第87話 人外魔境都市④ 人外大戦勃発~真紅の魔女と白き羅刹

 *


 ひとつの爆発を切っ掛けに、断続的な爆撃が始まった。

 空に孤立した邸宅は現在、全方位360度からの波状攻撃を受けていた。


 強化ガラスを物ともしない火矢(物理)が次々に降り注ぎ、爆音に混じってバサバサと羽撃きが聞こえてくる。


 一体なんだ、僕たちは今何に攻撃されているんだっ!?


「まあまあ、この感覚、懐かしいですわねえ」


「私も東京大空襲を思い出します」


「何か余裕ですねふたりとも」


 僕たち三人、というか僕以外のふたりは、妙に手慣れた様子で身を伏せると、ソファとテーブルを使って簡易的なバリケードを作って爆発を凌いでいた。


 革張りのソファの表面は爆発のたびに焼けただれていくが、骨組み自体はビクともしない。すごく頑丈だこのソファ。もしかして襲撃を見越して用意してたのか?


「収まった……?」


 火矢による爆発はフロアのあらかたを吹き飛ばしていた。

 破壊され、照明が落ちた部屋の中は、焦げ臭い匂いで充満している。

 カーミラとベゴニアはソファをどかすと、暗闇の中ですっくと立ち上がった。


「ちょっと、まだ危ないですよ」


「いいえ、向こうもこの程度で私達が終わるとは思っていないはず。それよりも床に這いつくばってお出迎えなんてはしたない真似、私のプライドが許しませんわ」


「タケル、立つのだ。敵将のお出ましである」


「息ぴったりじゃんあんたら……」


 先程まであんなにいがみ合っていたのに、共通の敵が現れた途端この有様である。


 と、その時、一際強い風が吹き抜け、もうもうと立ち込めていた煙が払われていく。すっかり風通しが良くなったフロアに、風よりもなお凍てついた少女の声が舞い降りた。


「土足で失礼します」


 その少女は光の渦を背負って現れた。

 年の頃なら僕より幾分幼いくらいに見える少女だ。


 白い紬に白い腰帯。

 草履も足袋も羽織も真っ白で。

 でも流れるような長い髪だけはぬばたまの黒。

 螺鈿をあしらった髪飾りは冷たく光り。

 少女の白いかんばせと相まって、より冷酷な印象を放っていた。


 そんな彼女の両脇には白い山伏と、漆黒の虚無僧が控える。

 それぞれ白と黒の鳥類に似た翼を背中から生やし、手にはいずれも和弓を携えている。


 バサッ、バサバサッ、と、力強い羽撃きがして、破壊された四方の窓から一体、また一体と、翼と和弓を持った山伏と虚無僧が現れる。


 先ほど僕らに火矢を放ったのは間違いなくこいつらだった。


「あれだけの爆発を受けてかすり傷ひとつないとは。やはりここに真っ当な人間はいないようですね」


 先程までの攻撃のすべてが、ただそれだけを証明するために行われたのだと。

 もし万が一、ここには人間しかおらず、誤って殺してしまっても、少女は眉ひとつ動かさない。


 大事の前の小事として目的を完遂するのだろう。

 カーミラとベゴニアを睥睨しながら、酷薄に吐き捨てる少女には、そんな冷徹な意思が感じられた。


 と、そんな少女の視線が僕に止まる。

 少女は目玉が零れ落ちそうなほどまなこを見開いたあと、隣の山伏に何事かを耳打ちする。


 僕から視線はそらさず、少女はこくこく忙しなく何度も頷いていた。

 なんだ、一体何どうしたんだ……?


