第46話 復讐に身を焦がして⑩ 非人非人《ひにんぴにん》の復讐
*
はッ――、と目を覚ます。
見渡すとそこは美しい庭園だった。
手入れされた庭木に、人工的に引かれた小川。
色とりどりの花々が咲き乱れ、見るものを楽しませる。
そんな庭園のど真ん中に、僕は大の字で転がっていた。
どうやら運ばれている途中、あまりの激痛に意識を失ったようだった。
「くッ――!」
思い出した途端、胸に痛みが走った。
短剣は半ばまで僕の心臓の真上に埋まり、本来なら死に至るほどの致命傷となっていた。
冒険者達の姿はどこにもない。彼らもこの傷は放置せざるを得なかったのだろう。
下手に剣を抜いては大出血する、そんな傷なのだ。
そうこうしているうちに、槍を手にした兵士たちが大挙として押し寄せ、ザザっと一糸乱れぬ動きで僕を取り囲んだ。
その奥から、しゃなりしゃなりとドレスの裾や装飾品などを揺らしながら現れたのは、リゾーマタの新たな領主、リゾーマタ・バガンダそのひとだった。
「うわ」
相変わらずのご尊顔に悲鳴を上げてしまった。
娘――、いや、孫の衣装をひったくったおばあちゃんが、厚塗りの化粧で無理して若作りしてる、というのはかなり適切な表現だ。起き抜けには相当キツイ。
とはいえ、会いたくて会いたくて仕方がなかった人物でもある。
バガンダはヒラヒラがいっぱい着いた扇子で口元を隠しながら、ゴミでもみるような目で僕を見下した。
「起こしなさい」
バガンダが命令すると、後ろに控えていた騎士がスッと前に出てきた。
僕とセーレスに警告を与え、長年セーレスを見守り続けていたあの老騎士だった。
老騎士は軽々と僕の身を引き起こし、無理やり頭をバガンダの方へと向けた。
老騎士はそのまま、僕の傍らに膝をつく。そして小声で囁いた。
「愚か者。何故のこのこやってきた」
「それこそ愚問だよ、爺さん」
老騎士は目を見張ったようだった。
何か眼前にいる僕に初めて会ったとでも言うように目を瞬かせている。
「貴様は――」
「何をこそこそ話しているのです」
続く問いかけは、バガンダによって遮られた。
老騎士はさっと顔を伏せる。僕はぐぐっと身を乗り出し、バガンダを懸命に睨みつけた。
「どうも、ご無沙汰してます。僕のこと覚えてますか?」
「ん――? おまえは、あの時の冒険者、よね……?」
一度会ったきりのバガンダでさえ、僕の変わりように目を見張っているようだった。
「答えなさい、おまえは
いけしゃあしゃあとまあ。勝手にヒトを売っておいてよく言えたものである。
黙ったまま答えない僕に苛立ったのか、バガンダは扇子を突き付け、まくし立てた。
「
僕は――、笑っていた。
口元を歪め、見おろしているはずの目の前の醜い女を見下していた。
こんな気分はおよそ初めてである。
絶対的な支配者であるはずのバガンダ。
領主とは言ってしまえば小国の王である。
封建的なこの世界においてそれは完全なる強者である。
だが事実は違う。
しょせんバガンダなどヒトの世界の法が定めた支配者階級にあぐらを掻いているだけのただの人間にすぎない。
僕がヒトであったころには到底太刀打ちできなかっただろう。
唯々諾々とどんな理不尽も受け入れなければならなかっただろう。
泣き寝入りし、仕方がない、自分が悪いのだと諦めていたことだろう。
でも今は違う。
僕はもう『魔族種』なのだ。
それも最強の名を関する龍神族の力をこの身に宿している。
だから――目の前の小物がいつまでも自分の方が偉いのだと、強いのだと勘違いしたまま偉そうに命令している様があまりにも滑稽で無様で――、どうしようもなくイヤらしい笑いがこみ上げてきてしまうのだ。
「ふふ、ははは……!」
思わず笑い声を上げてしまった。
僕を拘束する老騎士がギョッとし、見上げるバガンダは「何が可笑しいのですか!」と目をむいて怒りを顕にした。
「余命幾ばくもないと知って気が狂ったのですか!」
「いやいや、余命がないのはあんたの方だよ」
「うおッ」
僕は老騎士の拘束を物ともせず、すっくと立ち上がった。
弾かれた老騎士は素早く立ち直ると腰元の剣を抜く。
周囲の槍兵たちもジャキっと穂先を僕へと定めた。
「愚かな。そもそも致命傷を負った身で、この人数相手に勝てるとお思いか」
「致命傷……、ああ、忘れてた」
ドクンッ――!
