第12話 凛とハプニング


「翔和くんヘルプです」


 凛が風呂からあがるのを待っていると、そんな声が聞こえて来た。

 ただ、切羽詰まるような緊迫感はなくあくまで何か困ったことがある。

 そんな風な言い方だ。



「どうかしたか? タオルなら置いてあるから使ってくれ」


「いえ、タオルは大丈夫なのですが……その」


「うん?」


「着替えをですね……」


「あー、なるほど」



 凛にしては珍しいが、寝巻きや下着を持っていくのを忘れてしまったようだ。

 夏休み、一緒に過ごしていた時はそんなことは一度もなかった。

 たまに、リア充カップルに唆されたのかハニートラップ的なことを仕掛けてくることはあったが……。


 今回は感情が昂ったまま風呂場に直行したから……まぁ、これは仕方ないかな……。



「じゃあ凛、キャリーケースごと持っていけばいいよなー?」


「すいません……。ご迷惑を……」


「別にこのぐらい大丈夫だよ」



 俺はキャリーケースに視線を移つし、それを手に持つ。

 荷物を無理矢理つめられたせいか、やけに重たく感じた。

 そんなことを思っていると、ふと視界の端に捉えた物に自然と視線が移ってゆく。



「この布はなんだ……?」



 そう俺は家に凛が来て以来、この黒い布が気になっていた。

 けど、人の荷物を勝手に開けて確認するのは流石に憚れる。


 だから俺は、少しだけキャリーケースを開けて、その黒い布を中に押し込もうとした。

 しかし、開けた途端ひらりと布が落ちる。


 そして、都合よく広がるその布————。


 いや、黒色のパンツ。

 それも相当際どいタイプのが、俺の前に無造作に降臨することになった。



「………………」



 俺はそれを無言でキャリーケースにしまう。


 うん、これは見てはいけないやつだ。

 人の趣味をとやかく言うつもりはないが……。


 ……意外とああいうのが好みなのか。


 俺は頭を左右に何度も振り、こびり付いて離れていかないさっきの下着をなんとか忘れようとする。


 布面積が少なめの、紐タイプの——。

 あー何考えてんだよ。

 意識すんなって!



「翔和くん、どうかしましたか? このままでは、身体が冷えてしまうのですけど……」


「え、あ、すまん!」



 別に悪いことをしたわけではないのに、見てはいけない物を見たせいで妙な背徳感がある。

 そのせいで言い淀み、変に噛んでしまった。

 俺は慌ててキャリーケースを運び——



「やばっ!?」



 慌てたせいで俺は転び、凛の荷物を思いっきり床にぶちまけてしまった。



「痛……」


「翔和……くん?」


「……あ」



 視界に飛び込んできた光景は、水が凛の長い髪から水滴がぽたぽたと落ちていて、タオルで前を隠す凛の姿。

 それは、俺にとって大変刺激が強いものだった。


 いくら隠してるとはいえ、白く細やかな身体が扇情的なシルエットとなって透けている。

 腰からお尻にかけての曲線も素晴らしく、水着姿で見ていたとはいえこの芸術的な美しさは、視線を反らそうにも目が離せない。。

 だから、まるで時が止まったように、瞳がその姿を捉え続けてしまっている。



「あの、翔和くん……? 大丈夫ですか?」



 顔を赤く染めながらも、心配そうか表情で俺の横に座り込む。

 ちゃんと見えないように座っているあたり、流石としか言いようがない。

 ……残念な気がするのは否めないけど。



「俺は大丈夫。その悪い、荷物が……」


「荷物はしまえばいいので大丈夫ですよ。それよりも怪我とかはないですか?」


「ああ問題ない……でも、とりあえず」


「とりあえず、なんですか?」


「服……着ようか?」


「なるほど。そういうことですか」



 何故か動じた様子もなく、寧ろ堂々としている。

 いつも通りの凛であるように見えるが、耳は真っ赤に染まっていた。

 お風呂あがりのせいっていう考えもあるが……。

 きっと無理して……いや、あえてそうしてるんだろうな。


 そんな俺の心境を察したのか、


「私は、この程度では動揺しませんよ。常に色々と覚悟して過ごすようにしています」


「そんな覚悟はいらないからやめような」


「据え膳食わぬは男の恥と言いますし、翔和くんがいつ豹変しても大丈夫です。男は狼で獣、一回でも踏み出せれば大きく変わるそうです」



 微妙に偏った倫理観に俺は苦笑する。

 そして、それを植え付けたのはきっとあいつらだろう。



「相変わらず変なところから知識入れてくるなよなぁ。健一とか、藤さんとか碌なことを言わねーな」


「ある意味ただしいことだと思いますよ? 最初は怖くても、一歩踏み出せば躊躇がなくなるそうですし。なので、この状態から翔和くんが狼さんになっても…………その、大丈夫ですからっ!」



 耳だけではなく、顔までも真っ赤。

 強がっているのは明白だった。



「もういいから強がりとか……。まぁとりあえず」



 俺は散らばった荷物から無造作にとった衣類を何点か拾う。

 そして、それを凛に手渡した。


「これでも着て——」


「そ、それは見てはダメです!!」



 凛が俺の手を掴み、そのせい手からひらひらと落ちる先程の黒い布。

 それがまるで標本のように、綺麗に床へ開いて落ちた。


 時が止まったような一瞬の静寂。

 お互いに顔を見合わせて、曖昧な笑みを浮かべる。



「——————っ!?!?」



 声にならない叫びが凛から発せられ、床に散らばったそれらを回収すると、隠すように蹲ってしまった。

 俺は天を仰ぎ、なるべく凛を見ないようにする。

 そしてフォローの言葉を口にすることにした。



「ま、まぁ。凛。その、あれだ……。人の趣味は色々だから……下着を派手なのにして、ストレスを発散っていうのも悪くないと思うぞ。うんうん……」



 俺の精一杯のフォロー。

 懐の深さも見せた、完璧なフォローだ。


 凛も感動で震えだし——



「私そんなに、はしたなくありませんからっ!!」



 と、何故か怒り出し俺はその場から追い出されてしまった。

 ……見られたくない物を見られて恥ずかしかったのだろう。

 俺は嘆息し、凛が来るの待つ。



 ちなみこの後、寝巻き姿で凛が現れるまで数十分かかった。

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