「あらあら、こんな夜更けに玄関も介さず窓から訪ねてくるなんて、どこの不調法者かと思えば、天下の『御堂様』ではありませんの。招待した覚えもないのに、大所帯でよくもまあぬけぬけといらっしゃいました。一応訊いておいてあげますわ。どういったご用件ですの?」


「最後通告に参りました」


 皮肉もてんこ盛りに口元を釣り上げるカーミラに対して、少女はどこまでも鉄面皮を貫く。


 片や妖艶なる美姫に対して清廉なる美姫。

 生まれも育ちも容姿も性格も、何もかもが違うであろうふたりは、とても似通っていて、それと同じくらい正反対なのだと僕は気づいた。


「カーミラ・カーネーション・フォマルハウト。戦後復興の一翼を担い、日本の経済発展に大きく貢献したカーネーショングループの総帥。あなたのことを私、『御堂百理』は高く評価しています」


「評価、ですか。上から目線なのが気に入りませんわね。私は私のしたいことをして、その結果として今があるだけですわ。あなた方『御堂』の評価なんて最初から眼中にありませんの」


「然り。あなたの粗暴かつ暴虐な振る舞いも、厳然とした結果があったればこそのお目こぼしでした」


「お目こぼしですって? そういう台詞はどうぞ自分の飼い犬におっしゃいなさいな。今あなたの目の前にいるこの私を誰だと思っているのです……?」


「もちろん、日本国の秩序を乱す汚れた血の末裔、と認識しています」


 瞬間、その場の空気そのものが凍結したように錯覚した。

 僕の位置からはカーミラの表情は見えない。

 チラリとベゴニアを見やる。

 彼女は白貌を通り越して幽鬼のような顔色になっていた。


「我がフォマルハウト家を汚れた血と……。嘗て聖者の血を分けたとさえ言われる神祖の末裔であるこの私を愚弄するとは、島国のお山の大将風情がよく言いました。今ここで戦争をするのも辞さないと、そういうことですのね……?」


 カーミラの全身から赤い光輝こうきのようなものが立ち昇る。

 あるいはそれが彼女の吸血鬼としての能力なのか。

 ベゴニアがグググっと縮めた四肢に力を溜めているのがわかった。


 破裂する。

 極限まで緊張したこの空間が。

 だが――


「いいえ、そのつもりはありません」


 少女――御堂百理はあっさりとカーミラの殺気を躱してみせた。

 そして「これを」と言いつつ、懐から一枚の書面を取り出した。

 ふわりと、浮かび上がった紙ぺらが、意志を持つようにカーミラの元へと揺蕩う。


「なん、ですのこれは……?」


 空中で引ったくった書面に目を落とした途端、カーミラを包んでいた赤い光輝が強さを増した。


「御堂財閥から御社に対しての最大限の譲歩です。カーネーショングループ全企業の『株式譲渡承認』を請求します。50%の保有率を以って経営権を『御堂』に渡しなさい。それが一番建設的で被害の少ない方法です。こちらの取締役会はねじ伏せてあります。そちらの取締役会はあなたのワンマン経営で形骸化していたはずですね。ではこの場であなたが首を縦に振れば終わる話です」


