[ネタ]334=10

 ふと我に返ると、そこにあるのは、文字通り山のような爪楊枝。

 なんとなく、ただなんとなく、爪楊枝を積み上げて遊んでいた。その細く丸い先端を床につけて、立たないかと試していたのだ。

 もちろん結果は惨敗。いずれもコロリと重力に身を任せてしまうので、ならばいっぱいあればどうかと同じことを繰り返していた。

 元来、なかなか消費の進まない細いものだ。高級なものでもないし、ならばならばと取り出した数も増えていく。そして何十本も用意したとしても、バラバラと嘲笑うかのように倒れていく。

 私たちは、倒れる宿命なの。だって、平面に接してないもの。点では、この地球に引かれてしまうの。

 スローモーションで倒れていく彼らに、汚してしまって申し訳ない、なんて懺悔の言葉を捧げながら、さて片付けるかと切り替える。

 何本使ったんだろ。ごく自然な疑問に、三本、三本、四本。三本、三本、四本。

 合計で三十四。なるほど、無駄遣いだ。それでもなりを潜める剣山には、まだまだ大量の針があるのだけれど。

 そういえば、世の中には単位というものがある。

 十二=一ダース。千=キロ。小数点三位=ミリ。

 キロとかミリとかは、まぁ便利な気がするが、半端な数字を基準として使いたがる単位が残っているのはなぜなのだろうか? 有名なのはメートルヤード問題だろうか?

 なんでわざわざ? 利権の問題? 誰が得するのだろう?

 日本も日本で統一されたのはJISの制定からだが、そこから、多くのものはきっぱりと単位は固定化された。

 長さは、重さは、尺は、俵は。

 誰得なのは、調べてみれば出てくるだろうか? 何かのネタにできそうなものだが……。


◆◆◆◆


 小銭を数えるとき、334で数えると楽なんですよね。1から3までなら見てすぐに分かるうえに、残り2が2セットあるかを確認するだけで10が完成します。現金支払いのときとかも、同じ硬貨を3枚4枚で固めておくことを意識してたり。


 さて、そんな小ネタは置いておいて、単位ですね。単位があるなら測る道具もあるでしょうし、道具があるなら発案者が、発案者がいるならどうしてそれに目がつけられたか、と設定を作り放題なんですね。

 極めつけはそれに対応する価値。いわば金何枚分とかいう尺度です。あらゆる人に馴染ませるなら、家の建築に換算すると分かりやすそうですね。

 で、歴史とか戦争とかと結びつけやすいし……数えられるものから色々と設定を用意してもいいかもしれませんね。

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