第40話 復讐に身を焦がして④ 深淵を継ぎし者

 牢屋の向こう、ふたりの女性が立ち尽くしている。

 ひとりは犬耳に灰色の髪をウルフカットにしたワイルドな女性。

 そしてもうひとりは見覚えがある、褐色の肌に銀髪の美少女。

 僕のことを遥か上空から叩き落としてくれたあの女だ。


 呆然とするふたりの視線の先――ベッドの上には蕩けきった猫耳メイド。

 その服は乱れており、何をしていたと言われたら、エッチなことをしていたと言ったほうが一番手っ取り早い気がする。


 だが待って欲しい。

 僕は決してイヤらしい気持ちなどなかった。

 学術的探究心と言うか、人間とはまた違った種族の女の子の、もっとも特異な身体的特徴部位を好きにしていいと言われたためそれを触った。


 あまつさえ愛撫的なこともしてしまったかもしれない。

 だが僕は途中でやめようとしたのだ。

 それを強要したのはこのメイドさんである。

 つまり僕は無実。

 なんら悪いことはしていないはず。


「あの――ブッ!?」


 銀髪女――エアスト=リアス――エアリスから魔力が迸る。

 風の礫が顔面に叩きつけられ、僕は床の上を転がった。


「貴様ぁ――答えろ! 今ここで何をしていたッッ!?」


「エアスト=リアス殿!?」


 床に這いつくばる僕に容赦ない罵声が浴びせられる。

 ガシャンッ、と鉄格子を叩くエアリスを止めたのは犬耳の女だった。


「いきなりどうしたと言うのだ、落ち着かぬか!」


「だがこの者はそこなメイドに不埒な真似を――」


「仮にそうだとしてもそれを誅するのはソーラスの主である私の役目だ。いきなり手を挙げる者があるか!」


「だが許せん! なぜだかわからんが、そのものが他の女を誑し込んでいる姿を見ると無性に腹が立つのだ!」


 肩で息をしながらなおも風の礫を作ろうとするエアリスを、犬耳の女が羽交い締めにする。僕は痛む鼻っ柱を抑えながらソーラスに声をかける。


「ソーラス、ソーラス! 起きて、ここは危険だ、早く出ていった方がいい……!」


 無論、その時の僕は100%の善意から彼女を揺り起こそうとした。

 だが、未だ気をやったままのソーラスは俺の顔を見るなり、続きを促してきた。


「お、お客しゃま、もっと……ソーラスは悪い子れす……もっとお仕置き、して」


 うわーお。

 僕はギギギっと振り返る。

 エアリスの表情が見えない。

 俯いた彼女はわなわなと肩を震わせていた。


「貴様は――」


「エアスト=リアス! 私はこの男と話がある! これ以上邪魔をするというならディーオ殿の探索はもうしない! 今後一切協力もしない! それでもよいか!?」


 なんて顔してるんだよ、と僕は思った。

 目を見開き、歯を食いしばるエアリスは、ザッと自ら一歩引いた。

 ホっと、僕と犬耳女、両方から安堵の息が漏れた。


「やっと話ができそうだな」


「ああ、嬉しいよ」


「嬉しい話になるかどうかはそなた次第だ」


 ああ、ようやくまともな会話ができそうだな、と思った。


 *


「なんというか、随分と落ち着いているのだな」


「牢屋暮らしは慣れてるんだ。慣れたくもないけど」


 犬耳――おっと狼の耳だった。

 狼耳をした女は自らをラエル・ティオスと名乗った。

 雷狼族の長であり、この館の主だという。

 僕のことは重要参考人として連れてきたそうだ。


「一応こちらはエアスト=リアス殿。我が雷狼族にとって恩人の従者をしている方だ」


「エアスト=リアス……ああ、知ってる」


「知ってるとはどういう意味だ?」


 エアリスが口を開くより早く、ラエルが質問を投げてくる。


「この者の主が現在行方不明中だ。私達も探してはいるが、なにせ異なるヒト種族の領域のこと、ことは上手く運んでいない。そなたはあの監獄の塔の中にいたのだったな。知っていることがあれば教えて欲しい。あの塔に捕らえられていた魔族種がいたはずだが、彼はどこへ行った……?」