 僕のような子供でも御堂百理の言っていることの意味がわかった。


 ようするに彼女は、「そこに無抵抗で横になれ。苦しまずに殺してやる」と言っているのだ。


 カーミラが築き上げてきた地位も名誉も、彼女の命運も何もかもすべて。

 自分に差し出せと命令しているのだった。


「あなた、私にこれを飲めと……?」


「ええ、もちろん。でも、そうですね、せめてもの情けです。『カーネーション』のブランドだけは残してあげましょう。あなたのためではなく、世の女性たちのために――」


「ふ――ふふふ」


 カーミラは笑っていた。

 抑えきれないというように、腹を抱えて。

 低く抑えていた声が、大笑へと変じるのはすぐだった。


「おーほっほっほっほっ!」


 ああ、そうか、と僕は思った。

 彼女は笑うのか。

 嗤う――のではなく、笑うのだ。


 童女のように。

 純粋に。

 無垢に。

 心の底から。

 時に自分の命すらベットして。


 僕はその時、そんなカーミラの在り方を美しいと思っていた。


「御堂を敵に回し、生き残れる道理がないと諦めましたか。魔女と呼ばれたあなたも最後は哀れなものですね」


「こんなの爆笑するなって言う方が無理ですわ」


 ビリビリと、締結書面を真っ二つに引き裂くカーミラ。

 ハラリと宙を舞った紙は、赤い光輝に触れてチリと消えた。


「経営権の譲渡? ええ、いいですわよ。私よりも美的センスに溢れていて、世の女性たちを素敵に輝かせてくれる方いらっしゃるのなら、私はよろこんで『カーネーション』をお譲りいたしますわ。でも残念。この700年を生きてきて、私よりも美しく、才覚に溢れ、そして『女』の清も濁も受け止められる器の持ち主にはついぞ会ったことがありませんの。ましてや、あなたのような小便臭い小餓鬼子こがきこには到底お譲りできませんわ」


「しょ――!?」


 御堂百理は一瞬だけ顔を赤らめると、侮蔑も顕にカーミラを睨みつけた。


「交渉決裂ということでよろしいですね」


「あなた交渉の意味わかっていますの? さっきのは脅迫って言うんですのよ?」


「曲がりなりにも日本の上場企業ということで、内外に被る被害を抑えようと思ったまでです」


「おべんちゃらはもう結構。いい加減に始めますわよ。ベゴニア!」


「ここに」


 恭しく差し出すベゴニアの手の中には、小さな手提げ金庫があった。

 パカっとそれが開かれると、中には謎のボタンが。

 カーミラは「ポチッとな」と、躊躇うことなくそれを押した。


 ビー、ビー、ビーっと不気味なサイレンが鳴り響き、真っ赤な非常灯が点滅する。

 何だ何だ? この80年台のバラエティ番組のようなノリは?


「成華タケルッ!」


「え――、ちょっと!?」


 問答無用でベゴニアに抱えられる。

 反対の腕にはカーミラが。


 横薙ぎにすっ飛ぶ景色の中、色を失う御堂百理たちが見えた。

 そんな彼女に向けてベゴニアがソファを蹴り飛ばす。

 慌てた山伏と虚無僧がそれを受け止め、僕らはまんまとフロアから飛び降りた。


「ボンッ、ですわ!」


 落下に伴う轟々とした風鳴りの中、火矢の時とは比べ物にならない爆発音が僕らの背中を叩いた。


 首を巡らせて振り返れば、カーミラの邸宅があったフロアは大量の炎に包まれており、それを成した本人は手を叩いて喝采を送っていた。


「たまや~、ですわ!」


「いやあ、作っておくものですね。自爆装置」


「いやいや、何を呑気な! 僕ら落ちてるんですけど――!?」


「安心しろ。私はパラグライダーライセンス初段だ」


 バフっと、いつのまに背負っていたのか、ベゴニアの背嚢からパラシュートが広がる。


 円形ではない、キャノピー部がグライダー翼になっているやつだ。

 超高層ビルの最上部から、煌めく眼下への滑空飛行。

 大きな翼が風を受け止め、大通りのネオンがゆっくりと近づいてくる――かに見えたその時だった。


「あちゃあですわ。そうきましたか」


「どうあっても我らを逃がすつもりはないようです」


 ガクンと、突如として運動ベクトルが変わり、

 上を見上げればそこには、白い翼を広げた山伏と漆黒の翼を広げた虚無僧が。


 パラシュートの両端を掴みあげ、バッサバッサと羽ばたきながら僕らを牽引して飛んでいるいるのが見えた。翼で空を翔ぶ人間(?)に、僕は声をひっくり返して叫んだ。


「ホントに飛んでる!? 何なんですかあいつらは――!?」


「あら、知りませんの、鴉天狗ですわ。山岳信仰の象徴ね」


「一節には仏教の迦楼羅天かるらてんが源流だと言われている」


「いやいやいや、……僕、本当についこの間まで普通の人間だったんで、こんな妖怪が日本にいたなんてすげービックリなんですけど!」


「ありがちですわねー。人間だった頃には人間の世界しか見えなくて、でもちょっと見方を変えたら、この世界は多種多様な生き物の宝庫ですのよ。本物のバケモノだってちゃんといますわ」


