第41話 復讐に身を焦がして⑤ 古代樹の精神
*
ラエル・ティオス邸宅で目覚めた翌日、僕は彼女の領地を後にし、一路リゾーマタを目指していた。
「いやあ、乗馬って本当に全身運動なんだね。ただ乗ってるだけなのにカラダが痛くなってきちゃったよ」
「うるさい黙れ。私を汚らわしい目で見るな。そして死ね」
「…………」
辛辣極まりない言葉に閉口してしまう。
僕はただいま騎乗のヒト――馬に乗っていた。
もちろん、乗馬スキルなんて持ち合わせちゃいない。
地球にいた頃は現実の馬だって見たことがなかった。
手綱を握るのはエアリスで、僕はその後ろにおっかなびっくり座っている有様だた。
たった一晩、一宿一飯の恩義だが、ラエル・ティオスは超いいヤツだった。
何を施すにしても僕にキチンと断りを入れてくるし、基本的に様々な譲歩をしてくれるが、ダメなところは言うし、その理由も話し、納得させてくれる。
ああ、これが大人というものなんだろう。
僕は今現在ろくでもない自覚はあるが、将来はこんな大人になりたいものだ。
そして部下に憧れられる上司になりたいものである。
そんなわけでとりあえず僕は風呂に入り、飯を食いがてら、自分の事情をラエルとエアリスに話して聞かせた。ちなみに全然関係ないけど、「お背中をお流しします」と言ってメイドのソーラスが一緒に入ろうとしてきたけど全力で辞退した。エアリスがものすごい形相で睨んでたからだ。
そして僕の話に矛盾がないらしいと知ると、ラエルはようやくディーオの死を正式に受け入れた。
「まさか、あのディーオ殿が斯様な最期を遂げるとは。一切の係累を持たないと言われていた龍神族にはそのように他者へと力を譲渡する術があったのか」
「いや、別に誰でもいいってわけじゃないみたいだ」
「どういうことだ?」
「多分、相性みたいなものがあって、力に適合しないと僕の方が死んでたっぽい」
「それもそなたの中のディーオ殿の記憶によるものか?」
「それよりももっと漠然とした勘みたいなものかな。本人がいないからもう確かめようもないけど、でも間違ってはいないと思う」
「ふざけるな」
食事の手を止め、僕の言葉を遮ったのはエアリスだ。
「異なる世界だかなんだか知らぬが、昨日今日
「じゃああとはディーオの方がなんとかしてくれたんじゃないの。知らないけど」
「なんだ貴様、さっきから聞いていればディーオ様に対して感謝するどころか煩わしいような態度で……!」
「落ち着けエアスト=リアス殿。タケル殿も控えてくれ。むやみに彼女を刺激するな」
「了解。ごめんねエアリス」
「エアリスなどと呼ぶな!」
「えー、おまえの本名長いんだもん」
「貴様ぁ……!」
「はあ……」
ラエルには申し訳ないが、お互いに譲れないものがある以上、どうしてもぶつかり合ってしまう。でもそれは果たして悪いことなのだろうか。これも立派なコミュニケーションだと思うんだけどな僕は。
*
「貴様、先程からいい加減にしろよ」
「何の話だよ」
ラエルの領地で一泊したあと、僕はすぐさまリゾーマタに戻る旨を告げた。
引き止められるかと思ったがそんなことはなく。ラエルは快く僕を送り出し、なおかつボロボロになった服や、いかにもファンタジーっぽい漆黒のライトアーマーなどを気前よくくれた。
「いずれ、そなたとはまた会えるだろう」
そう言うラエルには確信でもあるのか、僕との再会を信じているようだった。まあこれも彼女なりの将来の投資というやつなのだろう。
だが、ひとつ問題があった。
それは眠っている間に獣人種の領域まで連れてこられたため、僕にはまるで土地勘がなかったのだ。
ラエルの領地はヒト種族、そしてなにより魔族種の領地ヒルベルト大陸に最も接近した場所にある。帰ることは比較的簡単だが、それでも乗馬の技術がない僕には厳しいものがあった。
するとラエルはとんでもないことを言い出す。
「エアスト=リアス殿、タケル殿をリゾーマタまで送ってはもらえないか?」
当然エアリスは憤激した。
だれがこんな男を送り届けるようなことを――と。
だがラエルは何事かをエアリスに耳打ちし、エアリスは渋々と言った感じで頷いた。
そんなこんなで、僕は毛並みの美しい黒曜馬の背に乗り、エアリスとタンデム旅行を楽しんでいた。もちろん、手綱を握るのはエアリスで、僕は櫓の端っこを掴んで、いつ落っこちるともわからない不安定な乗馬を楽しんでいる。
当初馬は二頭用意されていて、エアリスは道案内役だった。
でも僕が馬に乗れないと知ると、ラエルも含めて呆れられ、結局エアリスと二人乗りをすることになったのだ。
その際の開口一番は「私に触れるな」というものだった。
