第21話 だって俺は……



『常盤木君。君は何を考え、これから何をしたいのかな?』



 凛の父親に言われた言葉が脳内で何度も再生される。

 もう少し、周りくどく聞いてくると思っていただけに不意をついてきたその問い掛けが心に響くのを感じた。



「……凛の真っ直ぐなところは父親譲りだったんですね」

「いやいや、私と凛は違うよ」

「そうなんですか?」

「そうだとも。喩えるなら凛は“純粋”で、私は“不純”だよ。こうするのが効果的とわかっているから、そう行動しているまでさ」



 確かに凛は、猪突猛進でとにかく突き進む。

 聞く時は何でも直球で、ある意味わかりやすくもあった。


 けど、凛の父親にはそう感じなかった。

 同じ直球なのに感じた違和感……でも、その理由は納得である。


 でも——



「それ、俺に言っていいことですか……?」

「言わないと、余計な勘繰りに思考を割いてしまうだろう? まぁこういうことは、口に出して言いづらいことだろうから無理にとは言わないけどね」



 凛の父親は苦笑して、お湯を顔にかけてふぅと息を吐く。

 それから姿勢を直し、何かを懐かしむように天を仰いだ。



「でもまさか常盤木君とこうやって面と向かって話すことになるとはね」

「そうですね。俺も驚いてます……世間って案外狭いのかもしれません」

「ふふ、違いない」



 偶然出会った男性。

 会話もろくにしなかったのに、巡り巡って関係が繋がった。

 数奇な運命ってこういうことを言うんだろうな……。



「確か……君と会うのはこの前を含めて四回目ってところかな? 初めて会った日を覚えているかい?」

「えぇ。中学生の時ですよね。あの時はありがとうございました」

「おや? てっきり誤魔化すかと思ったけど」

「ハンカチを貸して貰いましたから。流石に覚えてますよ」



「ふふっ、そうかい」と微笑み、俺の身体をじっと見る。

 これで舐め回すように見られたら鳥肌ものだが、どちらかというと観察しているようだった。



「見たところになったね。ひとまず、その事実に私はほっとしているよ」

「凛のおかげですよ」

「ストレートに言うのは好感が持てるね。父親としても娘のことを褒められるのは、嬉しいよ」

「いえ……」

「でも、随分と素直に認めるじゃないか。娘から聞いていた印象となんだか違うね?」



 わかってて聞いてるな、この人。

 笑顔なのに、物凄く意地の悪いように見える……。


 聞いてた話と今が違う。

 その理由におおよその察しはついているに違いない。


 けど、敢えて俺に訊ねたのは、俺の口から放たれる言葉を待ってるからだ。

 俺は生唾を呑み込み、込み上げてくる緊張感を必至に押さえようとする。



「素直なのは、この場で隠し事をしても無駄だと思ってますし。それに、お世話になってる自分に出来るのは……このぐらいですから」

「このぐらいって……そうかな? 別に、自分が卑屈になる必要はないと思うよ」

「いえ……俺は本当に与えられているだけですから」



 これは本当のこと。

 彼女と接するようになった数ヶ月の間、俺は与えられて助けられただけ……。


 凛には返しきれないほど恩が溜まっている。

 それは日々溜まる一方で、少しでも返さないといけないのに……返しきれていない。

 何かしようものなら、彼女は俺が行ったことの数倍の何かを返してくる。


 有難いし、嬉しいことだが……。



「常盤木君はそう言うけどね。凛自身も貰ってるんだよ?」



 突如、俺の頭に手が置かれ体をびくっと強張らせた。

 耳を疑うようなことが聞こえた気がして、恐る恐る凛の父親に視線を移す。


 彼は優しく微笑み、ただ真っ直ぐに俺を見つめていた。



「……そうですか? 凛に何かしたあげた記憶がないですけど……」

「そんなことないよ。凛は君から、感情という制御不能なモノを貰ったからね」

「制御不能って……。今の言い方だと、厄介な代物を押し付けたように聞こえてしまいますけど……」