「でも、だからってこんな目立つことしてるのに、全然テレビや新聞、ネットには――」


「情報統制など簡単なことだ。何故なら人外はこの国の支配者階級そのものだからな」


「カーネーショングループ然り、そしてあの憎らしい御堂財閥然りですわ」


「御堂財閥!?」


 日本四大財閥――三井、住友、三菱をも凌ぐ超財閥が『御堂』だ。

 そのルーツはとても古く神話の世界にまで遡ると言われている。

 さっきからチラチラその名前は耳にしていたが、正直全然僕の中では繋がっていなかった。


 おまえは御堂なのか、御堂ではないのか、なんて散々ベゴニアに言われてたけど、それがまさかあの『御堂財閥』のことだなんてまったく思わなかった。


「じゃあさっきの女の子が……?」


「そう、御堂財閥の影の会長にして、日本すべての人外を束ねる頭領、御堂百理ですわ」


「人外の――妖怪の頭領……?」


 つかの間の空中散歩はそろそろ終わりのようだった。

 数百メートルも運ばれた後に僕らは、建設途中の高層ビルの中のワンフロアに放り込まれた。


 鉄骨がむき出しで、資材搬入用のタワークレーンまで鎮座している大きなビルだ。

 冷たいコンクリートの上を転がり体制を整えると、山伏に抱えられた御堂百理が現れる。


 彼女は通話中だった。

 ガラケーを耳に当て、何事か語気を荒げている。


「お話はおわりかしら?」


「ええ、たった今、このビルの所有者は私になりました。少々高い買い物でしたが、あなたへの手向けといたしましょう。何もない寂しい場所ですが魔女の墓標にはお似合いです。戒名は馬鹿女と書けばよろしいですか?」


「まあ嬉しい。でもあなたのセンスって面白みがなくて本当につまらない。全然私の好みじゃありませんのよ」


「結構。快楽主義者たるあなたにはわからないでしょうが、我が国は清貧と高潔を美徳としているのです」


「退屈なお国柄ですわね」


「謹厳実直といいなさい」


 言いながら、カーミラはゆっくりと歩を進めていく。

 対して百理は不動。泰然に構えながら、スッと手を上げた。

 それを合図に夜間作業用のバルーンライトが一斉に点灯する。

 真昼のように照らしだされた空間で、ふたりの闘気が高まっていく。


「前々から思っていましたが、あなた目障りでしてよ」


「それはこちらの台詞です。私の国で此れ以上の勝手は許しません」


 そうして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 始まる。人外同士の人智を超越した戦闘が。

 それは僕があずかり知らぬところで、延々繰り返されてきたこの国の歴史そのものと言っても過言ではない。


 先に動いたのはカーミラだ。

 彼女は自らの指先に口付けると、長く伸びた犬歯でそこを切り裂いた。

 ドクドクと、たかが指を傷つけたとは思えないほどの血が溢れ、浮遊し、カーミラの周りを取り囲んでいく。


「吸血鬼といえば己が肉体の一部を変身させる能力があります。ですがそれは、醜い獣のカラダだったり、皮膜に覆われた翼が定番です。でも御覧なさい、私は長年のたゆまぬ努力により、こんなにも美しく艶やかな羽根つばさを得るに至ったのです!」


