第48話 聖都② 黒猫と商人
*
「いやっ――!」
誰かの悲鳴で目が覚めた。
僕が寝ぼけ眼のままゆっくり視線を移すと、そこには美しい黒髪の少女が驚愕に目を見開き、戦慄く口元を押さえ立っていた。
「ここは……」
どうやら僕はベッドに寝かされているようだった。
天蓋付きのベッドだ。反対側に視線をやれば、開け放たれた窓から心地のいい風が流れ込み、さらにその向こうから微かな喧騒が伝わってくる。
「ねえ」
「は、はいぃ……!」
少女に目を向ける。
何をそんなに怯えているのか、今にも泣き出しそうに顔を歪めている。
叫びださないよう、必死に口元を押さえているようだった。
「どうしたのさ。怖がらなくていいから、ここはどこなのか教えてくれる?」
「え……?」
黒髪の少女は心底驚いたという風に目を瞬かせている。
そこで、僕はようやく気づいた。
僕の左手が、少女の白い手をがっちりと掴んでいた。
ああ、これに驚いたのか。
「ごめん、寝ぼけてたみたいだ」
「あ、いえ」
僕が手を離すと、黒髪の少女は僅かに痕がついた手首をさすりながら目をパチクリとさせていた。
そりゃ寝てると思った男に突然手を掴まれたらびっくりするよな。
よいしょっと、身体を起こす。
頭は信じられないくらいスッキリしていた。
十日十晩、不眠不休で歩き通し&走り通しだったのだ。
不死身の身体をフル活用して旅路を急いだのだが、それと反比例するように集中力が無くなり、気持ちがささくれているのを感じた。
どうやら僕の身体は不死身でも、精神までは不死身ではないらしい。
不眠不休で聖都とやらを目指す試みも、途中から記憶は飛び飛びで、ここ2〜3日の記憶は殆ど無い。
そんなこんなで多分頭の方が限界に着て倒れてしまったのだと思われる。
おそらくこの女の子が介抱してくれたのだろう。
ついでにこの街がどこなのか聞ければいいのだが……。
「あ、あの、よろしいでしょうか」
「うん?」
僕は改めて少女を見た。美しい獣人種の子だった。
艶やかで美しい黒髪が特徴的な少女だ。
頭には大きな猫耳が生えており、腰の後ろから顔を出している尻尾も、つやつやといい毛並みだった。
これは決して彼女にとっては名誉ではないだろうが、地球に居た頃の幼なじみの心深に、少しだけ似ている気がした。
「あ、あなたは魔族種様、ですよね」
「…………わかるの?」
再び緊張した面持ちで少女がコクリと頷く。
なるほど、この
「それで、その大変失礼なのですが、魔族種様なのに、なんだかヒトの匂いも混ざっているようなので、なんて言ったらいいのか……。えっと、ごめんなさい……」
なかなかするどい子だ。
この子の耳の形からして猫人族なのだろうがかなりの嗅覚を――、というよりカンが鋭いのかもしれない。
僕は直接見たわけではないが、他の魔族種・根源貴族には失われた神話の獣の特徴があるらしい。見た目でわかりやすく角が生えてたり、ウロコが生えていたりすれば魔族種とわかるのだろう。
でも僕みたいに、見た目にはわからない『虚空心臓』という特徴もある。
幸いにもその事実が今、僕をヒト種族の世界に紛れ込ませるのに役に立っているようだ。
「あ、あの、貴方を魔族種様と見込んでお願いがありますっ!」
「お願い?」
女の子は必死な様子で身を乗り出しかけ――、ビクン、と猫耳を震わせる。
僕も当然それには気づいた。
やがてドカドカという足音がドアの前で止まり、ひとりの男が入室してきた。
「失礼しますぞ……おお、目が覚めましたか!」
部屋に入ってきたのは、もうすぐ中高年に差し掛かるかという背の高い男だった。
頬はややコケていて、痩せ型の体型。あまりいい印象がないのは、ギョロッと目が大きいくせに瞳に精気がないからだろう。
「おお、おおお、始祖アークマインに格別の感謝を! そして貴方様にも感謝を申し上げます!」
芝居がかかった所作で片膝を付きながらこうべを垂れる男。
こういう態度を取られるとディーオの尊大口調で応えたくなるのだが、それは今はやめておいた。
「ええと、僕がアンタに何かしたかな……?」
「なんと、覚えてらっしゃらないのですか!?」
見上げた男の目がギョロリと見開かれる。
うわ、気持ち悪っ。
「なんという……。もしやすべては無意識での行動だったのですか。私をお救い下さったのも、貴方様に取っては息を吸うが如く当然のことであったと。まさかまさか、アークマインの信徒となりはや数十年、貴方様のような聖人に出会えるとは!」
「はあ」
うぜえ。
男は天井を仰ぎ感動に肩を震わせている。
その所作ひとつひとつがいちいち芝居臭くって、僕はゲンナリとしてしまう。
どうやら記憶がないうちにこいつを助けたらしいが、正直失敗だったかもしれない。
「おお、申し遅れました。私の名はマンドロス。アナクシア商会の番頭をしているものです。敬虔なるアークマインの信徒ですので姓はアークマインに帰属します。よろしければそちらのお名前を頂戴しても?」
「タケル・エ………………タケル。ナスカ・タケルだ」
