復讐に身を焦がして編
第37話 復讐に身を焦がして① エアスト=リアス
「またかよ」
まただった。
目覚めると僕は再び牢獄の中だった。
まあ粗末とはいえ、ベッドに寝かされているのだから、アークマインの扱いよりはマシと言える。特に手足が拘束されているということはなく、僕はいつの間にか簡素な服――、この魔法世界では一般的な可もなく不可もない部屋着に着替えさせられていた。
身体を起こし、周りを見やる。
薄暗い石造りの堅牢な牢獄だ。
格子の向こうにはずーっと廊下が伸びていて一番奥には小さく扉が見える。
廊下には等間隔に燭台が置かれ、結構な明るさが僕を照らしていた。
(どうやらこのまま拷問コース、ってわけではなさそうだな……)
さて、と自分の記憶を漁る。
僕が気を失う直前の記憶。
頭上にいただく美しい
肌を切るような冷たい高所の空気。
そして驚愕に染まる見知らぬ女の顔。
褐色の肌、キラキラと輝く蒼みがかかった長い銀髪に、全身に風の魔素を纏っていた。何より彼女は僕のことをディーオと……。
「彼女がエアスト=リアスか」
それはディーオ唯一の係累の名前。
ディーオは魔族種龍神族の王であり、根源貴族の中でも生粋の変わり者だった。
他の根源貴族のように自分の領地は持てど、家臣はおらず、自分の研究にばかり没頭していた。
そんなディーオの日々に、ある日変化が訪れる。
旅先で、幼い魔人族の少女を拾ったのだ。
親を亡くし、奴隷に身をやつしていた少女だが、『加護付き』ということで高額で取引されていた。
『加護付き』とは四大魔素の大源である精霊との親和性が高いものを指す言葉だ。
エアスト=リアスは風の精霊の加護があるとしてディーオに見出され、手元に置かれることとなる。
ディーオの方は人助けでもなんでもなく、単に加護付きが珍しかったから。だが救われた少女は全身全霊をかけて、ディーオに恩を返そうとする。少女から大人へと体つきが成熟していくにつれ、それは確かな恋心として成長していいったようだ。
「つまりエアスト=リアスにとってディーオは父親であり、愛しい男性ってことなのか」
ディーオから命を貰った影響だろうか、僕の中にエアスト=リアスと過ごした記憶が流れる。と言っても、断片的な記憶がフラッシュバックするだけなので、切り取られたシーンから想像するしかない。
僕は、ベッドに仰向けになりながら、ディーオの記憶の断片を見つめ続ける。
エアスト=リアス――日常的にディーオは彼女のことをエアリスと呼んでいたようだ。彼女を引き取ってから、ディーオの日常は少しだけ変わる。
言葉を教わる前に両親を亡くしたからだろうか、拙い喋り方しかできなかった彼女に言語を教え、教養を身に着けさせていく。
やがて、成長した少女は、逆にディーオの世話を焼くようになる。
最初こそ無気力、無感動な感じだったが、次第に笑顔を取り戻したエアスト=リアスは、心からディーオを慕っていたようだ。
でも、悲しいかな、僕が客観的に見ても、その想いはディーオには伝ってはいない。近年の記憶では、エアスト=リアスの寂しそうな顔ばかりが目立つ。
若くみずみずしい女の恋心を受け止めるには、ディーオはあまりにも老成しすぎていた。それどころか、彼にとってエアスト=リアスはあくまで娘。悪く言えばペットのような存在だったのかもしれない。
何か小さくて可愛らしい生き物が、足元に寄ってきて、キャンキャン吠えていても、自分の気分次第では愛らしく思うときもあれば、煩わしく感じるときもある。
そんな最低な気持ちを、わかりたくもないのにわかってしまう。
――月日は流れ、あるとき、ディーオは唐突にエアリスに初めての頼み事をした。
自分に研究に必要な材料を採ってきてほしいと。
それは自分の旧友である獣人種の領地にあるとして使いに出したのだ。
エアリスはディーオの珍しい頼みごとを鵜呑みにし、彼の元を離れた。
それと入れ替わりに、ディーオは自分の計画を実行するために、密かに領地を出奔する。