 それは真紅の羽根だった。

 アゲハチョウのように美しく精緻な模様シンメトリーの文様が描かれている。


 それを成しているのがカーミラの血液とあの赤い光輝だ。

 光輝は恐らく僕の魔力と性質は同じものだと推察される。

 それをあんな風に形作り、維持しながら戦うというのか――


 カーミラがひときわ大きく羽根を広げると、重力を無視するようにその身体がふわりと浮かび上がった。


「1000年にも及ぶ我がフォマルハウト家の血闘の歴史に於いて、これほど優美な力を得たのは後にも先にも私だけ! さあ、この高貴な姿を存分に目に焼き付けてからお逝きなさい!」


「素晴らしいですカーミラ様!」


 カーミラと並び立ちながら、ベゴニアは感涙に咽び泣いていた。

 彼女も主を散々バカにされ、相当腹に据えかねていたのだろう。

 今ではその全身が隆起し、完全に戦闘モードに入っている。


「五行相克――豊穣なる恵みの土よりい出て、金なる気を以って魔障を調伏せよ。おいでなさい『索冥さくめい』――」


 それは力ある祝詞の言葉だった。

 百理が袖口より取り出した護符らしきものがボフッと燃え上がる。

 蒼い鬼火のような炎が広がり、確かな形となって結実する。


「マジか――。吸血鬼の次は召喚獣かよ!?」


 僕は驚愕せずにはいられなかった。

 百理の目の前に異形の四足獣が姿を現す。

 大型化された競走馬をさらに大きくしたようなそれは、長い鬣と角を持ち、全身が青白い鱗のようなもので覆われている。まさかあれは――


「この私に天魔を召喚させたこと、誇りに思いなさい、カーミラ・カーネーション・フォマルハウト。もうかれこれ150年ぶりにもなりましょうか。これを見たが最後、生きて帰った物の怪はいません」


索冥さくめい』という名前の通り、あれは麒麟と呼ばれる霊獣の一種なのだろう。


 百理は自身の身の丈を遥かに超える天魔に騎乗しようとし、その背中にまったく届かないことに気づいたようだ。


 おろおろと周りを見渡したあと、駆けつけた虚無僧に抱えられ、ようやく背に乗ることがかなう。うーん、突っ込まない方がいいよね。シリアスな流れだし。


「皆の者、ここが天王山です。汚穢なる吸血鬼の血とその眷属を駆逐するのです!」


 彼女の檄に「雄々おおッ!」と声を上げる山伏と虚無僧たち。

 そんな中、御堂百理の視線がはたと僕を見据えた。


「ただし――、そこの少年は生け捕りにしなさい!」


「え、僕?」


 いきなりのご指名だった。百理はおろかカーミラたちの視線も集まる。


「全身からみなぎる惜しみない霊力……、よもや吸血鬼の眷属かと思いましたが趣きが違います。いいですね、決して傷つけず生け捕りになさい!」


「ちょっとお待ちなさい。あなた、喧嘩を売るだけでは飽きたらず、うちの子にまで手を出すなんて、とんでもない泥棒猫ですわね!」


「うちの子……? あの少年はあなたのなんだというのです?」


「ウチの執事の弟子ですわ! あの子が来てから刺激的なトラブルがいっぱいなんですの! 私今超楽しいんですの! 絶対にあの子は渡しませんわ!」


「愚か者。死にゆくものが生者を縛るな――!」


 ついに激突する双方。

 高らかな蹄の音を鳴らせ『索冥』が駆ける。

 カーミラは羽根つばさを広げ、滑るように急接近。

『索冥』の鱗からあふれた鬼火と、カーミラが発する赤い光輝とが激しくぶつかりあった。


「すごい……。僕らの日常のすぐ近くでこんな戦いが起こっていたなんて」


 いや、感心している場合じゃない。

 何とかしてこの争いを止めないと――


 などと思っていると、山伏と虚無僧が僕への包囲網を敷き、輪になってジリジリと距離を詰めてくる。仕方がない。聖都の聖騎士とどっちが強いか試してやる――


「私の弟子になにをするかッ――!」


 怒声と共にひとりの虚無僧が宙を舞った。

 いや、舞ったなどという生易しいものではない。

 まるで20トントラックに激突されたかのように錐揉みしながら吹っ飛んでいく。

 崩れた包囲の一角から現れたのは、頼もしい僕のお師匠様だった。


「タケル、おまえは私が主以外で初めて守りたいと思った男だ。この高鳴る気持ち――正しく母の愛であると言えよう。この場はお母さんに任せなさい。おまえには指一本触れさせない!」


