[日記]棚に並ぶは栄光の証

 ふと目についた本を手に取り、表紙のタイトルを改めて確認して、裏返す。百にいくかいかないかの文字列が、そこに綴じられている世界を描く。

 暗闇にたたずむ異界の門がわずかに開き、一筋の光が足元を照らす。こっそりと覗きこんでみると、大地が、海が、天空に広がり、清涼な風が胸を踊らせる。

 さぁ、行こう! ……となってほしいものだが、残念ながら、今回のあらすじではそうはならない。

 冒頭1ページだけ。章タイトルがあって、物語の始まりが描かれていて、景色よりも舞台を見ているかのような……いや、なんでいきなり叫んでるんだよ主人公。ふざけるなってなにがよ。なんで怒ってるんだよ。優しく接されて怒るなよおい。

 棚に戻して、よし、これはやめておこう、と改めて決意する。次の物語を求めて、またぶらつく。


◆◆◆◆


 なろう系作品、というweb発のものが書店に並ぶのも珍しくなくなりましたが、やはり覚悟をもって読むことができませんね。


 数ヵ月前から、ラノベレビュー動画を拝見しているのですが、読めるのすごいなー、と感じるのです。私はラノベを書いているつもりはないからか、最低限物語として形のあるものでないと読もうと思えないんですよね。

 いや、私も小説の読み書きを始めたきっかけの半分は某二人旅ラノベでしたけどね。当時のラノベと今のラノベは、内容も描き方も大きく乖離しているようにも感じます。(それが、ラノベとなろう系作品の違い、ともとれますが)

 それが創作の時代変化、ということも考えられますが、質まで落としてしまうのは如何なものかと。


 台詞と、効果音、そしてなんでやねん。

 これで構成されてしまっているものも少なからずあるという事実に、悲しさを覚えてしまいますね……。自分がそうではない、とは言い切れませんが。

 いつしか本棚に「世界樹の市場」と書かれた本が腰を据えているのを考えてみると、ない尻尾を振りたくなるような衝動に駆られます。しかし実際にはそんなものはなく、先述のようなものが置かれてしまっていると、悔しい、よりも萎えが勝ってしまいますよね。

 主人公が即死ビーム乱射してるだけの作品がなんで人気なのか。やはり分からない。

 そういったものをレビューという形で、別の視点で見れるという機会があるのですから、見ない手はありません。どうして書籍化されているのか、そのノリだけの世界に毅然と立ち向かわないといけない。

 創作者って、いつもそうなんですよね。大衆という存在を考えると、悲しさを覚えますねぇ。

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