第15話 一週間ほど経ちまして


 今日は休日。

 珍しくアルバイトもなく、俺は家でのんびりと寛いでいた。

 まぁ、のんびりと言っても定期試験は近いので勉強をしているわけだが……。


 でも定期テストが近づいているということは些末な問題で、もっと考えないといけないことが俺にはあった。



「なぁ凛」

「なんでしょうか翔和くん」



 相変わらずの綺麗な姿勢。

 凛は目を伏せ、正座をしながらお茶を啜る。

 すましたような表情だが、その仕草から俺が何を言おうとしているか察しているようだった。



「もう一週間経ったんだが……」



 そう、あの凛が俺の家に飛び込んで来てから一週間が経っていた。

『話をしに行きます』と言っていた凛も特に動いた様子もなく、俺の家に入り浸っている。

 つまりは、夏休みと同じ同棲生活だ。


 ……これが学校の連中にバレると恐ろしいな。


 嫉妬の嵐、虐め……そんなことに発展してしまうのが容易に想像ついてしまう。

 俺に矛先が向き、面倒なことになるのは一向に構わないが、凛に矛先が向くことだけは避けたい。



 だから秘密にしたい…………筈なんだけど。



 凛は隠すつもりもないらしく、既に噂は広がっていた。聞かれたら正直に答えるし、噂を否定しようともしない。


 ま、せめてもの救いが『幼馴染だから』という設定が加わったことだろうか。

 そのおかげで、『小さい頃から仲がいいならしょうがない』みたいに話しをしている人も少数ながらいる。


 あくまで少数だけど……。


 俺は凛の顔をチラッと見る。

 視線に気がついた凛は微笑みを向けてきた。



「時間は経つのが早いですね」

「確かに早いけどさ。そういうことじゃなくて」

「楽しい時間なので仕方ないです。私としては一向にこのままでいいのですが」

「おーい、話を聞けー……」



 凛はもう一度お茶を飲み、ふぅと息を吐く。

 それから、くすっとからかうような魅力的な笑みを浮かべた。



「ちゃんと話は聞いてますよ。ただ、連絡待ちで待機状態なんですよ」

「うん? じゃあ、話をしようとしたのか?」

「勿論です。それに翔和くんが一緒にいてくれるって仰ってたので、行動しないわけないじゃないですか」

「お、おう……そうだったな」

「あ……はい……」



 お互いにこの前の夜を思い出したのか、顔が赤くなる。

 ……そんな反応されると、俺まで恥ずかしくなるじゃないか。



 凛を落ち着かせるために話。

 あれが凛に影響を与えたのは間違いない。

 今までも距離が近かった凛は、さらに遠慮がなくなっている。


 前までは、俺を論破して行動に移すことが多かった。

 俺の屁理屈や言葉を上手く返し、凛が望む方向に持っていかれる——そんなことが多かった。


 けど、今は……。

 俺の脳内にこの一週間の理性と本能のせめぎ合いが再生されてゆく……。



『翔和くん。お風呂、一緒に入りましょうか』

『いや、入らないけど』

『じゃあ、翔和くん。服が脱げませんので手伝ってください』

『“じゃあ”と言ってる時点で怪しいからな』

『では翔和くん、お風呂上がりにボディークリームを——』

『落ち着け』

『にゃっ!? うぅ、翔和くん痛いです』

『落ち着かない凛が悪い』

『……傷つけられたので責任とってください』

『めげねぇな、おい……』



 とまぁ、これはあくまで一部始終だが……。

 メンタルの削り方が以前の比ではない。


 けどこのやりとりも毎度の事となると、掛け合いみたいで面白くはあるんだけどね。


 でも、凛のような女の子に連日連夜やられると、幾ら慣れてきた俺でさえ、我慢するのには限界がある。

 最早、俺のメンタルは修行僧のそれだ……。


 ちなみに健一に相談したら『それでも我慢できるって、翔和は不能なんじゃないか?』と、めっちゃ失礼なことを言われた。


 いや、ご指摘は最もだけどさ。

 俺は正常だと思うぞ……たぶん。



 赤みがひいてきた凛がコホンと遠慮気味に咳払いをする。