「いや、僕はあくまで弟子で、少しはこっちの話しも――」


「私は、私の母とは違い、絶対におまえを見捨てたりはしない!」


「重い身の上話で否定がしづらい!?」


 山伏は錫杖を、虚無僧は独鈷杵とっこしょを取り出しベゴニアへと襲いかかる。


 ベゴニアの拳は単調だ。単純一途な一直線だ。

 だがそれゆえにすべてを置き去りにする魔人のような速度を持っている。


 山伏のひとりを吹き飛ばしたかと思えば、床のみならず、周囲の鉄骨や天井を足場にして、ゴム毬が跳ねるような動きで次々と拳を繰り出していく。


「僕と戦ったときと戦闘スタイルが違う……!」


 一対一と多対一では戦い方に明らかに差異があった。

 直線的な動きはそのままだが、緩急がつき、小回りが利くようになっている。

 一撃一撃の威力は弱いが、連続で攻撃が可能になっているのだ。


 やっぱりベゴニアの戦闘スタイルは非常に参考になる。

 ――ってそうじゃなくて!

 この戦い自体を早く止めないと――!


「そもそも何故あなたのような外来の吸血鬼が日本にやってきたのです!?」


「決まってますわ! この国の王様になって、国民に極上のエンターテイメントを提供するためです!」


「なんという……! やはり星読みが告げた災厄とはあなたのことです。必ずや討ち滅ぼさなければなりません!」


「災厄……。ああ、あなたが近年、内外に警鐘しているカタストロフのことですか。もし本当にそんなことが起こったら、私ワクワクして夜も眠れませんわ!」


「あなたを楽しませる事態になど絶対にさせません!」


 カーミラと百理の周りは何人も近づけぬ人外魔境の領域と化していた。

 青白い鬼火と鮮血の光輝が意志あるように蠢き、剣となり矢となり鞭となって繰り出される。


 鉄骨はずたずたに切り裂かれ、コンクリートが飴のように溶け崩れる。

 騎乗する百理は手綱もなしに天魔を操り、真紅の羽根を攻守に使い分けるカーミラも一歩も引かない。


 被害は拡大する一方で、この均衡が崩れたが最後、どちらかが必ず死ぬことになるだろう。


 いや、状況は百理に不利だった。

 山伏や虚無僧の戦闘力ではベゴニアの足止めにはならない。

 ベゴニアがカーミラと合流すれば一気に押しつぶすことができる。

 果たして――僕はそれでいいのだろうか?