「はは、言い方が悪かったね。厄介で大変なものだけど、欠かすことは出来ない必要なものさ」

「……そうですか?」

「そうだよ。昔の凛は感情の起伏に乏しく、人間に対しての興味が希薄だったからね。その上、自分を表現するのが下手で……いやいや、困ったものだったんだよ」



「それが君のお陰で変わったよ。あの子はね」と、嬉しそうに凛の父親は言った。

 ただ、その表情は笑顔なのにどこか寂しそうに見える。

 嬉しいような、悲しいような複雑な感情が入り混じっているようだ。


 今の凛からは想像もつかない一面。

 だが、よく思い返してみると……周囲の人に塩対応する場面はあった。


 つまり、昔はあんな感じだったということか……。

 自分にしか知らない態度というのは、ちょっとした優越感と嬉しい気持ちにさせてくる。



「凛は努力家で、誰よりも一生懸命なのに周りはそれを理解してはくれない。周囲はと一括りしてしまうからね。それは彼女の悩みでもあったんだよ」

「そうですね……。俺も最初はそうでした」

「まあ君のお陰でその面も救われたようだけどね。そう言う意味では、君にお陰でと言えなくもない」



 凛は凄い、流石はリア神。

 住む世界が違う住人だ!


 そんなことを最初は思っていた。


 けど、一緒に過ごせば過ごすほど人間らしさ、そして彼女の努力が端々に窺えるようになってくる。


 確かに持って生まれた才能はあるだろう。

 しかし凛は、それに驕ることも胡座をかくこともない。


 何事にも一生懸命で、人一倍努力している。

 だからあれだけ凄い人物に……魅力的な存在へと昇華しているのだ。


 でもそれは、あくまで彼女の力。

 彼女の努力が報われた。

 その結果によって前と変わったに過ぎない。



「確かに凛は変わったのかもしれません。でも俺は、それを与えたなんて思いませんよ。変わる選択をしたのは本人で、そこに俺の意思はありませんから」



 だから俺は首を左右に振り、彼の言葉を否定した。



「なるほど、でもその通りだね」

「えっ?」

「君は与えてないから、返して貰う必要ない。そう言いたいんだろう? だから感謝する必要もないし、恩義を感じる必要がないって」

「は、はい……」



 反論されると思ったのに、まさか同意されるとは思ってなかった。

 それが予想外で、俺は言葉を詰まらせる。


 その様子を見た凛の父親は、まるで考える隙を与えないように言葉を連ねてきた。



「けど、きっと娘も同じことを言うんじゃないかな。『私も翔和くんに与えたつもりはありません』ってね」

「…………」

「それとも、凛が一度でも『あなたの為にやってます。感謝して下さい』と口にしたのかい?」

「……してないです」

「そういうことさ。君もそうだが、娘も同じなんだよ。したいから、自分がやりたいから、だからやるだけ。言葉を選ばずに言うと、つまりは——」




「自己満足をしているだけだよ」




 俺はすぐに反論しようにも言葉が出なかった。

『あんな頑張ってる凛にそういう言い方は……』と苦言を呈したかったのに、口からはただ息が漏れるだけ。


 自己満足。

 ただのお節介。

 これはある意味、同種の意味を持つ。


 俺はこれを使って逃げてきた。


 自分がやりたいからやった。

 だから何も感じる必要はない。

 そう理由をつけて使ってきた俺の逃げ道が簡単に塞がれてしまった……。



「常盤木君は“恩があるから返さなければいけない”。与えられてばかりだから、返さないと駄目だ。そう考えているよね?」

「……はい」

「だったらね、それはお門違いだよ」



 俺の口から「え……?」と思わず声が漏れた。


 それを聞いた凛の父親は、湯船に体を預け両腕を縁に乗っけ天を仰ぐ。

 それから、俺を諭すように口を開いた。



「そもそも、当たり前と思ってる自己満足な行いにんだよ。存在するのは、受けた方が一方的に感じる感謝だけ。貸し借りのような損得感情で恩を推し量ったりするのは、に過ぎない。だからね……」