可能な限り押し殺していた拍動を再開する。
虚空心臓より生成される魔力と回復力により、胸の痛みは即座に消え、傷がみるみる塞がっていく。押し出された短剣がカラン、と地面に落ち、こびり付いていた血は霧となって消えた。
「な――、冒険者ではなく奇術師の類でしたか……」
は? いや、まあ何でもいいけどね。
僕は魔族種としての本能により、自身の顔が凶悪に歪んでいくのを自覚した。そして顔もそのままに、バガンダへと微笑みかける。
それは捕食者特有の笑みだ。
バガンダだけではない、僕はこの場にいる全員を取るに足りない獲物と認識した。その証拠に、領主を前に敵対的な態度を取る僕に対し、誰もが動けないままでいる。僕に最も近く、すぐさま致命傷を与えられるであろう老騎士でさえも、顔を真っ青にして剣を握る手は僅かに震えているようだった。
「皆、何をしているのですか、今すぐこの痴れ者に思い知らせてやりなさい。腕の一本も切り落としてやれば、命乞いをしながら何でも喋るようになるでしょう」
「やれやれ。お里が知れるな、クソババア」
「な――、バぁっ!?」
「仮にも貴族の淑女が聞いてあきれる。そのような発想、|人道に
僕は僕の中のスイッチを切り替える。
魔族種として対応するときにと決めたディーオの尊大な口調でバガンダに相対する。突然同格以上の態度を取られ、バガンダは絶句したあと真っ赤になって喚き散らした。
「この、たかが冒険者風情が領主たる私に対してよくもそのような口を――」
「残念だが、冒険者は廃業した。貴様がそうさせたんだ。貴様が
「何を訳の分からないことを! では死んだはずの男がなぜここにいるのです! 今この場で、私に無礼極まりない態度を取るおまえは何者だというのですか――!」
「知りたいか……?」
ドクン、ドクン、ドクン、ドクドクドクドクッ、ドッドッドッドッドッドッド――!
湧き上がる全能感。
神龍の心臓を格納した異界よりこぼれ出る、凶悪にして圧倒的な魔力の奔流。
それは物理的な圧力となって空間を満たし、魔法師としての才覚がない者にまで絶望的なプレッシャーとなって襲いかかる。
老騎士も槍兵も、そしてバガンダも、全員その場に尻もちをついて僕を見上げていた。
「ようやく相応の立ち位置になったな。そうだ、貴様たちはそうやって地に這いつくばっている方がお似合いだ」
「一体、何が……、カラダが、息が……! おまえは一体……!?」
どうやらバガンダには魔法師としての才能は欠片もないようだ。
リゾーマタ・デモクリトスは宮廷魔法師も嘱望された魔法使いだったというのに、嘆かわしい限りである。
「僕の名はタケル・エンペドクレス。魔族種龍神族の力を宿した元ヒト種族だ」
「な――、魔族種! 龍神族!?」
目の前の人物が魔族種などと言われても、にわかには信じられないだろう。
だが、溢れ出る魔力が圧力となり、否応にも事実を突きつけてくる。
恐怖に耐え切れなくなった槍兵たちは皆、すっ転ぶような勢いで逃げ出した。
「リゾーマタ・バガンダよ」
「ヒィ――ぎっ!」
僕にひと睨みされただけで、バガンダは引きつけを起こしたようだった。
「嘘偽りなく僕の問いに答えろ。虚偽や詐称には死を与える」
「はッ――はッ――はひぃッ!」
壊れた人形のようにコクコクとバガンダは頷いた。
「貴様は
「そ、それは……」
目をそらし、言いよどむバガンダ。
僕は足元に落ちた短剣をこれ見よがしに拾った。
ギラつく刀身に自分の顔を写してみる。
我ながら実に魔族種らしい、凶暴で凄惨な笑みを浮かべていた。
その様子を見て取り、バガンダは堰を切ったように弁明を始める。
「は、はい、確かにそうしましたわ! エ、エルフの使う魔法は強力ゆえ、全員が戦闘魔法の使い手である
「そうか。やはり貴様か。貴様が――」
僕がようやく掴んだ幸せを。大切だと思えるヒトを奪ったのか――!
