バレンタインSS 翔和と凛の場合


 ——バレンタインデー。


 それは男性が最も落ち着かない日だ。

 そして最も格差が生まれる日でもある。


 ただ、それは男性からの目線であって女性にとっては“勇気をくれるイベント”でもある。

 バレンタインという出来事が女性の背中を後押ししてくれるのだ。


 だからこの日を境に付き合ったり、関係性が変わったりと何かと変化することがある。


 今までの俺は関係なかった。

 縁がないと思っていたから。


 けど今は——



「……翔和くん? これはどういうことか説明していただけますか?」


「いや……、俺にも何が何だか……」



 凛の大きな瞳が俺を真っ直ぐにとらえている。

 しかも、壁を背にしているせいか逃げられない。


 ……まさか、凛に壁ドンされるとはね……。

 関係性が変わるって、問い詰められる方になるとは想像してなかったよ。


 どうしてこうなったのか、それは——



「どうして、下駄箱から恋文らしき物が出てきているのですか?」



 そう、俺の下駄箱から明らかにラブレターだとわかる手紙が入っているのだ。

 チョコは流石に入ってはいなかったが……。

 いや、その前にチョコを下駄箱に入れるのは衛生的にアレか……。



 まぁ、それはともかく今は朝、そして場所は下駄箱。

 とにかく人が多い時間だ。


 目立ちたくはないその時間なのに——



「さぁ、白状しましょうか? 大丈夫です。私は寛容な人間ですから……」


「……凛? 寛容って言う人間の目が笑ってないのはどうかと思うぞ?」


「そんなことありません。私はいつでも笑顔です」



 あー、やばい。

 これは話を逸らさなきゃ不味そうだなぁ……。



「なぁ凛、確か今日……何か準備してるとか言ってなかったか?」


「……準備と言いますと?」


「ほら自分で言うのも変な話だが、今日はバレンタインデーだろ? もしかしたら何かあるかなぁーって……」


「確かにありますけど……」


「めっちゃ食べたい!」


「タイミング的にどうかと思いますが……。あ、でも丁度いいですね」



 このまま追求が終わらないと思ったけど……。

 なんだ、『丁度いい』って……?


 凛は俺の方を向き、微笑みかけてくる。



「さて、翔和くん。チョコレートの渡し方に伝統的なものがあるのはご存知ですか?」


「んー……いや、知らないけど。普通に手渡しじゃないの?」


「違います。宜しければ教えて差し上げましょうか?」


「いや、必要ないから」



 俺は食い気味で断る。

 ここで“大丈夫”というどっちの意味で捉えられてもおかしくない発言をしないあたり、俺も少しは成長したのだろう。


 凛のことだ、なんか変なことを考えていてもおかしくない。

 その証拠に俺の心臓が激しく鼓動して、まるで危険を知らせているみたいだ。


 まぁ、一年近く凛と接していればわかってしまうのかもしれない。

 そう思うと嬉しくもあるけど……。



「お断りします。絶対に教えますから」


「それ最初から聞く意味なくない!?」



 俺はげんなりとして凛を見る。

 何故か凛は勝ち誇ったような顔をしていた。


 力技でねじ伏せたのにその表情って……全く。


 でも、こうなった凛は意見を変えることはない。

 だから俺が折れるしかないから……はぁ、ため息しかでねー。



「いいですか? チョコをひとつ持ったら、こうやります……」



 凛がチョコを口にくわえ、俺に「んーっ」と言って口を近づけてきた。



「凛……まさかと思うが、こんな人が賑わう下駄箱でそんなことをしないよな?」


「んーっ……」


「えーっと……冗談、だよね?」


「ん〜?」


「頼むから冗談だと言ってくれ!」



 凛の顔がいつの間にか目の前まで迫って来ていた。

 ただでさえ、朝の昇降口は人が多いというのに今は見物客でごった返し始めている。


 俺は凛に耳元に顔を近づけ、小声で話す。


「とにかく落ち着け凛、ここじゃ不味いって」


「んっ!」


「待てって! ここじゃなくて、他なら気の済むまでいいから……。だからさ、ここでは——」


「ふふっ。言質とりましたからね? 約束ですよ?」



 凛は妖艶で魅力的な笑みを浮かべて、俺からすーっと離れた。


 くそ……最初からそのつもりだったのかよ。



「なぁ、凛なんでこんな目立つことをしたんだよ。これだったら、普通に家でやればよかったじゃないか……」


「それはですね。『翔和くんを絶対渡しません』というアピールは必要かと思いまして。周囲への牽制も兼ねてました」


「だと思ったよ……。ちなみにこの案ってどうせ健一か藤さんだろ?」


「ソンナコトハナイヨー」


「なんで嘘を隠すのは異様に下手なんだよ……」


 俺は嘆息し、肩を竦めた。

 正直者過ぎる弊害なのか、本当に嘘という嘘をつけないよなぁ。



 ……うん? 

 よく見たら、この下駄箱にあった手紙、二枚あるぞ?

 一枚は丁寧に封がしてあるし……もう一枚は?



 俺は“常盤木君へ”と書かれた、封のしてない方の手紙を見る。

 そして、その中身を見て納得した。



「翔和くん? どうかしまし……あ、その手紙を忘れてました!!」



 凛がその手紙を見ながら「ゔー」と低く唸る。

 毛を逆立た猫みたいだ。


 俺は凛の頭に手を置き、優しく撫でる。

 すると、さっきまでの表情が嘘みたいに柔らかくてなり、今度はだらしなく緩んでいった。



「まぁ俺はただの伝達役だよ。だから気にすんな」


「……信じます。けど、その対応はずるいと思いますよ?」


「じゃあやめる?」


「それは嫌ですけど……」



 不安そうに見上げる凛を頭をポンポンとする。

 この状況をどうにかしたいが、もう俺にはどうすることも出来ない。


 まぁ、今更周囲の視線を気にしても仕方ないか……。


 俺は周りの殺気に満ちた視線に嘆息し、この後に起きる出来事で大変な目に合うあろう友人に向けて合掌をした。



 健一……頑張れよ。



 俺は手紙をそっと鞄にしまい、心の中でそう呟いた。

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