前のヒトの体に触れない以上、僕はとことん不安定な馬上で、掴まれそうなものをなんでも掴んで必死にしがみついている状態だった。
「先ほどからずっと視線を感じている。貴様、私に助平心など出そうものなら切り刻んでやる……!」
「しょうがないだろう。前を向くと自動的に見えちゃうんだから」
エアリスは最初に会った時から着用しているボンテージみたいな革製の鎧姿だった。
基本的に背中は大きく開いていて、肩も腕も露出している。
膝の上くらいまでのブーツをガーターベルトみたいなもので釣り上げ、股間の部分はミニスカートみたいな申し訳程度の腰巻きしか纏っていない。
なので、パカラパカラ、と馬が蹄を響かせる度に、そんなに揺れることないんじゃないか、というくらいエアリスの各部位が揺れるのだ。
褐色の肌にモデル顔負けのプロポーションをしている。
ラエルはどちらかというと女傑といった印象だが、エアリスは正直目のやり場に困るほどの美貌の持ち主だった。
「ディーオ様から力を受け取った男が色に迷うか。嘆かわしいな全く!」
「それとこれとは別だろう。力云々は関係ないぞ」
綺麗な女性がいたらつい見てしまうのか男というものなのだ。
「貴様……それは私のことを言っているのか?」
言われてから気づく。
ああ、いや別にエアリスを綺麗と言ったわけではなく。
まあ事実エアリスは凄い美人なことは間違いないのだが。
「何故ディーオ様は貴様のような色ガキなどを選ばれたのだ……!」
エアリスはガックリと肩を落としながら馬の横腹にかかとを入れる。
ヒヒーンてなもんで僕は振り落とされそうになった。
「待て待て、僕の、どこが、助平、だって、いうんだ、僕には、もう、好きな子、が、いるんだ」
ガクガクと上下動しながら舌を噛まないよう途切れ途切れに抗議する。
するとエアリスは肩越しにギロっと睨みつけてきた。
「では牢獄で貴様はあのメイドに何をしていたのだ?」
虚偽を許さぬ鋭い視線。
僕は縮み上がりながら答える。
「マ、マッサージ」
「まっさー……? なんだそれは?」
「それは――言えない」
「何だと!?」
「とにかく、アレがイヤらしい行為に見えていたのなら大きな誤解だよ。ソーラスはいざしらず、僕にはそんな不順な気持ちは一切なかった」
大嘘である。
あのまま行為を続けたら女の子がどんな有様になってしまうのか、純然たる興味があった。その果てにソーラスは気をやってしまい、その後、風呂の世話からベッドメイキング、そして夜の相手まで申し込んでくる有様だった。どれも全部丁重に断ったが、別れ際、涙ぐんでいたのには心が傷んだ。ごめんよう。
「いいか、貴様の中には甚だ不本意ではあるが、ディーオ様のお力が宿っている。貴様が龍神族の王を名乗る以上、ディーオ様を貶めるようなふるまいは厳に慎め、いいな!」
「それって自分がラエルに言われたことじゃん」
「今そんなことはどうでもいいのだ!」
今朝方、僕をリゾーマタに送り届けるように言われたエアリスは、渋々どころか不平不満が顔面を支配していた。まさかこのまま出発して、ラエルの目が届かなくなってから僕は殺されるかも知れない。そう危惧していたほどだ。だが――
「かつて我が雷狼族を救うて下さったディーオ殿は義に厚き魔族種の中の魔族種だった。今やそれを伝えることができるのは唯一の家臣であったエアスト=リアス殿をおいて他にいない。そなたの振舞いひとつで、ディーオ殿の名前が地に落ち、瑕疵がつくのだ。よもや食客の身分で私の客分に害をなすような真似はすまいよな?」と。
エアリスはぐうの音も出ないようで僕に憎悪の目を向けてくることしかできなかった。
そんなこんなで針のむしろのようなタンデム旅行は続いている。
ラエル・ティオスの領地からリゾーマタまではヒトの脚でまる一月。
馬の足なら急げば十日ほどだという。
だが途中、魔の森をかすめるように北上すれば、かなりの時間を短縮できるらしい。
「貴様以外に誰もおらぬだろう。間もなく魔物たちの森だ。どうする、突っ切るか?」
「迂回でお願いします」
僕はノータイムで答えた。
「ふん、所詮は元ヒト種族か。魔物ごときに怖気づくとは情けない」
「別に、行くのは構わないけど、でもキミはきっと僕のためには魔物をやっつけてくれないだろう?」
「当たり前だ。何故私が貴様のために風の精霊に願い奉らねばならぬのか。そも、貴様自身にもアレほどの魔法の力があるだろうに」
僕の魔法はラエルの領地に大穴を開けた。あの時使った風の魔法と衝撃波は、近在する獣人種の町にまで轟音として轟いたという。確かにあの威力は僕も予想外だった。でも――
「あんなのは魔法なんていわないよ。あれは『突発性局地的災害』であって、断じて魔法なんかじゃない」
