[創作論]コンテンツといえばなんですか?

 個々が発信して何かする、というものはここ数年で一気に敷居の下がったことであるが、それは同時に、個人が、これをコンテンツとして提供します、と宣言していることでもある。


 ではコンテンツとは何か? まぁなんでもいい。面白い話や出くわしたおかしな現象、自分が遊んでいることすらコンテンツとして売れる、というのだから、氾濫もいいところだろう。

 たまたまいい放ったものが広まるなんてものは時の運に任せるとして、その一方、売る前提のコンテンツというものはターゲット層をあらかじめ決めておき、彼ら向けにプロモーションをして売り上げを望むのが一般的である。

 それで思うのだが、ターゲットのはっきりとしないコンテンツほど、迷走しがちになるのは想像に難くないのではないだろうか?


 いつものように例え話にゲームを用いるが、現実と見間違えるほどのグラフィックの作り込みをしたゲームです! と謳うコンテンツを売り込もうとしている仮定しよう。

 私はこれに、さほど関心は覚えない。肝心のどんなゲームなのか、が分からないからである。体験版などで試遊するにしても、ゲームとしての評価が低ければモデリングがすごいな、でお仕舞いである。

 そもそもゲームというのは遊ぶ・体験するものである。きれいなCGなどは映画などの視聴を前提としたコンテンツで十分でなわけだ。ゲームという遊び場を、いくら現実味溢れるもので彩ったとしても、そこから先はゲームである必要性はないのである。

 もちろん、グラフィックを好き好んで味わい尽くすような人がいるなら、その人にとっては楽しいものに違いない。NPCの仕草一つとっても感激するのだろう。


 コンテンツをつくる。読者が何を望んでいるのか、を考察しても仕方のないことだが、ターゲットに満足してもらうために作り込むことは、これからのコンテンツに必要になってくるのだろうか? 何に対しても何かしらの感想を求めるようになるのだろうか? それともすでにそうなっているのだろうか?

 なんでも気軽に扱えないことの息苦しさの一方、もしかすると自分にチャンスがあるかもしれない、と一抹の希望を持つことは結構なことだ。

 なら、そのコンテンツは誰に向けたものなのか。そこからまずは始めてみようじゃないか。

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