第45話 なぜか、リア充と噂があるんだが


 額に嫌な汗が滲む。


 やってしまった。

 ぽろっと失言してしまう政治家並にやってしまった。


 凛が申し訳なさそうに俺を見る。


 いや、これは全面的に俺が悪い。

 ぽろっと口に出してしまったのは俺だ。

 名前で呼ばれ、それを反射的に返した凛は何も悪くない。


 これは、凛と2人で遊園地に遊びに行ったときで名前を呼ぶ自分に違和感を感じなくなった俺の責任だ。


 俺は内心で舌打ちをする。

 これが慣れることの恐ろしさか……。

 自分から約束を破ってしまうなんてありえねぇよな。


 あー現実逃避したい。

 しかも恋愛脳の健一のことだから……。



「いやぁ~なんだよ。もう名前を呼び合う仲だったのかよ? ってことは、まさか付き合ってたのか? それならそうと早く言ってくれればいいのによー」



 ほら、やっぱり。

 そういう結論になる……。



「……凛、黙っていたの?」


「えっとですね……」



 ジト目で凛を見つめる藤さん。

 いつもは凛々しく冷静沈着と言う言葉が似合う彼女だが、今は珍しく焦りの色が濃く見える。

 リア神は、俺に『どうすればいいでしょうか?』と助けを求めるように潤んだ瞳を向けてきた。


 仕方ない。



「2人とも、勘違いしてないか?」


「うん? 勘違い?」「……勘違い?」


「ああ、っそうだ。名前で呼んだぐらいで“付き合った”になるわけないだろ? そんなこと言ったら名前で呼ぶようになった奴らがみんな付き合っていることになってしまう」


「まぁ、確かにそうかもしれないけどさぁ〜」


「それにだな。名前を呼んだぐらいで、その考えに至るなら俺の名前を呼ぶ健一は“俺と付き合っている”ってことになるんだが」


「俺と翔和が……? うげぇ……それはねぇわ」


「……常盤木君が私の恋敵。思いもよらない伏兵……油断していた」



 おい。

 吐く真似はさすがに失礼だろ……。

 まぁ確かに想像したら気持ちが悪いのは否定しないが……。


 つか、藤さん。

 それ本気で言ってるわけないよな?

 俺を見る視線が一際鋭くなったけど……。


 凛の方をチラッと見ると顎に指を当て何かぶつぶつと呟いている。

 微かに聞こえたのは「だから興味……」って部分だけだが……。

 ま、聞かなくてもいいだろう。

 つか嫌な予感がするから聞きたくない。


 そんなことを考えていたら、いつの間に近くに寄っていたリア神に肩を叩かれた。

 そして何故か正座をし、いつになく真剣な面持ちである。

 まるで浮気を咎める妻のそれと一緒だ。



「……翔和くん、1つよろしいですか?」


「いいよ。まぁ別に聞かれて困ることないから、1つや2つなんでも聞いてくれ」


「では、お言葉に甘えて……」



 目を閉じ胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。

 それに合わせるように、やや主張しているリア神の胸が上下に揺れていた。



「翔和くんって男の子が……好きなのですか?」


「あー、随分とまぁストレートに聞いてきたな」


「どうなのですか?」「……私も気になる。教えて常盤木君」



 藤さんまで何故か俺の前で正座をしている。

 つか、あんたも気になるんかい。


 俺の目の前に座る美少女達の後ろには、憎たらしい笑みを浮かべ、状況を楽しんでいる悪友の姿が……。

 後で、覚えてろよ……健一。


 俺はため息をつく。



「……違うよ。ってか普通にあり得ないだろ」


「……あり得なくはない。噂もある」


「はぁ? 噂?」



 首を傾げ、相変わらずニヤついた健一を見る。

 だが、健一もわからないのか同じ首を傾げた。

 リア神は知っているのだろう、気まずそうな顔をしている。



「藤さん、一応教えてもらっていいか? その噂って奴を」


「……うん。“王子と下僕の禁断の恋”っていう噂……」


「え、何それ?」



“王子と下僕の禁断の恋”?

