、嫌な痛みではなく、その痛みはなんだか気恥ずかしい思いを掻き立ててくるようだった。
健一はやり過ぎたと思ったのだろう。
ウインクするように片目を閉じ、両手を顔の前で合わせた。
「ははっ! わりぃわりぃ~」
「謝る人間がにやけすぎだろ……」
「そりゃあにやけるって! まぁ二人の距離感が急に縮まったのは、誰の目から見ても明らかだったからさ。いや~マジで嬉しいわぁ~」
自分のことのように喜ぶ健一を見て、俺の顔は湯気が出るぐらい熱くなるのを感じた。
健一のテンションにつられて、俺まで顔が赤くなってしまう。
ってか、健一……。
まだ付き合ってもないのに喜び過ぎじゃないか?
ぬか喜びっていうか……。
そんな俺の疑問を他所に、健一は「やるじゃねぇか!」と茶化すように肘で俺の腕を押してきた。
「納まるところに納まったっていうのがいいよなぁ。そんで、どういう言葉で告白したんだよ?」
「いや、それは……」
「いいじゃねぇーか! そんな勿体ぶらずに教えろって~」
「教えるも何も、そのまんまだから」
「恥ずかしがらずに。ほら、ささっと言ってくれ」
「……本物。気持ちが本物って言ったんだよ……」
「ほぉ~……」
「なんだよ……その目は?」
「いやぁ~。人のそういう話って聞くと意外と照れるんだな。俺まで顔が熱いわ」
「ったく。じゃあ聞かないでくれよ……」
健一が「あちー」と顔を下敷きで扇ぎ、嬉しそうにはにかんだ。
ってか、流れに乗せられて話しちゃったけど……こういう話をするって、こんなに恥ずかしいんだな……。
クラスの連中がそういう話をしているのを見たことがあるけど、まさか自分も経験する日がくるとは……。
まぁ、俺の場合は健一にしか話さないけど。
色々と助けてもらってるし。
凛にも助けてもらったけど、同じくらい健一にも返さないって思うんだよな……でも。
ふと、脳内に藤さんの姿が浮かんだ。
——うん。
健一にお礼と称してプレゼントを渡すのは辞めておこう。
藤さんのことを考えると、どう考えてもトラブルしか起きないし……逆に迷惑を……。
いや、健一の場合は、藤さんの可愛い姿が見れれば、それだけで嬉しいという困った性癖があるからなぁ。
ちょっと考えておくか……。
「どうしたどうした〜? 急にニヤついた顔してぇ」
「なんでもないよ。つーか、藤さんから色々聞いてるだろ? 俺から聞かなくてもいいんじゃないか?」
「いーや、琴音からは聞いてねーよ。それにこういう話は本人から聞きたくなるだろ?」
「そういうもんか?」
「ああ、そういうもんだ! 急に壁がなくなったんだから、気にもなるぜ〜」
「まぁ……お陰さまで」
「それを言うなら若宮のお陰だろ? ま、付き合ってからが本番だから、ようやくスタートラインって感じだけど」
「付き合ってから、見えてくるものがあるってことか……」
「そうそう! そういうことっ!! ここからが試練の始まりってやつだなぁ」
「そうなのか。まぁ、まだ俺と凛は付き合っていないから、そこの場所にも立ててないけど」
「へ……………………ワッツ?」
健一が固まり、ゆっくりと首をめぐらせて、こちらを向いた。
心なしか口の端がぴくぴくと動いている気がする。
……なんか、勘違いさせたみたいだな。
ここはハッキリと言わないと。
「なんか勘違いさせたようですまん。とりあえず、俺と凛は付き合ってないよ」
そう健一に伝えると、わなわな震え出した健一が机をバンッと勢いよく叩き、身を乗り出してきた。
「はぁぁああああっ!? そんなことを言っておいて付き合わなかったのかよ!! 馬鹿か!? 馬鹿なのか~っ!?!?」
俺の肩を掴み、絶叫する健一。
あまりに大きな声で叫ぶので、俺は自分の耳を塞ぐ。
その行動が気に食わなかったのか。
健一は俺の腕を掴み、耳から手を引き剥がしてきた。
「……別にいいだろ。付き合わなくても、お互いに通じるもんがあったんだし……。それにまだ付き合うのは、足りないことがあるから」
「言いたいことはわかるが……。今のお前って、将棋で王手を決めて絶対勝てる場面なのに、降参したって感じだぜ?」