 静かな瞳が僕を射抜く。

 穏やかな口調なのに有無を言わさぬ強制力がある気がした。

 向こうもそれだけ必死というわけか。


 その隣では、火がついた導火線みたいな銀髪褐色の女が今にも僕を噛み殺しそうな目で見つめている。


 一瞬、適当な嘘をついて誤魔化してしまおうかと思う。

 知らぬ存ぜぬで全てを押し通す。

 証拠はなにもない。証人も誰もいない。

 真実を知っているのは僕だけなのだから――


 そこまで考えたところで、はたとエアリスを見る。

 そしてその瞳の中に一抹の不安と恐怖があるのを、僕は確かに見た。


 そうだ、彼女にとってディーオは父親なのだ。

 自分の大切な者の行方を心配しているだけなのだ。

 僕にだって大切なヒトがいる。

 彼女を助けるためならなんだってする覚悟だ。


 ならば真実を告げようと思った。

 もうこの世にいない者を、当て所もなく探す日々は地獄そのものだ。

 そして僕はエアリスに一発殴られでもして、そして晴れてセーレスを探しに行くとしよう。うん――


「あんたたちが探してるのはディーオという男のことか?」


「!」


 ラエルが息を呑む。

 エアリスはその琥珀の瞳を見開き、猛然と僕へ食って掛かった。


「貴様、やはり知っているのだな!? 疾く答えよ、ディーオ様は何処にいる!?」


「その前にアンタ、この呆けてるメイド、連れてってくれないか。鍵開いてるし」


「そうか、わかった」


 神妙な顔で僕を見ていたラエルは、言われるがまま格子戸を開く。未だベッドの上で気をやっている発情猫娘をお姫様抱っこして外へと連れ出す。その際、僕のことを何か探るような目で見てきた。このヒト、かなり勘がいいな。


「いいか、落ち着いて聞け――と言っても無駄だと思うが。ディーオ・エンペドクレスはもうこの世にはいない」


「なん、だと……!?」


 エアリスの顔面が一瞬にして蒼白になった。

 がっくりと膝をつき、僕の言葉を否定するようにゆるりと首を振った。


「ウソだ、そんなこと……、あのお方がヒト種族ごときに……!」


「私も……にわかには信じられない」


 しゃがみ込むエアリスをいたましそうに見つめながらラエルも否定の言葉を口にする。


「あの御仁は龍神族の王だ。大変な長命で不老な方なのだ。おいそれと命を落とされるはずがない。きっと何かの間違いではないか?」


「いや、本当だ。もうディーオ・エンペドクレスという男は存在しない」


「ウソだッッ!!」


 ゴウッ――、と風が疾走る。燭台の炎がかき消され、薄闇が訪れる。

 エアリスの全身に風の魔素が集う。深緑の輝きが炎のように揺らめいていた。


「あのお方が、ディーオ様が死ぬはずがない! あのお方は不死身なのだ! 最強の魔族種なのだ! 絶対に絶対にそんなことはあり得ないッ!」


 魔力とは無色透明な力であり、生命体の持つ根源的なエネルギーそのものである。

 そして感情の昂ぶりは、すなわち命の煌めきである。

 風の精霊に守護されたエアリスの心は今まさに爆発寸前だった。

 それでも僕は彼女に告げなければならない。


 何故なら僕はもう魔族種だから。

 今まさにエアリスが言ったとおり、最強の名を冠する龍神族の力を持っている。

 他ならぬディーオ自身から与えられたのだ。


 ならば力を持つものとしての振る舞いをしよう。

 せめてあの男の名前が汚れぬよう、最強を張り続ける。

 そうして生きていくことが、僕にできる唯一の弔いなのだ。


「僕の名前は――タケル・エンペドクレス。ディーオ・エンペドクレスの深淵を受け継いだ元ヒト種族だ」


 *


 久しぶりに青空を見た気がする。

 セーレスとともに囚われた日からどれだけの日数が過ぎたのかはわからないが、魔法世界マクマティカの自然は、一切ヒトの手が入っていない原初の姿を保っている。

 サワサワと揺れる木々。枝葉の隙間から降り注ぐ陽光に目を細めながら、胸いっぱいに空気を吸い込む。


「がはッ――!」


 血を吐いた。

 というか全身がメチャクチャ痛い。

 一体何十メートル飛ばされたんだ?


 一発くらい殴られる覚悟をしていたが、まさか牢屋の石壁をぶち抜いて、屋外までふっ飛ばされるとは思わなかった。僕は土埃を叩きながらムクリと起き上がる。さっきまで全身がグシャグシャだったはずなのに、僅かな時間で打撲や骨折は完全に治っていた。


 穏やかに揺れていた木々がざわめき始める。

 それは地上に顕現した台風が放つ暴風が近づいてきているからだ。

 はるか向こう――ラエルの館の方角から褐色の悪魔が歩いてくる。銀の髪を逆立て、憤怒の形相を隠しもせず、全身に風の精霊を纏わせたまま、僕に明確な殺意を叩きつけてくる。


「言うにことかいて貴様、今何と言った……? エンペドクレスは貴様ごときが口にしてよい名ではないぞ――死を以て償えッッ!」


 エアリスが手を振りぬいた瞬間、指先の軌跡をなぞるように空気が切り取られる。

 一瞬真空となった空間に風の魔素が高密度で流入することでそれは何ものをも切断する刃と化す。


「エア・カッター!」


 技名言う必要あるのか――? などと思っている間に、僕の上半分と下半分は泣き別れし、次の瞬間にはくっついていた。


「何ぃ……貴様何者だ? 我が風の刃を防ぐとは。だがこれならどうだ」


 ふわっとエアリスが手のひらを開く。

 その中心に向けて彼女が「ふっ」と鋭く息を吹きかけた。


 謎の行動に首を傾げかけて気づく。

 僕の周りにはいつの間にか無数の風の刃が滞空していた。

 引き絞られ、たわむその姿は、エアリスの号令を今か今かと待ち望んでいる弓矢のように見えた。


「全身を切り刻まれて土に還るがいい――!」


 エアリスが手のひらを握りこむ。

 すると全方位から一斉に風の刃が僕へと殺到した。

 肉を斬り裂きながら、刃同士がぶつかり合い、僕の身体を巻き込んで連鎖的に小爆発を巻き起こす。


 首も腕も胴体も脚も、まんべんなくグチャグチャの肉片にされ、僕は撒き餌のように地面に散乱した。


 *


「エアスト=リアス殿! ――ああ、間に合わなかったか!」


 追いかけてきたのはラエルだった。

 石造りの牢を破壊するほどの風の爆発に巻き込まれても彼女は無傷だった。

 獣人種の列強氏族は伊達ではないといったところか。


「何も殺すことはないだろうに。いくらなんでも心乱され過ぎではないかエアスト=リアス殿」


「あの者が我が主の名を汚すようなことを言うからだ。それだけで万死に値する」


「確かにそうかもしれんが、あの者はあの者でディーオ殿の名前を出して、そなたに何かを伝えようとしていたのではないのか?」


「だとしてもろくな情報ではあるまい。よくよく考えればディーオ様がこの世にいないなどというのもウソに決まっている。なんと言っても彼のお方は不死身だからな」


「う、む。私もそうは思うが……」


 エンペドクレスの名を騙った不埒者は絶命し、すべては振り出しに戻ってしまった。ディーオの行方はわからず、結局そこで屍を晒す男も何者だったのか、知るすべはもうない。


 考えられる可能性はひとつ。自分たちが掴んだ情報が古く、ディーオの身柄は別の場所に移された、と見るべきだろう。


 それならば、再びヒト種族の動き――人類種神聖教会アークマインの動向を注視すれば、自ずと指針も見えてくるだろう。


 いずれ必ず主を救い出してみせる。

 エアリスはそう決意を新たにしてた。

 その時――


「ねえ、ずっと疑問に思っていたんだけど」


「な――!?」


 ありえない声。

 ひき肉になったはずのタケルが、仰臥したままの姿勢でエアリスとラエルを眺めながら言った。


「あれだけランダムに切り刻まれて、股間の部分が無傷なのって偶然なのかな。それともわざとここだけ避けたのか。僕としてもフルチンにならなくて済むからありがたいんだけど」


「馬鹿な――貴様、何故生きてる!」


「何故って。だから言ったでしょう。僕はタケル・エンペドクレスなんだってば」


 タケルはボロ雑巾になった上着を剥ぎ取り立ち上がった。


 あれだけバラバラにされてもタケルが意識を失うことはなかった。

 激烈な痛みが気付けとなり、気絶できない、といった方が正確か。


 だが幸いにして復活のプロセスをマジマジと観察することができた。

 バラバラにされた全身、それはまる手足が粘度の高いプールの中に入れられている感覚とでもいうのだろうか。


 とにかく手足が重くて動かせない。

 でも身体が再生すればその緩慢さが消え失せ自由に動けるようになる。


 バラバラだった全身が、僅か数秒で元通り。

 なるほど、これは化物だ。こんな再生能力を持っているのなら、ディーオが死んだことを受け入れられないのも頷ける。


「それにしてもエアリス、おまえってかなり強いね。僕、何度かキミの魔法に介入しようとしたんだけどダメだったよ。人類種神聖教会アークマインの聖騎士隊長ってやつより、魔法を発動させるスピードが段違いだし、意志力も強い。さすがは精霊魔法使いってところか」


「なに? 貴様、何故私が精霊魔法使いだと……?」


 話して聞かせた覚えはない。

 だが地元――ディーオの治める領地――その城下町ではエアリスは有名だ。

 風の精霊の祝福を受けた特別な魔法使いと知っていても不思議ではないと思い直す。


「うん、でもそれだけだ。お前、すっごく面倒くさい性格してる。ヒトの話は聞かないし、思い込みは激しいし。ディーオね、そんなところが苦手だったみたいだぞ」


「き、貴様、この期に及んでまだ、ディーオ様の名前を軽々しく口にするか――」


 エアリスの全身から魔力がほとばしる。

 それに呼応して大気がざわめき始める。

 風の魔素がエアリスの周囲に集結しつつあった。


「もう一度説明するぞ、よく聞けこの馬鹿女」


「バ――、何だと貴様っ!?」


「ディーオ・エンペドクレスはその長過ぎる生に飽き、自らの命を投げ出した」


「貴様……、もう許さん。我が主を一度ならず二度三度と愚弄しおって。どんな手品を使ったかは知らんが、次は二度と甦れないよう、その頭を切り刻んでやる!」


 ダメだ、とタケルは思った。

 全く会話にならない。

 もう無理だ。説得など無駄だ。

 結局はもう力づくでわからせるしかないのだ。


「あるいはお前ならわかるんじゃないか。この魔力が一体誰のものなのか――」


 タケルは大きく息を吸い込み、下っ腹に力を入れる。

 両足でしっかり大地を踏みしめ、自分の中にある、のようなものを解き放つイメージを浮かべる。


 ドンッ、と地面が揺れた。

 エアリスとラエルは地震か、と辺りを見渡した。


 ドクン、ドクンドクンドクン――!


 異界の扉が開く。タケルの内なる世界から拍動が伝わりくる。

 火を入れられた虚空心臓が唸りを上げ、無限とも思える魔力がその全身から間欠泉のように吹き出し始める。


「そんなッ、この鼓動の音は、あり得ない――!」


「な、何なのだ、このデタラメな魔力の奔流は――!?」


 エアリスは必死に首を振って目の前の現実を否定する。

 だが否応なく理解してしまう。

 この地揺れと見紛うほどの拍動と共にあふれる魔力の爆発は、主であるディーオのものとそっくりではないか――と。


「おまえに取ってディーオは確かに大切な存在だったんだろう。でも僕にだって同じく大切なヒトがいる。僕は彼女を助けるため、そのためだけに、ディーオの力を受け継いだんだから――!」


「ふ――、ふざけたことを言うな! あのお方が、ディーオ様が私を差し置いて貴様なぞにお力を、寵愛を与えるわけがない!」


 ああ、なるほどとタケルは思った。

 結局はそこなのか。

 自分がディーオの一番であると信じて疑わないエアリスは、自分を差し置いて僕がディーオの力を受け継いだことがどうしても納得出来ないのか。


 なら、やっぱり力づくでわからせるしかないじゃないか――


「認めるものか、ディーオ様が私を置いていくなど、私をひとりぼっちにするなど、そんなこと――」


 エアリスが再び風の刃を紡ぎだす。

 圧倒的速度で周囲の風の魔素を吸収し、自分の支配下に置く。

 でもそんなものは関係ない。


 タケルは森辺の大気中に存在するすべての風の魔素・・・・・・・・に働きかける。そして聞き分けのない子どもに罰を与えるように、タケルは初めてとなる魔法行使を実行した。


「風よ、我が意のままに――猛り狂え」


 直前に、視界の隅でラエルが脱兎のごとく駆け出すのが見えた。

 エアリスが放った風の刃はタケルに届く前に、暴風に飲み込まれてしまう。

 それを見るやいなや、エアリスは慌てて風の壁を作り出す。


 タケルが放った風の魔法は、タケルただ一人・・・・を中心にして炸裂した。


 *


「なん、という……!」


 ラエルは自分の屋敷がある森辺の変わり果てた光景に愕然としていた。

 エアリスが牢を破壊した時もすさまじいと思ったが、これは次元が違う。


 森が広範囲にわたって失くなっていた。

 木々はなぎ倒され、中心地に近い場所では、すり潰され細かな木片へと変貌しており、地面は大きくえぐり取られ、すり鉢状になっている。


 こんな、こんな厄災のような魔法など見たことも聞いたこともない。

 恐怖に顔を引きつらせながら彼女は、ゆっくり慎重に爆心地へと近づいていく。


 すり鉢状にえぐれた大地の中心部――そこには、酷い有様になった少年が大の字に倒れていた。


「やあ」


 倒れたまま目だけを向け、気さくに挨拶などしてくる。

 ラエルはギョッとしながら少年を観察した。

 全身は泥まみれで服はボロボロ。でも五体満足なようだった。


「ごめんね、こんなメチャクチャにしちゃって。なにせ初めて魔法を使ったものだから。あんたの敷地でしょこの辺って」


「あ、ああ、気にするな。いや、それにしても凄まじいな、これがそなたの真の実力なのか」


「いや全然。できるだけ被害を小さくしようと魔力を抑えたんだけど、こんなになっちゃった」


「お、抑えて尚これほどの威力だというのか……!?」


 ゾォ〜っとラエルの背筋が凍った。

 これほどの魔法の威力。

 彼のディーオ・エンペドクレスはヒルベルト大陸で最も魔法に長けた魔族種だった。その魔法はよく気象や天変地異に例えられたという。


 ならばもう認めないわけにはいかなかった。

 この少年は間違いなくディーオ・エンペドクレスの力を受け継いだものなのだと。


「少年、もう一度名を聞いてもいいか」


「タケル・エンペドクレス」


「タケル、エンペドクレスか。教えてくれ、何故ディーオ殿はタケル殿に自分の力を与えたのだ? その力でタケル殿は何をするつもりだ?」


 タケルはムクリと起き上がり、ホコリまみれの髪をバリバリと掻いた。


「最初の質問。本当のことなんてディーオ本人にしかわからないけど、憶測でよければ」


「かまわん、是非教えてくれ」


「道楽だよ」


「道……なに?」


人類種神聖教会アークマインに捕まったのはディーオの道楽。町で晒し者になったのもヒト種族観察のため。自分が捕まり、今後ヒト種族と他種族にどのような軋轢が生まれ、どのような争いの道を歩むのか、興味があるとかなんとか。正直わけわかんない……」


 タケルの言葉を聞くなり、ラエルはガックリとその場に膝をついた。


「はああ……、聞きしに勝る破綻者だな」


「まったくだよ。でも、その破綻した性格のおかげで僕は今ここにいるんだけど」


「それはどういう意味だ?」


 声は第三者のものだった。

 見上げれば風を纏ったエアリスがゆっくりと降りてくるところだった。

 タケルの風が炸裂する直前、一瞬で風を纏い、上空へ逃れていたようだった。


「頭は冷えた?」


「黙れ。貴様と話をするつもりはない。私の問いにのみ答えろ。何故ディーオ様は貴様などにお力を与えたのだ」


「僕自身に、そして僕の目的に興味があったから」


「どこの馬の骨とも知れない貴様に、なぜディーオ様が興味を持つ?」


「それは、僕がこの世界の人間・・・・・・・・・――ヒト種族・・・・じゃないからだよ」


「何だと!?」


 そしてタケルは自分がこの魔法世界にやってきてから今までのことをかいつまんで話した。


「そうか、にわかには信じられない話だが……もし、それが本当だとしたら、ディーオ殿ならあるいは……。して、タケル殿の目的とは?」


「大切なヒトを助ける。それだけだよ」


「――ッ!」


 ぞわりと、目の前の少年から圧が放たれたような気がして、ラエルは後ずさった。


「邪魔するものは排除する。ヒト種族だろうが人類種神聖教会アークマインだろうが関係ない。彼女だけを助ける。彼女以外がどうなろうと知ったことじゃない」


 あるいはその狂気じみた執念こそが、ディーオの興味対象だったのだろう、とラエルは理解した。たったひとりに対してここまでの妄執。逆に言えば、ディーオの思想とは何もかもが真逆と言えた。


 異世界の知識にディーオの深淵の叡智、そして明確な目的、そして無理を押し通して道理を捻じ曲げる圧倒的なチカラ。


 危険だ。この少年は限りなく危険だ。

 でも危険ではあるが――あるいは自分たちへの利益になるかもしれない。ラエルは一瞬でそのような答えに行き着いていた。


「許さん……!」


「エアスト=リアス殿?」


 ラエルがひとり算段をつける中、心と感情が追いつかないエアリスは怨嗟の声をタケルに上げた。


「それでは貴様が原因でディーオ様が死んだようなものではないか! 貴様のせいでディーオ様は死んだのだ――いや、貴様が殺したのだ! その事実は変わらない!」


「エアスト=リアス殿、それはあまりにも……」


「その通りだよ」


 タケルは静かに、エアリスの憎悪の視線を受け止めていた。

 そして「それがどうした」と切って捨てた。


「何だと――!?」


「言ったはずだ。邪魔をするものは排除すると。それはディーオの娘だろうと例外じゃない。僕は多少ディーオの記憶と知識を持っているし、少しならお前のこともわかる。でも、おまえに義理立てするつもりはない。僕は僕であってディーオじゃないからな」


 エアリスの顔がみるみるこわばっていく。

 ラエルはそれをヒヤヒヤしながら見つめ、それでもタケルの方に理があると考えていた。これはディーオの選択だ。最後までメチャクチャな御仁だったが、最後に若人に未来を託したと考えられなくもない。


「もし、その上で、どうしても邪魔をするというなら……今度は逃げるヒマなんて与えないぞ――!」


 再び、タケルを中心に、噴火のように魔力が爆発した。

 アレほどの魔法行使を行った直後に、先と遜色ないどころか凌駕するほどの魔力量。


 本気だ。先程のは本気で小手調べだったのだ。

 聞けば魔法など初めて使ったという。

 だというのに、あの威力。


 もし先ほど使われていたのが風の魔素ではなく、炎の魔素だったとしたら。

 おそらく、周辺の森を燃やし尽くし、ラエルの館は灰燼と帰していたはずだ。

 たったひとりの男が放つ魔法によって、その被害は甚大なものとなるだろう。


「わかった。そなたの邪魔をするつもりはない。好きにするがいいタケル殿」


「ラエル殿!?」


 エアリスは狼狽えた。唯一信じていた者に裏切られたとでも言うように。


「エアスト=リアス殿、そなたの心情は慮って余りある。だが、これ以上は益のないこと。まずは悋気をおさめ冷静になられよ」


「しかし、しかし……!」


「それでもなおそなたがタケル殿に歯向かうのであれば止めはせん。例えそなたが息絶えようと私は関知しない。だがその場合、ヒト種族にとらわれ処刑されたディーオ・エンペドクレスの係累もまた犬死したという謗りは免れないものと知るがいい」


「くっ――!」


「もともとディーオ殿を助けだしたあとに、我らの計画に助力願うつもりだったが、本人がいない場合の次善策としてそなたに働いてもらうつもりでいる。まさかその約束すら反故するつもりではあるまいな?」


「承知している……」


 明らかに不承不承といった感じでエアリスは頷いた。


「タケル、と言ったな」


「ああ」


 ふわりと、エアリスの身体が浮かび上がる。

 彼女の全身を深緑の魔素が包み込んでいた。


「私は貴様を許さん。それがあのお方の本意に背くことだろうと、いずれ貴様を八つ裂きにしてやる」


「僕の邪魔にならない限りにおいてはいつでもどうぞ」


「ッ――死ねッ!」


 そう吐き捨てると風に乗り、エアリスは遥か空の高みへと昇っていった。


「行っちゃったけど?」


「構わん。泣き疲れたら帰ってくる」


 実際、お前の主はお前以外の者を見初めて死んだ、などと言われても納得できないだろう。どんなに確かめ、問い詰めたくとも、本人はもうこの世に居ないのだから。


「行くのか?」


「ああ、そのつもりだよ」


「邪魔をするものを排除するといっても、目につくすべてを殺戮するわけではあるまい。そのようなナリで歩けば無用な厄介事を抱えることになるぞ」


「ああ、やっぱりどうしてかな。全身ミキサーにかけられたはずなのに、股間の部分だけ無傷って変だよね?」


「異世界の言葉か? さっきからたまに、そなたが何を言っているのかわからないときがある」


 たったひとりの女のためにヒトであることをやめた少年。

 ヒト種族が魔族種になるなど前代未聞である。

 この少年もまたディーオの道楽の被害者と言えた。


「服を用意しよう。湯殿と食事も。その前にそなたの魔法の被害が館まで及んでないか確かめなければな。ついてこい」


「ねえ、あんたは何が目的なの?」


 はたと見据えた少年の目はとても子供のものとは思えない目をしていた。

 お前は自分の敵なのか否か。それを値踏みしているようだった。

 子供と侮ると、痛い目にあうということは、先ほどより身にしみて感じていることだった。


「そなたは人類種神聖教会アークマインが許せないのであろう。私もな、人類種神聖教会やつらが大嫌いなのだ。そういうわけで、そなたに協力できる部分があるかもしれない――、ということでどうだ?」


「ビジネスライクって素敵だね」


 ニヤリと笑うタケルに、ラエルは首をかしげるのだった。


「やはり異世界の言葉はよくわからんな」


 続く。

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