「も、元々あの女は気に入らなかったのよ。薄汚いハーフエルフの分際で、リゾーマタに図々しくも住み着いて。お父様もずっとあの女に心を砕いているようだった。それに、私とそう歳は違わないはずなのに、あんなに若々しくて、魔法の才に溢れて、憎たらしいったらなかった。忌々しくてしょうがなかったのよ……!」
それが本音であり全てなのだろう。女の醜い嫉妬である。
自分は結婚もできず、老いさらばえていくのみであるのに、エルフであるセーレスはいつまでも若くて美しいまま。その気持はわからんでもない。だが――
「愚かな。貴様の醜さは見た目の美醜などではない。己自身で憎悪を掻き立て、延々と火を焼べ続け、消えることのない大火としてそれを他者に振りまく、そのはた迷惑な心根にあると知れ――!」
僕の『憎』意思に呼応して魔力が爆発する。
無色透明なはずの力は現実に衝撃波を生み出し、バガンダを強かに打ち据えた。
バガンダだけではない。
芝生は暴風に千切れ飛び、庭木は葉を散らし、小川の水もすべて吹き飛んだ。
美しかった庭園は一瞬にして、退廃したこの世の終わりの風景になった。
「セーレスは何処だ。あの女を差し出せば命だけは助けてやる」
潰れたカエルのように地面に這いつくばるバガンダへ最後通牒を突きつける。
もし拒否するようならば、もう容赦はしない。殺す。
バガンダはゆっくりと面を上げた。
その目には、恐怖以外の感情が――ほの暗い狂気が宿っていた。
「ふ、ふっふっふっふ――、あははははははっ!」
「何が、おかしい?」
今度は僕が問いかける番だった。
突然狂ったように笑い出すバガンダは、とても正気とは思えなかった。
「お父様も、おまえも、そしてあの
手遅れ……?
「貴様、今なんと言った!?」
「手遅れだと言ったのさ! あの女はここにはいないよッ! 今頃
「聖都、だと……! 貴様、セーレスに何をした!?」
「
答えは背後、折れた剣を杖代わりにする老騎士からだった。
「アリスト=セレス様はアークマインの司教の手により召し上げられた。教皇への供物として捧げられるのだ」
司教? 教皇? 供物――、こいつらは一体なにを言って――?
「生け贄さねっ! 精霊の加護持ちは最高の贄になるんだとっ! この功績を使って私もやっと聖都へと召し抱えられる!
バガンダの勝ち誇った笑い。
僕の視界が真っ赤に染まる――!
「――――――――貴様ぁあああああああッッッッ!!!」
何故、その時そうしたのかはわからない。
ありったけの憎悪を
ただ殺すだけではダメだ。
より残酷に、惨たらしく、ヒトとしての尊厳を奪うような死を与えなければ――
そう思った瞬間、僕は善悪の判断を下すより早く、右手に
庭園の中を漂っていた一匹の蟲のエーテル体である。
そしてそれを、ほぼ絶対の確信を持って、笑い転げるバガンダの体内――魂の深奥へと突き入れてやった。
「ぐ――ゲっ」
ヒトの魂の源泉とも言うべき箇所へと、ヒトならざる僕の手によって混ぜ込まれた雑霊は、正常に巡っていた生命エネルギーを混濁させていく。
ノイズが――、バガンダの精神は愚か、身体機能、生きていくために必要な生理機能に至るまでをメチャクチャに破壊し尽くしていく。つまりは――
「ゲゲッ、グガガガがガガガGAああああああああああヴぁヴぁヴぁああばばばっ!」
それはもうヒトの声ではなかった。
もともとがヒトとは思えないほど醜悪な造形だったのだ。
ならばいっそヒトでは無くしてしまった方が癪に障らずに済む。
「聖都はどこにある」
僕は有無をいわさず老騎士へと問いを投げた。
「ここより西へ。巨大に連なるミュー山脈の南が王都。隔てた北が聖都だ」
眼球が零れるほど目を見開き、口角が裂けるほどに大口を開け、喉が潰れるほどの勢いで笑い続ける己が主の姿を痛ましそうに見つめながら老騎士は答えた。
「司教は両目で虹彩が異なる美丈夫。教皇は国王に匹敵するほど絶大な力を持っている。いかな魔族種とはいえ――」
僕の顔を見た途端、老騎士は言葉を飲み込んだ。
それに構うことなく、僕は踵を返し、聖都へ向かうべく歩き始める。
「待て」
