第52話 聖都⑥ 夜の涙と哀願

 *


 その後、ラエルこと奴隷商人エニルとマンドロスの商談はトントン拍子で進んだ。

 新たに控室から豹人族ひょうじんぞくの少女を連れてきたラエルは、一通りの礼儀作法を披露するため、お茶を淹れさせたりしていた。僕から見ても完璧で優雅な所作に、マンドロスは惜しみない賞賛を送っていた。


 これならばすぐにでも商品にできると太鼓判を押したマンドロスは、如何様にして教育を施しているのかと知りたがった。

 それに対してラエルは――、


「一口に獣人種と言っても様々な氏族構成があります。総じて教育水準は低いのですが、中には列強氏族の元で教養を身につけた獣人もおります」


「まさか、そこから……?」


「はい、とある伝手を使い、秘密裏に彼女たちと接触しております。過酷で野蛮な扱いを受けている者も多く、例え奴隷に身をやつしても、逃げ出したいと考えているものもいるのです。つまり、彼女たちはみな望んで奴隷になっているのです」


「おお、それが本当ならば、我々がこれまで犯してきた危険性がなくなりますな……!」


 こそこそと獣人種の生態を調べて、ターゲットとなった者を拐かすリスクのことだろう。


 だが、ラエルの言ってることは全て嘘っぱちだ。

 氏族間意識の高い獣人族が、金銭や待遇などで自らが所属する組織を裏切ることはまずない。一人の裏切りは自分だけの問題ではなく、家族や一族全体にまで咎が及んでしまうからだ。


 だがラエルは敢えてそういう設定を作り、安定的にレベルの高い奴隷を供給できるとホラを吹いていた。


「よろしい、すぐに契約書を交わしましょう。条件は担保金を引き換えに、そちらが提示する奴隷を一時預かりとし、競り落とされた際に総金額から三割をお支払いするという条件でよろしいですか」


「問題ありませんわ。今後ともエニル商会をよろしくお願いいたします」


「こちらこそ。あなたにも人類種神聖教会アークマインの加護がありますように」


 そう言ってふたりは固い握手を交わした。


 この日、僕を乗せた帰りの馬車は手狭なものとなった。

 マンドロスが控室にいる分だけ奴隷を買い取ったためだ。

 競り落とされるまでの一時金とはいえ、この日に彼が支払ったのは三等ヂル金貨四枚分。普通流通している五等ヂル金貨に換算して200万ヂル相当とのことだった。


 そして車内には赤猫族の少女が二人、豹人族が一人、白兎族はくとぞくが一人と、ぎゅうぎゅうの状態になった。マンドロスはホクホク顔で御者台の隣に腰掛けて、早々に酒瓶を傾けていた。


 そして僕は隅っこに座り、傍らには例の猫耳メイドソーラスに陣取られ、限りなく熱っぽい視線を向けられていた。彼女が何かを僕に言ってくることはないのだが、やたらとこう近いというか密着してくると言うか。体重を僕の方に預けて来て、すりすりと身体をこすり合わせてくるのだ。それ以外の獣人族からは、値踏みするような目で見られ、なんとも気まずい空気の中での帰還となった。


 なんとなくラエルの思惑はわかるものの、マンドロスに聞かれる恐れがあるために詳しい事情をソーラスに問うこともできない。車輪が石に乗り上げる度に、ソーラスがチャンスタイムとばかりに抱きついてくるのには参ってしまった。


「ご、ごめんなさい……」


「いや、僕も色々と悪かった」


「そんな、とんでもありません。あれは必要なことでした。わかってます、全部わかってますから私……」


 仕方のないことだというのなら、どうしてそんなに潤んだ瞳で僕を見るんだろう。そして息が荒くなっているのは気のせいか?

 じとーっと他の獣人族たちの視線はいつの間にか、値踏みするものから疑惑のものに取って代わっていた。このヒト種族にしか見えない魔族種様は一体ソーラスに何をしたのだろう、という視線である。


 こんなに早く聖都に帰りたいと思ったのは初めてだった。

 そして、なんかごめん、セーレス……。


 *


 その翌日。

 さっそくラエルの元から仕入れた奴隷たちは全員競りにかけられた。

 赤猫族二名、豹人族一名、白兎族一名が、誰一人売れ残ることなく捌かれた。

 仮面やアイマスクをつけた貴族やその関係者と思わしき者たちが異様な熱気を放ちひしめく競売場は、意外なことに商業区にある人類種神聖教会アークマイン教会の地下施設で行われた。


 これは人類種神聖教会アークマインが掲げる他種族排斥の先鋒としてもっとも与し易い獣人種がやり玉に上がっている一種のイベントなのだ。ヒト種族という経済的にも人口的にも多種族より優れていると自負する彼らが、自分たちより劣った種族を支配するための一環。競り落とされた獣人種奴隷たちはヒト種族に奉仕できて幸せを感じていると、そんなおぞましい思想が蔓延していた。


