第24話 部屋にお邪魔します


 ——女性の部屋は良い匂いがする。

 これは男なら聞いたことはあるだろう。


 なんでも異性を惹きつけるフェロモンのおかげでそんな匂いがするんだとか……。


 正直なところ、こんな話は都市伝説だと思っていた。

 家の匂いは人によって違うというが、あくまでそれは家庭の臭い、建造物の臭いだろうと。


 まぁ、確かに凛が近くにいると甘い匂いが鼻腔をくすぐり、気が気ではない思いに苛まれるのだが……。

 それは凛が近くにいるからで、これ以上に悩まされることはないと俺は思っていた。


 けど、違った。

 初めて足を踏み入れた女子の部屋は、かつて感じたことのないほどの緊張を生み、また凛から香る甘い匂いが充満していたのだ。


 ……長居したら、死ぬなこれ。

 主に理性が……。



「あの翔和くん、もしかして緊張してますか?」

「そりゃあ……、女子の部屋なんて入ったことないからな」

「ふふっ。では初体験ですね」

「それ、両親の前で言うなよ? 俺が殺されるから……」



 自分の発言の危うさに気づいた様子はまるでなく、ただニコニコと緩んだ表情をしている。


 ……相変わらず無防備だなぁ。

 俺はため息をつき、肩をすくめた。



“ガチャ”



 うん?

 凛がドアの前から移動した時、なんか不穏な音が聞こえた気がしたが……。


 俺がドアを確認しようと体を動かすと、凛が腕を引っ張り無理矢理に座らせてきた。

 ご丁寧にマットの上である。



「何かしたか、凛?」

「何をですか?」



 可愛らしく小首を傾げる。

 きょとんと不思議そうな表情だが……。


 凛と付き合いが長くなってきたからわかる。

 これは何か、考えがある顔だ。


 まぁ、それがわかったところで俺に何か出来るわけではないんだけどね。



「さて、話は戻しますが」

「お、おう?」

「何か翔和くんがしても、殺されることはありませんよ? 翔和くんはお母さんに随分と気に入られてますし、もし仮に通り魔が翔和くんを襲ってもお母さんが守ってくれる気がします。直感のレベルが異次元ですから」

「俺は……リサさんが異世界から召喚された人と言っても驚かないな」

「どういうことですか?」

「いやいや、こっちの話」



 リサさんを主人公にしたら、無双しそうだよなぁ。

 最初の街からレベルマックスの能力カンストの作業ゲー的な感じだろうけど。


 って、今。

 あからさまに話を逸らされた気が……。


 俺は、部屋をきょろきょろと見渡す。



「あ、あの翔和くん。あまり見られるとなんだか恥ずかしくなってしまいます……」

「ああ、すまん」

「いえ、別に……」



 もじもじとして、顔を赤らめる凛を見てるとこっちまで恥ずかしくなってしまう。

 俺は空気を変えようと咳払いをした。



「ん〜、それにしても部屋が広いよなぁー。俺の家ぐらいは余裕であるんじゃないか?」

「えっと、そうですね。おそらくやや広いぐらいかと……」



 部屋に物は少なく、本当に最低限って言ったところ……だったのだろう。

 でも、所々に物が増えてきたようで見覚えがある品もいくつかあった。


 殺風景な部屋の名残、そして年頃の女の子の部屋みたいな洋装。

 発展途上の部屋って感じだろう。



「これでも物は増えたんですよ。前は机とベッドしかありませんでしたし、白い壁に白い部屋って感じでした」

「それは中々に殺風景だな……。喩えるなら……いや、なんでもない」

「囚人の部屋みたいですよね」

「自分で言うなよ。思ったことを飲み込んだのに」

「的を射ていると思いますよ? 可愛いものを集めたり、身嗜みをかなり意識したのも翔和くんと会ってからですし」

「そっか……」



 またも、もじもじとする凛。

 なんだろう、この可愛い生物は。


 自分の家だからなのか、いつも以上に感情が表に出ている気がする。

 丁寧な仕草は変わらないが、その中に恥じらいもあり……胸が高鳴ってしまうほど可愛らしく見えた。


 見てるこっちまで恥ずかしく———あれ?



「なぁ凛……」

「どうかしましたか?」

「凛の机になんか見覚えのある写真が置かれている気がするんだが……」



 落ち着かない気持ちを紛らわそうと、見渡すとふと目に入った写真。

 俺はそれを指差した。


 凛はくすりと笑い微笑む。



「懐かしいですよね」

「まぁ確かに懐かしいんだけど……って、印刷してるなんて聞いてないんだが?」

「最近のプリンターは便利なんですよね。スマホからの画像も綺麗に印刷できますので」

「へぇー、流石は文明が進化しただけは……じゃなくて、約束が違うだろ」



 そうこの写真は祭りの時、不意をつかれて凛に撮られた写真だ。

 それは二人で写った、見ようによっては綿飴を二人で食べてるように見える、例のものである。


 でもあれは、待ち受けにしないとか約束した筈なんだが……?



「確かにスマホアプリのアイコン、そして待ち受けにはしないと約束しました」

「だろ? え……まさか」

「はい、そういうことです。あの時、家に飾ってはいけないなんて決めませんでしたよね?」



 俺の顔が自然と引きつる。


 完璧にやられた。

 後々、思い返してみれば写真を消させないようにした交渉だと思っていたが……真の目的はこれだったのかよ。



「詭弁だろ、それ」

「いえ、契約に生じた抜け道を突いただけです」

「その言い訳は犯罪者のセリフだからな……」



 俺がその写真立てに手を伸ばすと、凛はそれを胸に大事そうに抱え、『取れるものならどうぞ』と言いたげな目で見てくる。


 ……ってか、ああ持たれると取れないからな。

 ある意味で鉄壁のガードだよ。

 理不尽の塊だけど。


 俺は、凛から奪うのを諦めることにした。



「まぁ仕方ないか……。恥ずかしいからこういう置き方は勘弁だけど、何か言っても言いくるめられるのは、目に見えているからな」

「むむ……」

「なんだよ。なんか不服なのかー?」

「最近の翔和くんは物分かりが良すぎる気がします! あ……やはり、何か裏が……にゃい!?」

「アホか」



 凛の頭に軽くデコピンをする。

 凛の口から猫みたいな悲鳴が出て、それに思わず苦笑した。


 額を押さえた凛は不服そうな目を俺に向け、頬を膨らませる。



「翔和くん? 最近、ツッコミに容赦がない時が増えた気がします」

「それは凛がすぐ暴走しようとするからだろー」

「落ち着かせるのにデコピンではなくて、他のを要求したいです!」

「他のツッコミってことか?」

「違います! 落ち着かせる方法は、何もツッコミだけではありませんよ」



 そう言うと凛は俺の肩に頭を乗せてきた。

 その様子を横目で見ると、目の合った凛は甘えるような視線を俺に向けてくる。



「頭を撫でると人は落ち着くそうですよ?」

「……そういうことね」

「そういうことです。ささっ、どうぞ」

「前より強引になったよな、凛」

「褒め言葉と受け取っておきます」



 俺は苦笑し、言われるがまま要求に応える。

 撫でられた凛は、嬉しそうに目を細めた。



「凛はやっぱり猫だよなぁ」

「えへへ〜、可愛がってください」

「実家ということを忘れるなよ……」



 俺はドアの方をちらりと見る。


 ガタッと音が聞こえた気がするが……。

 はぁ……きっと気のせいではないだろう。



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