 なんの噂だ、それ……。

 王子っていうのはイケメンである健一のことだろう。


 ってことは……。



「もしかしてたが“下僕”って俺のこと?」


「……そう」


「つまりは、BL《ボーイズラブ》の噂があるということか」



 後ろで健一が頭を押さえ、「マジかよ」と呟いた。

 恐らく、噂は面白可笑しく誰かが適当に流したものだろう。


 たしかに休み時間の度に話しかけてきた健一。


 俺は他の奴とは全くと言っていいほど話さない。

 話をしてしたとしても「プリントを後ろに回して」みたいな業務連絡程度だ。


 だからこそ生まれた噂。

 大方、俺が心を開いたということは“何か特別な関係”とか、変な妄想をしたんだろう。


 正直、同性愛についてはわからんが……。

 フィクションで格差のある男女が付き合うというのはあるからな。



 でも、このネタは健一をひと泡吹かせるに使えるか……。

 よしっ——



「はぁ……健一。ついにバレちまったな」


「…………はい?」



 目を丸くする健一。

 残りの2人も唖然としている。


 俺はスッとその場を立ち上がり、健一の正面に移動するとそのまま抱き着いた。

 イケメンと底辺の気持ち悪い抱擁である。



「すまん! 俺が隠すのが下手だからっ」



 そう言って、目元を押さえて洗面所に走り込む。

 嗚咽を漏らして泣くような演技も加え……。



「……健一。どういうこと? まさか……本当に」


「いやいやいや!! マジで違うからっ! つか、翔和の野郎……俺を嵌めやがったな!?」


「……ハメ? 健一……ちょっとこっちに来なさい」


「ちょっ、待てって! 痛いって! 耳がぁぁあああっ〜」



 家に響く悲痛な叫び。


 ふぅ。

 一矢報いてやったぞ。


 健一生きて帰ったら愚痴ぐらい聞いてやろう。

 とりあえずは“合掌”。



「翔和くん?」


「り、凛……」



 俺の横にいきなり現れた凛に少したじろぐ。

 人が2人並ぶにはかなり狭い洗面所。


 そんな場所だからか、俺と凛は肩が当たってしまう。



「さっきの嘘ですか?」


「当たり前だろ」


「では、男の子には興味がありますか?」


「だからねぇよ!」



 首を左右に振り、否定する。

 それでも疑うようにじーっと見てくるリア神に俺は嘆息した。

 疑う余地がないだろうに……。



「証拠はありますか?」


「証拠って言われても、証明できるものがないな。つか、何を持って証明すればいいんだ? あくまで自己申告の世界だろ、こういうのって」


「じゃあ、確かめます」


「なっ!?」



 凛は俺の背後に回り、俺の背中にぴたっとくっつくとそのまま顔を埋めてきた。

 真後ろだから見ることができないが、鏡に凛の頭だけ少し映っている。


 背中に感じる柔らかい感触と夏の暑さとは別の温かさが相まって、俺の頭を焚きつけたように熱くする。

 こんな特殊な状況による動揺と健一たちにバレたらマズイという焦りから動悸も激しくなり、これ以上高鳴ったら死んでしまいそうなぐらいだ。


 そんな焦りまくる俺とは違い、凛は「ふふっ」と小さく笑った。



「……なんで笑ってるんだよ」


「背中から聞こえる鼓動が凄く早くて、少し笑っちゃいました」


「ちっ、仕方ねーだろ。抱き着かれれば、嫌でも反応するわ……」


「もし反応しなかったらどうしようと思ってたので、安心しました」


「あんなの真に受けるなよなぁ……。それに確かめるためにここまですることないだろ」


「確かめるためだけじゃないですよ?」



 リア神の言っていることがわからず、眉をひそめる。



「じゃあ……なんでだよ」


「私が“したかったから”です。他に理由がありますか?」



 俺の背中から聞こえる澄んだ声が迷いなく答える。


 はぁ、ため息しか出てこない。

 リア神は自分の行動をわかってるのか?


 家の中だからまだいい。

 他人の目もないから……。


 これが人前だったと思うと……はぁ、凛には自分の影響力とか考えて欲しいものなんだがなぁ。


 一応、忠告をしておこう。



「……誰でもやるなよ? 勘違いする奴がでるからな……」


「わかっていますよ。誰でもはやりませんし」


「ならいいが……」


「それに翔和くんなら……勘違いしてくれてもいいですからね?」


「するかよ。ってか、いつまでこうしてるんだ? もう確かめたんだからいいだろ?」


「嫌です」


「えー……」



 俺は嘆息し、背後にくっつくリア神を剥がそうとする。

 が、剥がれない。

 より強くひっつくだけである。


 この華奢な身体のどこに、こんな力があるのだよ。

 もしかしたら運動したら、俺より全然出来るんじゃないか?


 ……いや、出来るのか。

 スペックが元々違いすぎるし。


 結局、ゾンビと化した健一が這って呼びに来るまでこの状態は続いたのだった。


 まぁ、名前呼びに対する話から逸らすことができたから良しとしておこう。

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