 アナクシア商会で奴隷管理を一手に引き受けているというマンドロスは競売人も勤め、当然護衛の名目で僕も帯同させられた。始値から高額が設定され、その値がどんどん釣り上がって行く度、参加者たちは熱狂していく。


 引けには驚く程の終値がつき、競りは大盛況の内に終了した。


 奴隷として買い手が決まった獣人たちは、全員が新たな主に手ずから頑強な首輪をハメられ鎖で引かれていった。


 ラエルの屋敷の牢獄で出会い、そして昨日再会を果たしたソーラスもまた、大きく腹の突き出た貴族の子息に連れて行かれた。仮面の下からも分かる下卑た笑みを浮かべる貴族に連れて行かれる際、一瞬だけ彼女は僕を見た。


 その目は諦めや諦観ではない、何か強い意志が宿っているようだった。


 *


 そしてその夜。

 僕はアイティアの部屋を訪れていた。


「結局収穫はなしか」


「す、すみません」


「いや、いい」


 ふうっと大きく息をつき、僕はソファに身を沈めた。

 ここはアイティアの部屋、というより奴隷専用の相部屋だ。

 二段ベッドが部屋の四隅に在り、大きな窓が取り付けられている。

 窓の前には飾り気はないが応接セットが置かれ、食事などはここで摂るようだ。


「で、でも、講師のヒト種族が言っていました。今聖都で買い手がついてない奴隷は私だけだって……!」


「ああ……」


 その言葉が本当なら、セーレスが奴隷に身をやつしている可能性は低いということになる。


 バガンダ――セーレスの義妹は言っていた。

 セーレスは供物、贄になったのだと。

 僕はそれを奴隷という意味なのだと思った。

 その根拠は事前にリゾーマタの冒険者から、エルフを奴隷として売れば一生左うちわ――、という話を聞いていたからだ。


 だがもし、本当に言葉通りの意味だったら。

 生け贄。神への供物。

 もし、もうセーレスがこの世にいないのだとしたら。

 もうどう足掻いても手遅れなのだとしたら……。


「ダメだ」


「え……?」


 まだ決まってもいないことで悩んでいてもしょうがない。

 絶対に、最後まで諦めない。意地汚く転げまわり、泥を啜ってでも希望に縋りつく。そう自分に言い聞かせながら、僕はアイティアへ「なんでもないよ」と笑みを向けた。


「あの、龍神様」


「ん?」


「となり、座ってもよろしいですか」


 僕の前では遠慮して立って控えているばかりだったアイティアが珍しいことを言う。奴隷としての礼儀作法としてはダメなのだろうが、僕は頷いた。「失礼します」と言って、アイティアは僕のすぐとなり、密着するほど近くに身を寄せた。


「みんな、いなくなっちゃいました……」


「ああ」


「昨日、突然仲間の獣人種がたくさんやってきて、私本当にびっくりして」


「うん」


「こうなるってわかってたんですけど、私、やっぱり我慢できなくて、みんなに名前訊いちゃって……」


「そっか」


 ぐすっと洟をすするアイティア。カラダの震えが、僕の肩にも伝わってくる。


「龍神様」


「なに?」


「他のメスの匂いがします」


「は?」


 何を言い出すんだこの子は。

 ぎょっとする僕に、アイティアは鼻を寄せながらクンクンと匂いを嗅いできた。


「微かに残ってます。やっぱりソラちゃんの匂いです」


「ソラちゃん?」


「はい、赤猫族のソーラス・ソフィストちゃんです。他にもテオちゃん、カルモスさん、パティアさん、みんなみんな……」


 アイティアは僕の肩口に顔を埋め、さめざめと泣いていた。

 せっかく出会えた同じ種族、同じ身の上の仲間。

 それがすぐ翌日には全員売られていってしまった。


 そして今頃は、奴隷として過ごす初めての夜。初夜の最中である。

 彼女たちがそれぞれ貴族の屋敷で、どのような目に遭っているのかは、買い取り手のヒトとなりを少しでも見れば想像に難くない。


 だが、と僕は思う。

 そんなこと、彼女たちは承知の上だろう。

 彼女たちの本当の主であるラエル・ティオスだって同じはずである。


 僕がとっさにエニルと名乗った奴隷商に話しを合わせたのは、彼女から並々ならぬ覚悟を感じたからだ。

 己の耳を――、獣人種である誇りさえ自ら切り落とし、憎きヒト種族の、しかも人類種神聖教会アークマインの尖兵にまで媚びへつらったのは、なにがしかの思惑があってのことだと悟ったからだ。