「そうか? 俺的にはかなり進歩だけど」
「かーっ! そこまで進んでおいて直前でブレーキを踏むなよなぁ……。もう情けな過ぎて、胃が痛くなる!! つーか、返せっ! 俺の感動を返せよ〜っ!!」
「お、落ち着けって!! 身体を揺らすと痛いだろ……」
情緒が不安定になる健一を、俺は宥めようとする。
体を何度も揺さぶられ、俺が気持ち悪そうになると健一はようやく手を離し、大きなため息をついた。
肩をがっくしと落とし、めっちゃ落ち込んでるな……。
やばい、申し訳なさで一杯だ。
俺が謝るために口を開こうとすると、健一はそれを制し、自分の頭を乱暴に掻いた。
「まぁしょうがねぇか! 翔和と若宮が決めたことだから、俺がどうこう言っても仕方ねぇし……」
「悪いな、健一」
「別に謝る必要はねぇよ。ただ……」
「ただ?」
「あ~じれったいなぁ全く!!」
健一はテーブルに頬杖をつきながなら、不服そうにそう呟いた。
「けどさ……。とりあえず俺は嬉しいよ。牛歩並みだけど、翔和が進んでくれたことがさ」
「色々ありがと……」
「よせよせ。翔和がそんなに畏まるとなんだか背中が痒くなっちまうよ」
「はは。存分に痒くなってくれ」
なんか妙な空気……。
今までに経験したことのない、むずがゆさを感じる。俺までなんだか、かゆくなってくるなぁ。
そんなことを考えていると、健一が視線をノートに落としながら話しかけてきた。
「あのさ翔和」
「うん?」
「もう、親のことは吹っ切れたのか……?」
そう聞かれた途端、ドクンと胸が嫌な風に高鳴った。
聞いてきた健一は、目をこちらに向けてこない。
きっと気まずさがあるのだろう。
健一は唯一、俺と親の確執がある場面を見ているから……。
俺はなるべく平静を装いながら、口を開いた。
「完全にって言うのは嘘になるけどな。でも、あれこれ考えるのは辞めたよ。いない人間に恨み言を言っても虚しいだけだし」
「……そっか」
「それに俺は俺。あいつらはあいつら。カエルの子はカエルでも、生き様まで同じにはならない。これからどう転ぶかわからないけど。何もしないよりは、何かしたいと思ったから」
「そっか……」
以前にこんなことを聞かれたら、俺は無視していたかもしれない。
でも今は……、一人じゃないってわかったから。
話すことに、この話題に触れることへ躊躇いがなくなってきているのかもしれない。
そう思うと、人って変わるんだなぁとしみじみと思うよ。
俺が健一を見ると、ニカッと笑いかけてきた。
「いや~、でも見事に絆されたなぁ。“恋する女子は強し”ってわけだ」
「だな。あそこまで真っ直ぐな人がいたんだなぁ、って今更ながら思うよ。どんなに俺が曲がっても、引っ張って戻してくれるような力もあるし。おんぶにだっこって感じ」
「んー。でもな翔和。忘れちゃいけないのは、真っ直ぐっていうベクトルは指針があるからこそ成り立つもんなんだぜ?」
「うん……? どういうことだ?」
「明確なゴールがあって、支えがあるから歩み続けることが出来るんだよ。道がなくてゴールもなければ、“真っ直ぐ”なんてことは存在しないんだよ。そんなもん、ただ荒野を彷徨ってるのと変わらねー」
「明確なゴールか……。なんかわかる気がするなぁ。目的もなくただ進むなんてこと、寂しいし辛い……」
「そうそう。まぁ元から若宮は真面目で曲がったことが嫌いなところはあるけど。前は尖ってたからなぁ。……知りたいか?」
そう言って健一は苦笑した。
その表情は、なんだか過去を懐かしむというより、『大変だった』と言っているように見えた。
昔の凛か……。
昔の凛がどんなのだったか、俺は知らない。
ただ、健一が『尖ってる』と評するということは、今みたいな感じではなかったのだろう。
けど、知りたいようで知りたくない。
だって——
「終わった過去より、今の凛が俺にとっては全てだから。昔はどうでもいいかな」
「ははっ。今の翔和ならそう言うと思ったぜ〜」
「頰を突くな。ってか、男に突かれるのは普通に嫌だ」
「つれね〜な。ま、若宮ならいいってことか」
「うん……まぁ……嫌ではない」