「えっとですね翔和くん。今、我が家は荒れてるようで……」

「あー、あの一件があったから夫婦喧嘩になったのか?」

「いえ、喧嘩というよりは防戦一方という感じでして……。少し前に琴音ちゃん達が話していたと思いますが……」

「話してた……? あ、もしかして姐さん?」

「そうなんです……。どうやらお母さんも止めてるみたいで」



 見た目がヤンママにしか見えない藤さんの母親。

 目つきとか人殺しそうなぐらい怖かったからなぁ……。

 思い出すだけで、体が震えてしまう。



「けど、暴力は感心しないけどなぁ。いくら言い争いになったからって手を出していい理由にはならないし」

「違いますよ、翔和くん」

「違うって? 姐さんに凛の父親がボコボコにされてるんじゃないのか?」

「発想が物騒ですね……。見た目に囚われてはダメですよ? 確かに一発や二発はあるでしょうけど」

「やっぱりあるんだ」

「けれど、ほとんどは論破されてると思います。つまりは口論でボコボコにって感じですね」

「へぇ〜」



 俺は感嘆の声を漏らす。


 見た目からはすぐに手が出そうな感じだけど……。

 人は見かけによらないってわけか。


 どうして、そんな口が回るのか興味があるけど……人を詮索するのは良くないからな、やめとこう。

 誰にも掘り起こされたくないものはあるしね。



「なので、家が落ち着いたら連絡が来る手筈になってますよ。お母さんが迎えに行くって言っていましたし」

「そっか。んじゃ、それ待ちってわけだなぁー」

「その通りです。私個人としては、このまま居候させていただいてもいいんですけどね」

「……それは最終手段な」



 俺は苦笑し、肩を竦めた。



「どうかしたか?」

「ひとつ思ったことがありまして」

「うん?」

「最近の翔和くんって屁理屈を言いませんよね? やたら素直と言いますか、張り合いがないと言いますか……」



 凛は俺の顔をじーっと、怪しむような目で見てくる。全てを見透かすような澄んだ瞳は、俺を暴こうとしているようだった。


 俺はそんな凛の態度に苦笑いする。


「心配かけて悪いけどさ。ま、人は変わるってことだよ。それに前と違うっていうのは、別に悪いことじゃないだろ?」

「うーん……確かにその通りですけど」

「釈然としないなぁ〜」

「だって……。翔和くんの場合は余計なこと考えてそうで不安ですし……」

「信用されてないな」

「どうしても以前のイメージがありますから……。本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だってマジで。心配しなくていい」

「嘘、言ってたら許しませんよ?」

「心配性だなぁ凛は」

「翔和くんの場合は溜め込む前例がありますからね……。変に勘繰ってしまうんですよ……」



 俺の胸に手を置き、心配そうに顔をのぞきこんでくる。


 ……心配させすぎだな、俺。

 日頃の行い、今までのことを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。


 だから俺は凛の頭を、目から不安の色が消えるまで優しく撫でる。

 すると凛が俺の腰に手を回し、自分の身体を押し付けるように抱きついてきた。



「心配かけてごめん。けど本当に大丈夫だから……今は前を向いてる」

「……その顔は反則です。卑怯ですよ……」



 ぼやくように言った凛を俺は撫で続ける。

 やがて、ようやく顔を離した凛が熱っぽく潤んだ瞳で俺を見上げた。



「凛ちゃ〜ん! 来たわよぉ〜」



 ムードを一瞬で崩すようにドアが勢いよく開く。

 妙に間延びした声が俺の耳に届き、俺と凛は顔を見合わせて苦笑いをして、それから玄関の方に顔を覗かせた。


 視界にとらえたのは、胸元を強調したような服を着た煌びやかな女性と、そしてその隣には——右の頰を真っ赤に腫らしたスーツ姿の男性が立っていた。



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