[短編(市場)・創作論]嫌いを投げたとして
あたしゃ、あんたが嫌いだよ。そう黒い獣が客人にいい放つ。
黒犬と黒猫が横に並び、彼女たちの隠れ家の入り口を塞いでいる。黒犬はじっと相手を見つめてはいるが、特段険悪な空気はなく、相手を眺めているかのようだった。一方の黒猫は尻尾を地面に這わせるように揺らしながら、相方と相手を見比べている。
対する客は、全身を外套で覆い隠す立脚類だ。彼女の店を後にしようとしていた足がぴたりと止まる。
「復讐復讐復讐、あんたの口から、何回聞いたっけね?」
十二回だよ、と猫が犬に向けて補足する。そうかい、と犬は視線を客に向けながら答えた。
「商品は誰にだって売る。けどね、過去に執着するあんたは、商品なんてなんも見ちゃいない」
彼女が今回の客に売ったのは、者の居場所。
「満足したら、さっさとここから居なくなることだね。ここでは、過去の因果より、今の因果の方が恐ろしいよ」
忠告ありがとう。客はそれだけを口にして再び歩き出して、曲がり角に消えた。
「あんなやつを常連に持ちたくないねぇ」
犬は背後のドアノブを器用に押して、猫と共に内側へと消えた。
◆◆◆◆
嫌いだと言われたとして、その人に好かれようとするよりも、あなたを好きと行ってくれる場所にあなたはいるべきだ。
というようなツイートを年一で見かける気がしますね。
実際、人ではなく作品に置き換えると分かりやすいですよね。あなたの作品が嫌いだと感想を送る人より、好きだと感想を送ってくれる人、ファンを大事にする方がメリットが大きいものです。
しかし、嫌い、という言葉を口にしなくなりましたね。言っても苦手だ、程度。成長したから無難な言葉を使うようになった、ともとれますが、「好きにならなくてもいい」と気づけたからこそ、そう言えるようになったのでしょうか。
これを精神的成長、と言えば聞こえはいいですが、食わず嫌いである、とも言えるんですよね。
多くの場合、嫌いのタグを一度つけてしまうと近づくことにもエネルギーを使います。距離をおいて、タグだけを見て、当人のことをよく知らないようにして。
好きにならなくてもいいが、好きになる努力はしよう、という精神的方針を立てた方が、面白いことにより出会えるでしょうか?
そういえば市場では、はっきりとした仲が悪い関係はないんですよね。テロには仲という概念は存在しないので無視するとして。
コンビとして成立している相方は、基本、ある程度の同居とかをしてるわけですしね。
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