 カーミラと百理。

 双方とも日本を代表する企業人であり、強力な力を持った人外の徒である。


 片や僕などはついこの間まで引きこもりのニートだった。

 ふたりとも僕が生まれる以前からこのような争いを繰り返してきたのだ。

 僕のような子供が口を挟んでいいはずがない……。


「いい加減飽きてきましたわ。そろそろフィナーレといきましょう」


「それには同感です。さっさと帰らなければ朝の暴れん坊将軍に間に合いません」


 カーミラから溢れた多量の血液が、意味のある形を無数に象る。

 それは真紅の光輝を纏った手のひらサイズの『蝶』だった。

 それが幾十、幾百、それこそ空間を埋め尽くすほどの群れをなして舞い上がる。

 真紅の蝶に触れた床や天井がジジジっと微細な粒子になって崩れた。


「我が愛し子たちよ、死出の運び手よ。我が意、我が言葉に従い、あの女を屍にしてあげなさい。『クルーダレ・ファルファッラ』!」


 一方、百理の騎乗する天魔にも変化が訪れる。

 眉間の辺りからメリメリメリっと一本の白く透き通るような巨大な角が現れたのだ。まるでユニコーンのような一本角は、ボッと鬼火を発して燃え盛る。


「霊言急急如律――、天魔神聖にして侵すべからず。迅雷なる裁きを愚者に。怨嗟の鉄槌を咎人に。歳星もくせい焚惑かせい填星どせい太白きんせい辰星すいせいを廻れ――天界神判・白炎羅苦はくえんらく!」


 天魔の角の頭上、五色の鬼火が回り巡り、一つとなって目を灼くほどの巨大な白球へと変貌する。ジュウッ――と炎に触れた床と天井が蒸発した。


「豚のような声で泣き叫びなさい!」


「あまねく万物、灰燼へなさせしめよ!」


 解き放たれる。

 ふたりの最強最大の技が。

 死出の紅蝶と滅殺の炎はしかし。

 突如として現出した暗黒・・へと飲み込まれた。


「は――?」


「え――?」


「タケル――?」


 僕の手に無垢なる刀身が握られていた。

 本来ならばそれは無形。

 形のない概念でしかない超絶の魔法。


 今は自己認識と周辺認知によって『剣』というわかりやすい形を見せているだけ。僕は、自分自身の内なる世界から引きぬいた『聖剣』を振りかぶり、この場にいる全員へと宣言した。


「双方そこまでだ! 此れ以上の争いは僕が許さない! 魔族種根源27貴族が一角、龍神族の王タケル・エンペドクレスの名において停戦を命ずる! もし従えないと言うのなら――」


 僕は刀身を頭上に向け、その切っ先でグルンと円を描いた。

 ブワッと一瞬にして頭上が漆黒に塗りつぶされる。

 そしてズズズっと不気味な鳴動が周囲に響き渡った。

 ビルの直径に開かれた異界の門――『ゲート』に上層階がまるごと沈み込んでいるのだ。


 漆黒の扉の先は、ダークエネルギーが支配する異なる宇宙。

 何人も逃れることのできない無明の世界だ。

 次に僕が剣を振りぬいた時、暗幕のように張り巡らされていた闇が消失する。

 そこには――遮るものがなにもない、満点の星空が広がっていた。


「従えないというのなら、僕が創りだす暗黒地獄に叩きこみ、細胞の一欠片まで塵芥にしてやる! 死にたいものは前に出ろ――!」


 虚空心臓が猛り狂い、溢れる魔力が周囲にプレッシャーとなって撒き散らされる。

 湧き上がる全能感と、魔族種としての凶暴性もそのままに命じる僕の姿に、誰もが呆気にとられ固まっていた。


 強引なやり方だが――戦いはここに終結した。


「お、おお……!」


 百理がただひとり、僕の前に歩み出てくる。

 おいおい、まさか本当に死にたいってわけじゃないだろうな?


 彼女はフラフラと覚束ない足取りで、聖剣を携える僕を熱っぽい表情で見ていた。

 そして僕の前で跪くなり、とんでもないことを言い出した。


「そのお姿、その神の如き霊力……。あなた様こそ我らが救世主となる御方、須佐之男尊すさのおのみことに違いありません。遠くない未来に訪れる厄災より、どうか日ノ本をお守りくださいますよう、かしこみかしこみ申し上げます」


「…………」


 やべえ、何を言ってるんだろうこの子は。

 話が飛びすぎて理解したくないんだけど。


「我の名はタケル・エンペドクレス。須佐之男尊ではない」


「いいえ、たとえ名は違えど星の宿命までは偽れません。その手にあるのは正しく神剣、天叢雲剣貴あめのむらくものつるぎ。あなた様はいずれ大きな戦火に立ち向かわなければなりません。どうか、どうか……!」