「なんだと?」
「自分の意図しない効果で甚大な被害を発生させて、おまけにいちいち自爆してたら世話ないよ。どうやら僕は魔法の才能がないみたいだ。当分の間は封印する」
馬上で振り返り、僕の言葉に眉根を寄せていたエアリスは、ふいにニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「貴様には目的があるのだろう。そのために時間が惜しいと思わないのか?」
「そりゃあ思うさ」
「では何故だ。邪魔をするもの、立ち塞がる全てを、その力でねじ伏せたいとは思わないのか」
それは、昨日僕自身が言っていた言葉だ。
なんというか、僕が口にした言葉と同じなのに、彼女から発せられるその響きのあまりの軽さに笑いが漏れてしまう。
「何だよそれ。僕のことバカにしてるのか?」
「馬鹿にしてなどいない。侮ってるだけだ」
それは同じような意味だと僕は思った。
「私は、せっかくディーオ様がお与え下さった力を腐らせたままにするつもりなのかと聞いているのだ」
自分本位でディーオ様至上主義。いい加減この子の馬鹿さにウンザリしてしまう。
なので侮られるならこちらも舐めた口を聞いてやろうと意地悪をする。
「ふうん、キミが本来ディーオに望んでいたのってそういう残虐非道な魔王像だったんだね」
僕がそういった途端、エアリスは背後を振り返りながら否定する。
「違う。そんなことは思ってはいない」
「本当かな。でも思ってたんじゃないの。ディーオ様は本当はもっと凄いのに、それをみんな知らないから悔しいって」
「そ、それは……!」
「ディーオ様のお力を世に知らしめましょう。逆らうものはみんな殺してしまいましょうって」
「ふざけるな! そんなことディーオ様に申し上げたことなどない! ディーオ様もそんなことは決して望まなかった!」
「そう。でもね、ディーオはしたことあるよ、そういうこと」
「何……? そういうこととはどういうことだ?」
エアリスが手綱を操り、馬を停止させる。
僕を憎く思いつつも、僕から発せられるディーオの情報に価値があることもまたわかっているのだろう。
「もうそれこそ、気が遠くなるほど大昔のことだよ。ディーオは一国のヒト種族を根絶やしにしたことがある。その時のディーオこそ、己の力に酔いしれ、己の道を阻むもの全てを薙ぎ払っていたみたいだ」
それは魔族種として覚醒した瞬間に見たイメージ。
まず間違いなくディーオ本人の記憶の断片と思われるもの。
正確にそれがいつのことだったか。
1000年前だったのか9000年前だったのかはわからない。
でも、真っ赤な血を浴びて凄絶に笑うディーオの姿なんて、ろくなもんじゃない。
間違いなく彼にも、
「貴様、虚言を吐くな、ディーオ様がそんなことするわけが――!」
「キミを救った頃のディーオはもうとっくに枯れたあとだった。血の臭いも殺しの快楽にも飽き飽きして、精神が古代樹のように老成したディーオだったんだよ」
「――やめろ、聞きたくない!」
エアリスは停止させていた馬の上からブワっと飛び上がった。
そして櫓にまたがったまま見上げる僕をキッと睨みつけた。
「貴様が、貴様ごときが私の知らないディーオ様を語るな! あの方は、あのお方は他の魔族種とは違う! あの方は誰よりも強く、気高く、お優しい方だったのだ! 二度とそのようなことは口にするな!」
そういうとエアリスは風をまとい、遥か空の高みまで登っていってしまった。
うーん、しまったな。イジメ過ぎた。
でもまあ、べそかき終わったら降りてくるか。
「もし本当にこの力を使いこなせたら……」
そして力に溺れ、破壊衝動に身も心も委ねられたら、色々なことがシンプルになるだろう。でも、そんなことをしたら大事な目的まで見失ってしまう。きっと破壊と殺戮の果てにはセーレスは待っていてはくれないと思うのだ。
ああ、そういえばこの世界に来てから、こんなに長く離れ離れになったのは初めてだな。
「エアリスのことを言えないな僕も……」
プルル、と首を振りながら、黒馬が僕を見ている。
早く会いたい。一刻も早く助け出したい。
そして僕は自分が変わってしまったこと、そして気持ちだけはなにも変わっていないことを早く伝えたい。
グイッと目元を拭う。
彼女を取り戻すまで泣いている暇なんて無い。
そのためには早くリゾーマタにたどり着かなければ。
僕は大きく息を吸い込み、米粒ほどに小さくなったエアリスに謝罪の言葉を叫ぶのだった。
続く。
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