 そしてその覚悟は、奴隷として売られていった獣人たちからも感じたことだ。

 誰ひとりとして、己が運命を悲観していなかった。

 誰もが顔を上げ、毅然とした表情で、薄笑いを浮かべる貴族たちと相対していた。


 それを今、このアイティアに話してもいいものかどうか、僕は躊躇った。

 そして結局、言わないことにした。


 アイティアは普通の、一般的な獣人家庭に育った町娘だ。

 それがラエル・ティオスという列強氏族の息がかかった獣人種スパイたちの緻密な作戦に巻き込むべきではないと思ったからだ。


 僕にできることはせめて、こうして肩を貸してやることだけだ。

 ――だというのに、アイティアはとんでもないことを口走った。


「龍神様……、お願いがあります」


「今日は大盤振る舞いだ。なんでも言ってみるといい」


「私のつがいになってください」


「…………」


 僕は絶句してアイティアを見た。

 黒曜石のような――、いや、よく見れば瑪瑙のように非常に緻密な色彩の瞳が、僕をまっすぐに見上げていた。

 白く透き通るような肌が、薄い紅化粧をしていた。


「マンドロス様が言っていました。私は史上最高価格で落札されるだろうって。もし生娘じゃなくなっても、お年を召された大貴族様の中には、恋仲の男と無理やり引き裂かれて奴隷に落とされた娘を後妻のちぞいに迎えて興奮する悲恋愛好者なお方もいるからって。だから、もしそうなっても・・・・・・・・私の価値は変わらないって……!」


 決めた。殺そう。マンドロスを。

 セーレスを助けるため以外には極力命は奪わないつもりだったが、あいつは別だ。

 謂わば人類種ヒト種族の生み出した病魔のような存在があの男なのだ。

 根絶やしにしなければ、この少女のように汚染が広がってしまう。


「いや、ちょっと待て。アイティア、落ち着いてくれ」


「わ、私、落ち着いてます、大丈夫です……! きちんと手順はわかっています、多分、いえきっとご満足いただける手練手管をご覧に入れます……!」


 ずいっと身を乗り出すアイティアに僕は思わず仰け反る。

 仰け反った分だけ、すかさずアイティアは距離を詰めてきた。

 うわ、成長したな。こんな積極性、初めて会った時からは考えられない。


「私、本当は奴隷なんてイヤっ……、見ず知らずの汚いヒト種族なんかに大切な初めてを捧げたくない……。例え商品価値がなくなって、処分されることになっても、私、初めての相手は龍神様がいいんです……!」


 いかん。この子、マンドロスに毒され過ぎてる?

 立て続けに仲間の獣人種が奴隷として売られていく姿を見たから思いつめてるのか。それとも実は結構メンヘラちっくなところがあったのかも……。


「私のこと……お嫌いですか……?」


 キャミソールみたいな服(そういえばこの服も勝負服っぽいっ!)の肩ひもが落ち、形のいい鎖骨があらわになる。


 薄布を押し上げる胸の膨らみは、同年代とくらべてもかなり大きい。

 僕が出会った中ではエアリスに次ぐ豊かなバストを持っている。


 身を乗り出すたびにサラサラの黒髪が零れ、まるで意思を持つように僕のカラダを撫でていく。絶対に逃さないとでも言うように、アイティアの艶やかな尻尾が僕の手首に絡みついていた。


「龍神様、もう一度、お名前を教えて下さい……」


 熱っぽい瞳でアイティアが言う。

 決して消えないよう、胸の奥、生涯の墓石に名を刻むために。

 僕は――、アイティアを抱き寄せると、有無を言わさず床に押し倒した。


 ――ガッシャァァアアアン!


 頭上ですさまじい破砕音がし、見えない風の礫・・・が床に刺さった。


「きゃッ――、りゅ、龍神様、大丈夫ですか!?」


「ああ、こんな傷すぐに治るから」


 僕は頭に刺さったナイフを無造作に引き抜く。


 やられた。

 風の礫による攻撃と見せかけて、同時に実体剣も投げていたとは。

 脳が損傷してもブラックアウトは一瞬だったのが幸い。

 ナイフに付着した血液もすぐさま霧になって消えた。

 ふう。馬車の中で赤猫族のソーラスに擦り寄られていた時も殺気を感じていたが、ついに堪え切れなくなったか。


「面倒なことをしてくれたな、おい」


「知るか。貴様の小狡い浅知恵でなんとかしろ」


「え、え、ええ……?」


 突如として何もない空間から聞こえてきた第三者の声に、アイティアは目を白黒させている。


 音もなく、僕らの直ぐ側に影が落ちる。

 風の魔素を全身に纏い、風景と同化していたのを止めたのだ。


 僕らの目の前には、口をへの字に曲げて、眉を釣り上げているエアスト=リアス――エアリスの姿があった。


「魔人族……?」


「アイティア、話を合わせてくれる?」


「は、はひ……?」


 ドタドタと商館の中が騒がしくなる。

 僕は混乱抜けきらぬアイティアをを引き起こし、ポンっと頭に手をやった。

 それだけで彼女は顔を赤くし、コクリと静かに頷いてくれる。

 再びエアリスから殺気が漏れたが、そっちは無視することにした。

 とういうか、さっさと窓から出て行くか、透明化して姿を消しやがれ、と思うのだった。

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