「ナスカ・タケル様、この度は誠にありがとうございました! 貴方様との出会いを心より始祖アークマインに感謝いたします」
一瞬エンペドクレスを口にしかけたが、ナスカの方を名乗っておく。
僕はギルドカードも没収され、お尋ね者にされてはいるはずだが、それでも魔族種の根源貴族よりかはよっぽど小物だ。
この世界の情報伝達の手段が、伝書鷲や早馬であることを考えれば、僕の名前はまだしばらくは安全だと思われる。
それにこのマンドロスという男は、先ほどから自分で名乗っている通り
マンドロスは床に額を擦り付けんばかりに頭を下げてくる。
さっきからこいつがオーバーアクションを取る度に、壁際に控えた黒猫族の少女がビクっと身体を震わせていた。
「まさかあのような場所で盗賊の襲撃を受けるとは思わず、アナクシア本店に納めるべき上納金もすべて奪われ、私自身も殺されてしまうかと覚悟いたしました。ですが闇夜の中から颯爽と貴方様が現れ、その拳と!」
マンドロスは僕の左腕を指した。
さらになにやら半身になって、右手の平をユラリと突き出した。
「魔法で! 盗賊どもを一撃の元に倒してくださったのです! ありがとうございますっ!」
なるほど。薄ぼんやりとだが昨夜のことを思い出してきた。
でもあれは、極限の精神的疲労を来たしているところに、進路を塞ぐ邪魔者がいたから対処したというのが本当のところだ。
あまつさえ問答無用で襲いかかられたので、手加減を忘れて魔族種の膂力でぶん殴ってしまっただけだ。
「私、あのような魔法は見たことがなかったのですが、タケル様も魔法の心得があるのですよね。あれは一体何をされたのでしょうか?」
「あれは……」
僕に魔法は使えない。自身で魔法を行使しようとすると、過剰な魔力量により、大抵が自爆覚悟の大災害になってしまうからだ。まだ風の魔法しか使ったことはないが、あれは、半径百メートル以内で大型の台風を炸裂させたみたいな結果になってしまった。したがって僕ができるのは、他人に
「あれは魔法なんてもんじゃない。他人の魔法行使に介入しただけだよ。過度の魔力を火球に注いでやって、水の魔素をほんの少し混ぜて……」
水の魔素が炎と反応して、ギリギリの均衡を保っていた火球を爆散させたのだ。
火球が爆弾だとすれば、水の魔素は導火線といったところだろう。
僕の説明を聞き、マンドロスは大層驚いていた。
「他者の魔法行使に介入とは。そのような戦い方があるなど、魔法の心得がない私でも初めて聞き及びました。だがしかし、それが最小の労力で最大の成果を上げる方法なのはあの盗賊たちの末路を思い出せば明明白白でありましょう……、決めましたぞ!」
その日最大となる大音量をマンドロスは吐き出した。
少女は引きつけを起こしたみたいに震えている。
ホントにうるせえなこいつ。
「タケル様、どうか当アナクシア商会専属の護衛役になっていただきたい。貴方様に護衛していただければアナクシア商会は安泰でございます。既に報告は商会長にも上げております。すぐに許可も降りるはずでございます!」
いやいや待て待て。
こんなところに長居するつもりはないぞ僕は。
「悪いが先を急ぐ旅をしてるんだ。そもそもアンタを助けた時も不眠不休で歩きづめだったんだよ」
「そうだったのですか。だから戦いの後に気を失ったのですね。ちなみにどちらに?」
「聖都だ」
セーレスが贄として連れて行かれた先、それが聖都だという。
まったく因果関係はわからないが、
もちろん、彼女を贄になんてさせないし、必ず助けだすつもりだ。
そのために僕は何十日もかかるという聖都への道のりを短縮するため、無茶苦茶な旅をしていたのだ。
まあ聖都を目指してはいるが、そこから先どうなるかはわからない。
セーレスを探す手段はないし、そもそも聖都に僕のようなお尋ね者がすんなり入れる保証もない。身分を証明する冒険者ギルドカードは取り上げられてしまっているのだ。最悪忍び込むことも考えなくては……。
「どうやら並々ならぬお覚悟を持って聖都を目指されているようですな。しかし、これは正に始祖アークマインのお導きといったところでしょう」
「どういうことだ?」
「タケル様」
ツカツカと僕のベッドを回りこみ、僅かに開いていた窓を全開にするマンドロス。
眩しい陽光と、街特有の喧騒が一層強くなる。
僕は目を見張った。
どうやら僕がいる建物は小高い丘の上にあるようで、外界を見下ろすように街の様子が見て取れた。
平屋建てばかりだったリゾーマタの宿場町とは比較にならない。
いくつもの巨大な建築物が整然と立ち並び、それが地平の彼方――、街全体を取り囲む巨大な城壁の向こうまで続いてる。
十万や二十万じゃきかない。もしかしたらもっと多くのヒトがいるかもしれない。
そんなことを思わせる、地球にも劣らない大都市の姿がそこにはあった。
「ようこそ
勿体ぶった気持ち悪い笑顔で、マンドロスはそう言ったのだった。
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