[ネタ]理解の境界線
たしかに、そうなるよなぁ。
いやいや、そうはならんやろ。
という感想を抱いたことは、誰しもなくはないと思いますが、どうしてそちらに傾くのか、考えたことはありますか?
ある登場人物が動機を語っているときに、たしかにそれは一理ある怒り恨みだ、と同情したり、あるいは、いや、それは思い込みが過ぎるんじゃないかなぁ、と首を振ってみたり。
この境目って、個人差があると同時に、故に曖昧なものですよね。ひとつの作品を見て抱く感想が違うのと同様に。
どちらに傾くのか。それは作品ごとに変化するとしても、人によって傾向はあるんでしょうね。私だと論理が通らないとハテナとなりますし、映像の作り込みのインパクトがあるだけでもすごい作品だと言ってしまいます。
映像の出来に関しては主観が入るので置いておくとして、では論理が通らないと、そうはならんやろ、と冷めてしまうのはなぜなのでしょうか。
おそらく、登場人物たちが人物でなくなるから、なのだと思います。
例えばあるキャラが楽しそうに笑っている。でもその視線の先には虐待されている何かがいる、というシチュを考えてみてください。
倫理は通らないにしても、論理は通るんですよね。笑っている方は、もう一方を笑い者にしているのだと。つまり、加害者はそういうやつなのだ、という論理が通ります。
一方、笑っているのが被害者で、加害者は嫌そうな顔をしていたらどうでしょう? 理由が後程語られるのならまだいいのですが、痛め付けられてるのに笑ってるマゾヒストかよっていう感想を抱くことになります。
ここで制作者の影が出てくるんですよね。
これは登場人物たちの物語ではなくて、制作者の作った物語だと、制作者がアピールしたい都合で論理も倫理も通していくぞ、というものが、視聴者に簡単に見抜かれてしまうからなのでしょう。
なぜ喜ぶのか、怒るのか。叫んでいるのか、泣いているのか。それが出るべくして出ているのか? そこに視聴者は気づきやすい、といったところでしょうか?
それこそ、いつの間に好意を寄せているのかとか、なんで気になっているのか、とか。
視聴者に寄り添う、というよりかは、エピソードの中の彼らが彼らであるか、ということですかねぇ。もし理由があるならちゃんと描かねば。
物語は冷められたら終わりなところ、ありますよねぇ。
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