[短編(市場)・創作論]赤の寓話
むかしむかしあるところに、イタズラ好きな子供がいました。
イタズラとはいっても、子供のすること。昼寝をしているご近所さんの頭の上に木の実を乗せてみたり、尻尾に葉っぱを結んでみたり。怒られることはあっても、懲りる様子はなさそうです。
今日は何をしよう。木の上で胸を踊らせながらきょろきょろとあたりを見渡します。すると、見慣れない姿が二つ、眼下を歩いていることに気づきました。
一つはもこもことした四つ足、もう一つはすべすべとした二本足。低い草を踏みしめて歩いていきます。
子供は彼らのことが気になって、枝を伝いながらついていきました。同時に、ターゲットを彼らに決め、何かいいものがないかと探します。
まず見つけたのは、粒々と実る黒い果実。食べると少し甘いすっぱさがあるものの、体につけて潰した日には、脱皮するまで色がとれない曲者です。
それを一掴みもぎ取ると、いくつかは潰れて指を黒くします。それでも、子供はすぐに取れるからと、二人を追いかけます。
どうやら二人はどこかを目指しているようです。なぜなら地図を広げながら、こっちかあっちかと言い合いながら進んでいるのですから。
少しだけ先回りした子供は、真下に来た地図に向かって、少し潰した果実を投げました。ベチャと面白い音を立てて、地図が黒くなりました。
すると二人は顔を上げました。だが待っていましたと子供は実を顔面へと投げつけます。四つ足の額は黒く染まり、二本足は器用に顔面を避けて、体に着地させました。
その姿を見て、子供は大いに笑います。あはは、あはは、とバカにしたような笑いでした。苛立ちを見せる四つ足を、二本足はなだめます。
子供はすたこらと逃げましたが、その日の夜、再び彼らと合間見えるのでした。
この子はどうなったと思う、と紅竜は尋ねる。
怒られたんじゃないの、と興味の無さそうな青竜。
じゃあ、どうして怒られたか分かる、とまた尋ねられ、獣と人間はお客さんだったんじゃないの、と遺産いじりをやめてそこに顎を置く。
そうなの、と問い返す紅に、知らないのかよ、と青はべっと舌を出した。
◆◆◆◆
童話や寓話の本質を、大人が理解しているのか。理解しようとした者は知っているし、興味もない人は関心もないことでしょう。
その中で、歯切れの悪いお話がいくつかあると思います。どうなったのか、考えさせることで論理と想像力を広げられるという、いい教材です。
しかし、これを作るのもかなり難しいですね。何が行われていたのかという論理をはっきりさせておかないとあらぬ結論に至る可能性がありますし、想像させる余地を残す必要もある。
例えば先述の話に、「○○はなぜ怒ったのでしょうか」という問を用意したとき、「二人が何者か」、「子供の家庭にとって何者であるか」の要素が抜けてるんですよね。
それに対し、リエ君は「子供の親の客人である」と考えたわけですが、「子供の親の友達」でもいいわけですし、「ただの通りすがりの旅人で、たまたま泊めてもらうことになった」という可能性も捨てられないわけです。
こういった想像を導ける童話寓話を、その世界に作ってみるというのもなかなか楽しそうですね。
ちなみに、赤の寓話の教訓は「見ず知らずの相手に無礼を働いても、自身に帰ってくる」といったものをイメージしました。
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