 百理はカーミラや部下たちが見ていようがお構いなしに深々と地面に額を擦り付けた。喧嘩を売ってきた方がこうして畏まっているのはむしろチャンスではないだろうか。


「面をあげて……あげよ。……ならば、その願いを聞き届けるかわりに、カーミラ・カーネーション・フォマルハウトとの争いを疾くやめるのだ」


 まるでお白州のお奉行様のような口調で百理へと語りかける。

 言ってて恥ずかしいけど、雰囲気って大事だと思う。


「お言葉ではありますが、かの吸血鬼はいたずらに人心を惑わせる魔女です。いずれ我らの障害となりかねません。来るべき時のために早急に排除することが肝要かと……」


「ダメだ。おまえが見ているものは日本だけなのか。日本だけがその厄災から免れればいいと思っているのか?」


「い、いえ、そのようなことは決して」


「ならばこの世界の一員として、意見の異なる者とも手を取れ。相剋を乗り越え利用しろ。対立するからこそ積極的に言葉を交わすのだ。お前が蔑むカーミラ・カーネーション・フォマルハウトには少なくともその気概がある。国家、人種、宗教に依らず、垣根を踏み越える度量があの女にはあるのだ……多分」


「そ、そんな……!!」


 百理はわなわなと打ち震え、涙さえ浮かべていた。

 カーミラに劣ると言われるのがそんなにショックなのか。


 いや、気持ちはわかるが事実である。

 彼女は色々と瑕疵のある性格の困った吸血鬼だが、今回の発端はすべて百理側から仕掛けてきたことだからしょうがない。


 カーミラはカーミラで、そんな状況を楽しんでしまったためにこれほどの大事になった。よって喧嘩両成敗が妥当だろう。


「わ、わかりました。タケル様がそうおっしゃるのでしたら、努力いたします……」


 ガックリとうなだれる百理に、僕はさも偉そうに頷いて見せた。


「それでいい。納得など今はまだ無理だろう。だが相手に歩み寄ろうとする努力だけは怠ってはいけないのだ……多分」


「はい……」


 *


「なんでしょう、ずっと黙って聞いていましたが、私今の会話のなかで散々バカにされたように思うのですが、気のせいかしら?」


「偉いですよカーミラ様。空気を読んでちゃんとおとなしくしていましたね」


 ボロボロのバスローブ姿のカーミラにベゴニアは自分の上着を羽織らせた。

 傅く百理を前に頷くタケルを見つめながら、カーミラは大きなため息をつく。


「あなたまで私をバカにしますのね。はあ……」


「タケルはカーミラ様をバカにしたわけではないでしょう。むしろきちんと見てくれているではないですか」


 カーミラは上着を抑えながらベゴニアを振り返り、プイッと頬を膨らませて顔を逸した。


「わかっていますわそんなこと。でも残念。アレはちょっと私の手に余りますわ。相手の力量を見誤るなんて私もまだまだですわね」


「ではどうされますか。諦めますか?」


「バカをおっしゃい。ますます面白くなってきたじゃありませんの」


 力強く笑う主にベゴニアは満足そうに目を細める。

 そう、相手が自分より格上など、この700年なかったこと。

 そんな初めてを楽しまなくてなにがカーミラ・カーネーション・フォマルハウトか。


「さすがはカーミラ様です。このベゴニア、どこまでもついていきます」


「あなたこそいいのかしら。アレ、弟子なのでしょう?」


「私は師であり、母であります」


「その急激な母性の目覚めはどのようにして発起されましたの!?」


「考えるな、感じるんだ、です」


「名言なんかで誤魔化されませんわよ!」


 こうして日本を代表する最強の人外たちによる戦いは、タケルの手によって一応の決着をみることとなった。


 そして、当然のように、消滅させたビルの再建設費用がタケルの借金として請求されることになる。


 そのことを知るのはまだ、もう少しだけ先の話になるのだった。

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