「惚気やがって〜」と茶化すように言う。
それから、ほんのちょっと姿勢を整えた健一は、いつにない真剣な目を向けてきた。
「翔和。お前は自分が思っている以上に若宮を支えている部分があるってことを自覚しろよ? 自信がないならつければいい。並び立ちたいなら血の滲むような努力をすればいい」
「……ああ」
「大体の人間は、持って生まれた能力のせいだけにして諦める。『あいつは凄いから』の一言で自分を卑下して目を背けちまうんだ。だけど、翔和——お前は違うんだろ?」
覚悟を確かめるような物言いに、俺は頷いた。
「俺は俺らしく、泥臭くやってみるよ」
「あんまし無責任なことは言いたくないけどよ。努力は報われるもんさ。違うのは報われるまでの時間の個人差で、諦めるかどうかの差だぜ?」
「そうかもしれないな……」
——努力したけどダメだった。
でも、『ダメだった』と決めつけた時、人は終わってしまう。
これは捉え方次第だけど、俺の過去の努力は無駄ではなかった。
当時は、親に認めてもらえず不貞腐れたが、あの時の努力がなければ凛に出会いもしなかっただろう。
何かをやり続けるというのは、巡り巡って何かに変わる、繋がることがあるのだ。
俺は、それを身をもって知った。
だから——俺は、また頑張れる。
俺は、もう一度決意するように膝の上で拳を握りしめた。
「ま、カッコいいことを言っても天才は本当にいるけどな」
「おいおい。せっかくいいことを言ってたのに身も蓋もないじゃないか」
「ははっ。まぁな!」
「でも、天才はいても完璧な人はいないだろ? いるのは、“それを評した人の価値観における優れた人物”ってだけだからさ」
「そうだなぁ~……。確かに、凛もそんな感じだ」
完璧に見えるが故に期待され、理想を押し付けられ——住む世界が違う人物。
そうやって本人が望まないレッテルを貼られた女の子。
実際は年相応に脆い部分がある。
甘えたい気持ちもある。
我儘なところもある——そんな女の子が凛だ。
けど、みんながそういった部分を見ようとしていなかった。
気づこうともしなかった。
造形美を愛でる気持ちしか持ち合わせていなかった。
でも、俺は違う。
彼女のそういった部分を含めて好きだと言える。
気が付いて、余計に好意を抱いた。
だから俺はそんな彼女と、周りの評価が高い彼女と一緒にいるために——努力し続けないといけない。
そして、ド底辺だった自分を変え、周囲の評価を覆す。
「これから、見返すんだろ?」
「ああ。勿論」
「ま、千里の道も一歩よりってことで。翔和に頼まれた通り、協力は惜しまないぜ」
「ありがとう、健一。お前はいい奴だよ」
「ははっ。俺はパーフェクトイケメンだからな!」
「自分で言うな、自分で……」
キメ顔の健一に俺はため息をついた。
「それに翔和、変わるって言っても……変に気負いしなくてもいいんだからな?」
「えー……。今日の健一は何かと否定を入れるな……」
「いいだろーたまには。まぁほら、人に良いことをしようとか、印象を変えるために尽くすつうのは——言い換えれば、結局は自分のためだからな。そんなの、周囲の人間からしたら違和感しかねぇし、厚かましく思うだけだぜ」
「そっか……」
「俺が思うに翔和の変えるべきことは、“自分を抱え込んで言わない”って部分じゃねぇか?」
「…………」
「お前って自分で抱え込み過ぎちまうからさぁ。確かに、我慢は美徳つうけどな。実際は微毒なんだぜぇ? 徐々に蝕んで、感覚を麻痺させてくんだからさ」
「……我慢は毒か」
「ああ。だから、翔和が変わりたいなら我慢せず突き進めよ。お前が遠慮する必要なんてねぇし、頑張りを見てくれる人だっているんだからな」
そうか、そうだよな……。
健一にそう言われ、胸につっかえていたものがスーッと消えてゆくのを感じた。
「だから遠慮せずに頑張れよ。親友っ!」
「……任せろ、悪友」
健一は爽やかな笑みを浮かべ、俺の胸を軽く小突いてきた。
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