「ディーオ、おまえってやっぱりバカだろう」
研究バカというか、自分のこと以外は本当に無頓着というか。
自分の家族を巻き込まないように遠ざけたのは、まあいいとして。
でも結局エアスト=リアスはディーオを助けるため、ヒト種族の領域へとやってきてしまった。
僕は自分の命を紡ぐために、おまえの力を受け入れた。
そのことには感謝もするが、でも生前のお前の、精算しきれてない人間関係まで引き継ぐつもりはないぞ。
僕には僕の目的がある。
セーレスを助けること。
そのためにはディーオの力を使いこなさなければならない。
あの牢獄の塔の上で戦ったときのことを思い出せ。
僕の中にある心臓――人間としてのちっぽけな心臓ではない。
破格の魔力を生み出す僕の中の異界――虚空心臓。
何人にも不可侵なこの心臓がある限り、僕が死ぬことはない。
聖騎士たちにメチャクチャに切り刻まれても一瞬で回復するほどの不死性をもっている。だが――
「痛いは痛いんだよなあ」
冷たく重い刃が僕の身体の肩から入り、皮膚を突き破り、内臓を切断し、背骨をかち割りながら脇腹から抜けていく。そのおぞましくも絶望的な感触と痛みを思い出す。途端――
「――ぷっ、うぐっ!」
空っぽの胃袋から胃液が逆流する。
拷問されてる間は当然食事もしていなかった。
僕はベッドから跳ね起き、当たりを見渡す。
部屋の隅っこにおあつらえ向きの壺がある。
僕はそれめがけて顔を突っ込み、ゲーゲー吐いた。
「ってこれ、排泄物用の壺じゃあ……?」
うっ、そう思ったらまた――!
吐くのが止まらない。
胃袋がひっくり返りそうだ。
もう身体はすっかり大丈夫なのに、聖騎士に生きながら切り刻まれた感触がリフレインする。
不味い、落ち着け、考えるのを止めろ、思い出すな――!
「大丈夫ですかッ!?」
突然、廊下の向こうから声がした。
顔を上げれば、赤い髪をしたメイドさん、らしきヒトがお盆を抱えて扉を開けたところだった。
「――うぷ」
またこみ上げてきてしまう。
ダメだ、止まらない――
「落ち着いて、大丈夫ですよ……!」
いつの間にかメイドさんが牢屋の中に入ってきていた。
僕は涙と鼻水と唾液を流しながら、もう吐くものもないというのに
「ああ、ダメです、一度顔を上げて、壺の中を見るとまたしたくなっちゃいますから」
「で、でも――ぐぅう」
「ほら、こっちを向いてください」
赤い髪をショートカットにしたメイドさんが自分の胸に僕を抱く。
ふわりといい匂いがして、一瞬落ち着きかけたけど、でもやっぱり止まらない。
メイドさんの胸に抱かれながら嘔吐きを繰り返してしまう。
「大丈夫、平気ですよ、ここには怖いことも痛いこともないです、安心してくださいね……」
ゆらゆら、ゆらゆらと揺れる。
メイドさんは汚い顔の僕を嫌がりもせず抱きしめながら、赤ん坊をあやすみたいに身体を揺らし続ける。
そうしていると本当に気持ちが落ち着いてくる。
暖かさと心地よさが勝ってきて、いつの間にか気持ち悪いのは消えていた。
「あ、あの」
「はい?」
「もう平気です」
「そうですか、もういいですか?」
「うん、その、どうも」
頭に回されていた腕が解放され、僕は気まずげに離れる。
まさか吐いてるところを見つかってそのまま抱きしめられるなんて。
でも助かった。下手に体力がある分、悪いループに入ると、力尽きることなく延々繰り返してしまう。ああいうのもちゃんと自分でコントロールできるようにならないと。
「た、助かりました、あ、ありがとう」
「はい、本当に大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと痛かったの思い出して」
「お辛い目に遭ったんですね」
また、メイドさんが抱きしめてくる。
ダメだ、なんか抗えない。どうしても甘えてしまう。
いや、多分度重なる拷問で、僕の精神は大分参ってしまっていたのだろう。
