[観賞論]GW五日目

今回は、私の思考の一部を表してみたいと思う。

もちろんこれは私の思考であり、読者になってもらっているあなたの思考ではない。間違っていると指摘されるものでもないし、するつもりもない。

「なるほど、こういう考え方もあるのか」

ただ、そう受けてもらえると嬉しい。


私は文、絵、漫画、ゲームなど、知る限りのものにおいては、よほど相性の悪い作品出ない限り、好印象に鑑賞することができる。

悪いもの、というのは、具体的な表現が難しい。把握できているものは生理的に忌避感を感じるもの、だ。

もちろん、私の知っている作品の範囲なんてたかが知れてるとは思う。まぁ、極度のオタクでなければ、触れられるものはそんなものだろうとは思う。


さて、私の思考について話そう。作品の設定の重複について、だ。

本の世界に迷い込む。異世界へと転生して特定のコトができるようになる。現世では不遇の生活、などなど…歴史を遡ればいくらでも見つけられそうだ。

今視聴している物語に、これらのような見覚えのある設定がある場合、その作品の評価が下がってしまうことは、わりかし見かけるような気がする。作品のレビューにもちらほらあったりする。

私はこれが疑問で仕方ない。

どうしてなのか、を考えても仕方ないとは思うため、特定の指摘に対し、いくつか反論をしてみようと思う。


●別の作品でも見た設定だ

別の作品にある設定ならば物語はつまらなくなるのだろうか?何もかもが同じであるならばそれは作品ではなく模造品でしょう。

最後まで見ても、全く同じ作品ですか?


●展開が予想通りだった

あなたの経験値は豊富なんですね。

では一度、頭をまっさらにして「本にある情報だけ」で読み進めれば、同じことが言えますか?


●このキャラの設定に見覚えが…

人生ってそんなものではないですか?

無論、選択によっていくらでも設定を変えることは容易ですが、現実でもそんなものでしょう?

誰しも似たような経験をしているものです。


作品を物語を、視聴者として楽しむ。それが基本だと私は思うが…。

作品と人格を分ける、とはよく言うものだが、作品どうしを切り分ける…そういった力も、必要なのではないだろうか?

もちろん、模倣のオリジナル宣言など、してはいけないこと、守るものは守る、といった心得は当然だ。


私も視聴者の一人に過ぎませんが、私は作品に対して、こう考る。

これを読んでいるあなたは、いかがだろうか?


今日はこんな感じで。つれづれと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る