 息を大きく吸い、キリッと鋭い目で俺を見る。

 様子の変わりように俺はたじろいだ。



「恩の貸し借りを理由に、自分の感情にフタをするのは……もう、やめなさい」



 的を射た彼の言葉が俺の心にずきりと痛みを走らせた。

 この場を直ぐにでも逃げ出して、この話を終わらせたい……本来だったらそう思うことだろう。


 今まで通り、無関心で鈍感を貫ぬけばいい。

 そう決めてきたんだから……。


 でも俺はそんな事情すら忘れて、思わず彼の顔を見てしまった。


 凛と同じ、全てを見透かすような澄んだ瞳。

 安心感を与えてくれるような、そんな目で俺を優しく見つめている。



「……聞いてもらっても……いいですか?」

「ああ、勿論」



 にこやかな笑みを浮かべ、彼は首を縦に振った。


 今から話そうとすることを考えると長風呂による体温の上昇とは違って、顔だけが熱くなる。

 動悸は激しさを増し、今にも張り裂けそうだ。



「俺は、人はいつか去るものだと思っています」



 いくら仲を深めても環境が変われば人は変わる。


 今まで仲のよかった友人。

 想いが通じた恋人。

 これも全て、永遠じゃない。


 家族でさえそうだ。

 関係は、あっさりと終わる……。


 “死が二人を分かつまで”

 こんな言葉もあるが、でもそれは言い換えればということだ。


 死というのは最期の終着点で極端な例だが、その前にも簡単に関係は終わることだってある。

 いや、寧ろかなり多いだろう。


 喧嘩やすれ違い、新たな出会い心が惹かれ同時に元あったモノから離れてゆく。


 それは仕方ない。


 人である故に、感情は言うことを聞かない。

 突然芽生えるし、突然消えもする。


 だから、“ずっと一緒”、“永遠を誓う”……その考えは有り得ない。



「元から失うものが確定しているのだったら、関わらなきゃいい。気付かないように、考えないようにすればゼロのままでいられる。何より辛いのは、ことですから……」

「なるほどね」

「その考えは今も変わりません。生まれてから染み付いた考えは、簡単にはなくなりませんし、簡単に全てを受け入れるのは、不可能です」



 感情を押し殺すのは得意だった。


 ——諦めて。

 ——捨てて。


 見なかったことにするは、いつものこと。

 鈍感で気づかなくて、怠惰で魅力がなくて、そんな人物で俺は良かった。

 そして凛が離れてくれるまで、惰性で一緒にいて、しぼり尽くすようなヒモの生活に従事する。


 それは、この上なく楽なことだ。

 最低最悪だけど、それで離れてくれればよかった。


 何もなければ失わない。

 存在しなければ消えもしない。


 それが一番いいと思ってたから。

 そうすれば——寂しさを感じないで済むと思っていた。


 けど——



「でも俺は……凛の隣で立てるような人になりたいんです。そう思うようになりました」



 この関係が今にも終わるかもしれない。


 それは明日かもしれない。

 風呂からあがったら、そこに凛はいないかもしれない。


 いつかはそうなる。

 そう理解しても、少しでも長く隣にいたい。


 消えることが辛くても、僅かな時間であっても一緒にいられるなら————共に過ごしたい。



 でも、今の俺では彼女の横に居座る資格はない。



「けど、今のままの俺は隣いても霞んだしまうような脆弱な光です。そんな俺でも彼女の影になるのは出来るかもしれません。一生付き纏うような、最低な影には……」



 最低な影として、腰巾着のように一緒にいる。

 彼女を蝕む寄生虫のように彼女を縛り続ける。


 それは“ヒモ”。

 与えられるだけで何もしない。

 そんな人間に俺はなることは、確かにできる。



「自分に甘えて、今に満足して与えられるだけ与えられて……、それに依存するだけなら簡単ですから」



 家畜のように餌を与えられ続け、居心地の良さだけに満足する。


 何の考えもいらない。

 そんな甘い考えは、あらゆる面で楽なことだろう。


 けど——



「それでは、ダメなんですよ……。感情を押し殺して、甘えるだけの自分じゃ……そんな自分では隣に立つのも辛いだけなんです」

「なんでダメだと思うんだい?」

「だって俺は……」



 俺は唇を噛み、大きく息を吸う。

 そして、口が開くのを黙って待ってくれている凛の父親を見た。




「隠せなくなってしまいましたから——凛を好きになった、この気持ちを」




 流れ始めた気持ち。

 親と同じになりたくないと、決して芽生えさせてはいけないと決めていた気持ち……。


 偽りたくて、認めたくなくて、捨ててしまいたかった……そんな想い。


 それは急流を下るように、もう止まらない。

 ——俺の中で確かに流れ始めていた。

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