「お客様のお召し物を変えたのは私なんです、そのときに失礼ですがお身体を見てしまって」
「身体? 僕の?」
「はい、全身ものすごい傷痕がありました。普通なら死んでいるような傷ばかり」
「いや、あれは」
人間だった頃についたもので、でももう僕は魔族種なので、全然平気なはず。
「いいんですよ、辛い時は辛いってちゃんと言わないと。じゃないと周りは助けたくても助けられないんですから。今だけは甘えちゃってください」
「うん……、じゃあもう少しだけ」
「はい」
ああ、気持ちが落ち着いていく。
セーレスも、寝てる間にこうして僕を抱きしめてくれていたっけ。
いいな、女の人に抱きしめられるのって。
なんかとってもすごいな。
しばらくして、僕はそっとメイドさんの肩を押して離れる。
「もうよろしいですか?」なんて言われて、僕はてコクリと頷いた。
「お水、飲みませんか。お口のなか気持ち悪いでしょう」
「うん、貰う」
うわあ、なんか気持ちも落ち着いたけど、心がリセットされるとメチャクチャ恥ずかしくなってくる。なにセーレス以外の女のヒトに抱きしめられて安心してるんだよ。浮気じゃんこんなの。
「あ、ごめんなさい、汚しちゃって」
「え、ああ、気にしないでください。こんなの洗えばいいんですから」
相手の顔がまともに見られない。
でもメイドさんは気にした風もなく笑っている。
彼女が持ってきたお盆の上、水差しからコップに一杯、水を注ぐ。
僕はそれを受け取り、ホっと人心地つく。
「お食事、食べられますか?」
「ええ、もらいます」
いつまでも落ち込んではいられない。
セーレスを取り戻すために戦わなければならないのだ。
気持ちを切り替えて体力――は自動で回復するけど、精神的な安定のために食事は大事だ。無理矢理にでも食べよう。
「はい、たくさん食べてくださいね」
「どうも……」
大きな皿に具沢山のスープが入っている。
これは美味そうだ。
「あの」
「なんですか、おかわりですか? それとも食べさせてほしいですか?」
「いえ、違います」
なんでそんなじっくりマジマジ見てるんだ。
メイドさんは僕が食べている間、ずっと側にいて、つぶさにこちらを見てくる。
お陰でこちらは全然落ち着かない。さっさと食べてしまおう。
「ごちそうさま」
「はい?」
あ、日本語でごちそうさまって言っちゃった。僕は「故郷の習慣で食べ終わったあとに感謝を伝える呪文です」とか言っておく。
「そうなんですか。いいですねその呪文。『ごちそうさま』、うん、私も使ってみますね」
そんな風に言われたら「いたさきますも」教えないとダメじゃないか。
僕はそこでようやく、顔を上げてまともにメイドさんの顔を見た。
赤毛のショートカットの女の子。
歳は僕と同じか一つ二つ上くらい。
僕の体液で胸のところにシミができてしまっている。
そして最大の特徴が――頭の上の大きな耳だった。
「え。それって、コスプレ?」
「はい? こすぷれ? それもごちそうさまの呪文ですか?」
「いや、頭の上に大きな、猫耳みたいなのが載ってるから。可愛いなと思って」
「ホントですか、可愛いですか?」
わーいと、メイドさんは僕から空の皿を受け取りながら上機嫌になった。
その際、猫耳がピコピコと動いているような……。
「ちょっと、その耳、動いてるけど、え、本物?」
「そうですよ、だって私獣人種ですから」
あ、と大きな声を出してメイドさんは居住まいを正し、僕に向けて頭を下げてきた。
「申し遅れました。当館のメイドを務めますソーラス・ソフィストと申します。獣人種
にゃは、と歯を見せて笑うと、大きめの犬歯が顕になる。
もぞもぞっとスカートの後ろが動いて、裾からピョコンと尻尾の先端が顕になった。
獣人種。猫耳。すげえ。
僕の心は一瞬にして奪われた。
続く。
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