[創作論]野性と理性

 何をすればいいのか、分かっている。

 まずは相手の戦意、あるいは行動を奪ってしまうことだ。

 ゆっくりに見える刃を、身を翻して避け、攻撃に転ずる。武器を落とすか、機動力に関わる部位を使えなくすればいい。

 最悪、生命活動を停止させればいい。今を生き残るのには最悪かつ最善のことだ。


◆◆◆◆


 野性というか、なんというか。よく本能による暴走だとかっていうシチュエーションがあると思います。本能の対義語は学習、理性、理屈であると。

 なんとなく気持ち悪いので、本能を野性と置き換えて、野性と理性という対立項に触れてみましょう。

(野性の対義語は理性なので、間違ってはないようですが)


 例えば、獣人という定義のある世界を考えたとき、彼らは本能的に粗暴な一面があったり、筋骨隆々だったりといった設定が採用されることが多いと感じるのですが、実際のところどうなんでしょう?

 取り上げやすいのは野性なので、ここから進めていきますね。


 実際の生物を観察したとき、好戦的な生物もいるにはいると思いますが、必要のないときは身の安全を優先しつつ昼寝したり戯れたりする姿を目にすることができると思います。

 獣人は気性が荒く、いつ襲ってくるか分からないという価値観が根付くのはまぁ分かるとして、その価値観がどこまで価値を持つのか。

 理性を保てないと野性が表に出てくる。人間も同じでしょう。生命の危機に陥っているのに理性が優位にたつのは機械だけでいいです。

 突然殺されるかもしれないというなら、人間同士で凶器を振り回しているのは同じではないのでしょうか。違うのでしょうか。

 お互いの存在が生活に馴染んでいるにも関わらず、獣人の野性がどうこうという価値観が存在するのは、倫理観がどうというより、文化の矛盾が現れるんですよね。

 それこそ、閉鎖的な国が海の向こうからやってくる異邦人に感情を抱くのと同じように……価値観は違うのは当たり前でしょうが。


 文化を考える。

 漫画だと背景という形で記すことができますが、この文字の世界ではどうしたものでしょうか。

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