振り返れば、折れた剣を構え、老騎士が殺気を放っていた。
「我が主をこのような姿にした者をただで返すわけにはいかん。ついでにこの老骨の命も持っていくがいい」
「死にたければ勝手に自害しろ」
「そうはいかん――」
老騎士の全身が弾ける。一瞬にして距離を詰め、折れた切っ先を突き出してくる。
「ふ――バケモノめ」
相打ちだった。結果的には。
僕は自分の腹に深々と埋まる剣を面倒くさそうに眺めたあと、緩慢とも言える仕草で右手を振り上げ、老騎士の心臓を貫いた。
「バカが」
老騎士のカラダを打ち捨てる。
ついに顔面の穴という穴から流血し、血の泡を吐きながら、それでもなお笑い続けるバガンダに一瞥を投げると、僕はその場を後にした。
*
「見ていたぞ」
タケルの頭上から声が舞い降りる。
風の魔素を全身に纏い、風景と同化していたエアリスだった。
「ついに使ったな。その身に宿るディーオ様のお力を。どうだ、本能の赴くままにゴミのようなヒト種族を屠った気分は?」
エアリスは一部始終を見ていた。
風の魔素を纏い、光を屈折させ姿を消したまま、遥かな上空よりタケルを監視していたのだ。それはラエル・ティオスよりの命令でも在り、魔族種龍神族としての自覚に足りないタケルへの興味本位でもあった。
「どうだ、ディーオ様から賜ったお力は。素晴らしいだろう。如何にその力を否定したところで決して逃れることはできないのだ! わかったか!」
うつむいたままのタケルへと勝ち誇ったようにエアリスは告げた。
自分を差し置き、ディーオ・エンペドクレスより寵愛を賜っておきながら、その力を否定するタケルへの鬱憤は溜まりに溜まっていた。これで少しはディーオ様に感謝を――
「…………」
「待てきさ――まッ!?」
エアリスの脇を無言ですり抜けるタケル。
その横顔にエアリスは息を呑んだ。
ゾクリと、寒気がして後ずさる。
続く言葉をかけられなかった。
その背中が、何人も拒絶していたからだ。
「くっ……、何故だ。何故私はあのような男に心乱される……?」
スッキリしない気持ちを抱えたまま、エアリスはタケルの孤独な背中を見送った。
* * *
とある街道を一台の馬車が進んでいた。
大きくて立派な貴人専用の馬車は、荒れた道を危なげなく踏破しながら先を急ぐ。
「さあ、もうすぐ到着ですよお姫様――」
馬車の車窓から、綺麗な顔が覗いていた。
一見すると少年のようなあどけない顔をしている。
くすんだ金髪に、細い面差し、手足は細く長く、なによりその瞳の色が特徴的だった。
左は抜けるような空の色。
右は燃えるような炎の色。
左右で異なる瞳を持ったオッドアイの少年が、目の前の美姫に微笑みかけている。
教皇に継ぐ司教の衣装に身を包んだ少年の口調とは裏腹に、声をかけられた美姫――少女は痛々しい格好をしていた。
全身を魔法師殺しの鎖に絡め取られ、首には不思議な首輪が嵌められている。
それはこの世界にはない技術で造られた特別製の首輪であり、少女の体から少しでも魔力の気配を察知すると、行動不能になるほどの電流が流れる仕組みになっている。
ガタガタと、馬車に揺られる少女の瞳には光はなく、ただ流れる車窓の風景を鏡のようにぼんやりと写していた。
「アリスト=セレス。水の精霊の加護を受けし最高の魔法使いよ。
芝居がかかった少年の優しい微笑みにも少女――セーレスは反応しない。
そうこうしているうちに、馬車は巨大な城塞都市へと近づいていく。
都市の名は聖都。
王都と並び称される魔法世界にふたつしか存在しない100万人の大都市。
始祖アークマインが起こし、今なお威を振るうそのお膝元。
リゾーマタの森辺にあった滝と同じ規模の巨大な門が口を開く。
セーレスにはそれが、巨大な化け物の大口のようみ見えた。
これに飲み込ままれれば、臓腑に落とされ、溶かされてしまい、もう二度と戻れない。
涙さえ枯れた彼女は、ただ今一度だけ、もう二度と会えないであろう最愛のヒトの名を呟いた。
「タ、ケル……っ」
続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます