第38話 復讐に身を焦がして② 不吉を連れてきた男

「どういうことだっ!?」


 タケルが囚われている牢獄の上階、応接室と思わしき場所で、エアスト=リアス――エアリスは執務机を叩き声を荒げた。


 魔族種魔人族特有の燃えるような褐色の肌に、一際煌めく銀色の髪。

 容姿美しく、男を魅了せずにはいられない豊満な身体を、タイトな革製のライトあーアーマーに包んでいる。


 年の頃は元服を少し過ぎたばかりか。

 どこか幼さの残る綺麗な顔立ちを真っ赤にし、必死な形相で怒鳴り散らしている。


「どうと言われてもな、報告にウソはない。あの場にディーオ殿はいなかった」


 ――そして、エアリスの目の前にいるのはタケルを監禁しているこの館の主で、名をラエル・ティオスといった。


 狼の名を関する通り、灰色の大きな耳と尻尾を持った女丈夫だ。

 ガッシリとした体格をしていて、そこらのオスよりも背丈は上で、目鼻立ちも整っているため、男に間違われることが多い。


 雷狼族は元々彼女の祖父の時代までは灰狼族と名乗っており、特に目立った有力氏族ではなかった。だが、ディーオ・エンペドクレスの助言により、急速に力を身に着け始めた新興の種族だ。


 武芸、才覚、そして商才。それらが特に優れ、群れの頂点に立つべくして立つもの――獣人種の世界ではそれらは名誉有る呼称『列強氏族』と呼ばれる。


 広大過ぎる魔の森と隣接する沿岸部を起点に、日夜森を削り、版図を広げながら、魔物族モンスターを倒し、木材加工、造船業や漁業などの仕事を創出し、雇用を生み出して領民を豊かにする。それらの義務を負う代わりに、一族の名誉と富を列強氏族は得ることができる。


そしてここ、『雷狼族』ラエル・ティオス領は、獣人種領の中で最もヒルベルト大陸――魔族種領とヒト種族の領域に最も近い土地柄である。


 南をジオグラシア海、西を大河川ナウシズに挟まれ、河の向こうはヒルベルト大陸。そして河を北上し続ければ人魔境界線、リゾーマタへとたどり着くことができる。


 そしてタケルが魔族種として生まれ変わってより、すでに5日が経過していた。


 *


 今、エアリスはディーオの行方を探していた。

 自らの主であり、ヒルベルト大陸――いや、魔法世界マクマティカに於いても最強の存在であるディーオ・エンペドクレス。


 そんな主がヒト種族の手によって捕らえられたという情報は、ラエル・ティオスによって齎された。まさに寝耳に水な出来事だった。


 エアリスは当初何を馬鹿な、と鼻で笑った。

 ヒト種族の領域、プリンキピア大陸とヒルベルト大陸とを隔てる大きな壁、テルル山地を越えてヒト種族の軍隊が進行してくるなどありえない。


 仮にヒト種族が何万、何十万と数を揃えやってきたところで、ディーオ・エンペドクレスに勝てるはずもない。何故なら彼らが踏破してきた足元――テルル山地は、ディーオが意図的に魔法で作り出した険しい山地だからだ。


 ヒトと魔を隔てるように創られた地形は、まさに神の御業そのものとも言える。そんな神域の魔法を行使する最強の存在こそがエアリスの愛する男なのだ。


 だが事実は違った。ディーオはエアリスを旧知の間柄である雷狼族の元へ使いに出すと、自らの領地を離れ、人類種神聖教会アークマインの大軍団をたったひとりで迎え撃った。そして敗北し捕虜になってしまった。


 その話を聞いた瞬間、エアリスはすぐさまラエル・ティオスに助力を乞うた。義に厚いラエル・ティオスもまた、先代からの恩義を返すは今とこれに賛同する。


 そうして、ようやくディーオが捕らえられているという人類種神聖教会アークマインの砦へと乗り込んでいったのだが――


「ヒト種族の中に紛れ込んだ同胞たちからの情報だ。ディーオ殿が捕らえられていると目されていた人類種神聖教会アークマインの砦に、彼の姿はなかった。今は瓦礫の撤去作業をしているようだが、出てくるのはヒト種族の死体ばかりだそうだ」


「そんなはずはない、確かな情報だったのだろう、ディーオ様があそこに捕らえられているというのは!」


「然り。そして今回のもたらしてくれた情報もまた確たるもの。ディーオ殿の行方はわからなくなってしまった」


 重い沈黙が漂う。

 ラエル・ティオスは自らの執務机にうなだれ、疲労が伺える溜め息を吐いた。

 だがエアリスの方は収まらない。いませんでしたと言われても、到底納得できるはずがなかった。


「クソ、ちくしょう、何故、私はあのとき……!」


 エアリスはずっと後悔していた。

 何があっても主の元から離れるべきではなかったと。


 近年、特にディーオが無気力で無感動になっていることはわかっていた。長く行き過ぎた弊害なのだと、自分の不意の態度がおまえを傷つけたのならすまないと、ディーオはそう口にしたことがあった。


 だがエアリスは言う。ディーオ様になら何をされても構わない。痛くても苦しくても、それがあなたのためになるのだとしたら本望なのだと。


 ――ちっとも本望ではなかった。

 ディーオに会えない。

 それだけでなんて心が苦しく痛いことか。


 きっとディーオはどこかで生きている。

 彼は卑劣にもヒト種族の何重にも張り巡らされた奸計にハマり、陥れられてしまったのだ。そうでなければ、彼の御方がヒト種族ごときに遅れをとるはずがない。


「唯一の手がかりがあるとすれば、エアリス殿が牢獄の塔の上で保護したという、あの男が何か知っているのではないか?」


「いや……とてもそうは思えん」


 エアリスは執務机から身体を離すと、視線を反らしながら己の肩を抱いた。


「いやにキッパリとした口調で言うのだな。その根拠を聞かせてはくれまいか?」


「根拠は……特にないのだが……」


 何故だ、とエアリスは懊悩する。

 あの男を――ディーオ様と比べてまったく取るに足らない矮小な存在を、何故かあの瞬間だけ、自分はディーオ本人なのだと勘違いしてしまった。


 間違いないと思った。

 一瞬感じた膨大な魔力の本流は、ディーオ本人のものだと、エアリスには確信できた。


 塔を破壊し、その混乱に乗じてディーオのみを連れ去り救出する。

 造作もないはずだった。


 だが実際は大外れ。

 相手はディーオなどではなく、似ても似つかないまだ子供のような容姿をした少年だった。


「私が思うに、あの男は魔族種ではないか?」


「それこそ、なにを根拠に?」


「エアリス殿はあの男を空の高みから落としてしまったと言ったな。だが今彼は五体満足でいる。何やら酷い拷問を受けていたようで疲労困憊し、眠り続けているがな」


 そういえばメイドが報告に来ないな、とラエル・ティオスは立ち上がる。


「ここで気をもんでいても仕方がない。一緒に様子を見に行かないかエアリス殿」


「あ、ああ……」


 エアリスは何故か不吉な予感がした。

 自分があの男に会いに行けば、決定的に何かが終わってしまう。そんな気がする。

 だが手がかりがあの男以外にないのも事実。

 ラエル・ティオスの言う通り、これ以上ここで議論する意味はないのだが――


「お、お願いだラエル殿。今一度ディーオ様の探索をしてほしい。今度は私も同行したい。だから――」


「気持ちはわかるがなエアリス殿。私は私の大切な計画のために同胞たちを危険なヒト種族の領域に潜伏させているのだ。これ以上余計な動きをして人類種神聖教会アークマインに気取られるのだけは避けたい」


「だが――!」


 どんなに『加護付き』であっても、所詮はまだ子供か。

 龍神族唯一の係累であるにも関わらず、エアリスはその埃も忘れ、今にもすがりついてきそうな勢いだった。


「わかった、私も先代の当主同様、ディーオ殿には大恩を感じている身。できる限りのことはさせてもらう。だが今は少しでも情報がほしい。そのためにあの男に話を聞きに行く。これでよいか?」


「う、うむ……すまない」


「大丈夫。ディーオ殿は不死であり無敵だ。今もどこかで生きておられるさ」


「ああ……」


 ラエル・ティオスに励まされ、エアリスは僅かに安堵する。

 だがその心が晴れることはない。

 再びあの名も知らぬ男の前に立つと思うと、エアリスはいい知れぬ不安がこみ上げてくるのを感じる。


 あの男はいけない。

 今すぐ引き返せ。

 ディーオが生きていると信じて自ら探しに出ろ。

 あの男からディーオのことを聞き出してはならない。


 エアリスにとって、あの男は不吉で不気味な存在だった。

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