第193話 枯れた滝


 一度焼けたのだろう。木々が変わり、地形の様相が変わっていたが、シュンは迷うこと無く真っ直ぐに滝のある場所へ向かった。


 シュンが通った場所を忠実に辿って、ユアとユナが続く。

 所々に仕掛け罠があった。

 エラード達が使う仕掛け罠と同系統の狩猟罠だった。ジナリドの町に居た狩人が仕掛けたものだろう。

 ただ、発動したまま放置された罠が多い。仕掛け罠の見廻りはしていないようだった。


 びっしりとつたに覆われた急な斜面を見上げる場所で、シュン達は足を止めた。ここはかつて滝があり、小川が流れていた場所だ。今はわずかな流れすら無い。


「シュン様」


「主殿」


 ユキシラとリールが、つたの向こうから顔を覗かせた。


 つたの隙間から中へ入る。

 そこに、黒ずんだ布きれを顔に巻いた老人がうずくまっていた。暗い洞穴には、汗や糞尿の臭いが立ちこめている。


「奥にも人が?」


 シュンはユキシラに訊ねた。


「生死不明の者を合わせて47名が身を寄せていました」


「・・そうか」


 シュンはユアとユナを振り返った。

 すぐさま、ユアとユナが神聖光で体を輝かせながら解毒、解呪、治癒の魔法をかけていく。


「ここに、ジナリドの住人はいるか?」


 シュンはうずくまっている老人の顔に巻かれていた布を外しつつ、静かに声をかけた。


「ぉお・・眼が・・」


 老人が大きく目を見開き、自分の手を眺め、すぐにシュンやユキシラ、リールの顔を見る。


「冒険者協会のエラード、キャミ、ミト爺、鍛冶屋のアンナを知らないか?」


 シュンは老人の前に片膝を着いてたずねた。


「ミト・・とエラードは兵隊として駆り出されちまった。アンナも領主の城で武器造りだ」


 老人が呟くように言った。


「エラードはともかく、ミト爺まで兵隊に?」


「徴兵に来た役人が生意気な若造でな。ミトの奴がぶん殴りおった。それで・・そんな元気があるなら兵になれと言われてな」


 老人が顔を歪める。


「そうか・・アンナが領城というのは・・いつの事だ?」


「1年と少し前か。魔物の氾濫が相次いでな。4度ほど防いだが・・それで、若い冒険者達が逃げ出して王都へ行きやがった」


「仕方無いな。ジナリドには、どこからも援軍は来ないだろう」


 援軍どころか、城に引き篭もって護るだけで精一杯だろう。


「まあな・・先を考えれば逃げた方が良いに決まっとる」


「あんたは残ったのか」


「王都どころか、領主の城にも行けねぇよ。こんな足じゃ・・ぁ?」


 老人がふと自分の膝下へ眼をやり、息を呑んだ。千切れたズボンの膝から下に、きちんと無事な足が生えていた。


「こりゃ・・さっきの娘っ子が?」


「2人共、最高位の神聖術師だ」


 シュンはぼんやりと神聖光が漏れている洞穴の奥へ眼をやった。


「リール、ユキシラ、この入口を守れ」


「畏まりました」


「承知じゃ、主殿」


 2人が頷いて、外へ出て行った。


「あ、あんたは・・あんた達は?」


「"ネームド"・・全員がマーブル神の使徒だ」


 にこりともせずに答えたシュンの顔を老人が凝視する。


「知らねぇ神様だが・・どこか遠い国の神様かね?」


 老人が首を捻る。


「この世界を創った神様だ。土地土地で呼び名は変わるらしいが・・立てるか?」


「お、おう・・すまねぇ」


 シュンに引き起こされて、老人が立ち上がった。

 自分の足で歩くことが久しぶりだという老人を助けながら、シュンは洞穴の滑りやすい足元に気を配りながら奥へ進んだ。


 この先には、かつて大蛇の魔物が巣穴にしていた広々とした空洞がある。以前は、染みた川水が垂れてきて湿気が酷かったが、足元の岩や砂は乾ききっていた。


「奥に、水場は無かったと思ったが?」


 シュンが疑問を口にする。


「あんた、この蛇穴を知ってんのかい? 他の奴も同じような事を言ってたが・・上の川が涸れちまった代わりに、ちょっと狭いが下の方で水が湧いているんだ」


 老人が怖々歩きながら言った。


「1人で入口の番を?」


「儂が一番元気だったからな」


 老人が苦笑する。


「・・そうか」


 シュンは口をつぐみ、なだらかに下った洞穴の先を見た。治癒で助かった者達だろう。密やかな歓声があがっていた。


「ロシータ?」


 シュンは"護耳の神珠"で呼びかけた。


『・・シュン様』


 すぐに応答がある。


ハエの魔王というのを仕留めた」


『いきなりで驚きましたが、こちらでも聞こえました。やはり、シュン様でしたか』


「恥ずかしながら、この辺りの王家について知識が曖昧だ。何か知っているか?」


 ジナリドで猟師として暮らしていたが、耳に入るのは、せいぜい領主の話くらいだった。エラードから国と一緒に、王家についても教えられた気がするが、生活に必要が無かったために忘れてしまっていた。


『魔王種によってどうなったのかは分かりませんが・・この辺りはマリーノ王国。例のセルフォリア聖王国の友邦国です。セルフォリア王家の末娘が嫁いでおり、実質上は属国と言って良い関係でしょう』


 ロシータがすらすらと答える。


「セルフォリアの・・そうか。改宗云々には聴く耳を持たないかもしれないな」


『何を選ぶかは個々人の自由ですから・・』


「そうだな」


 シュンは軽く顔をしかめつつ、かつて大蛇が寝床にしていた空洞へと下りて行った。


 途端、


「シュン君? まさか、シュン君なの?」


 大きな声をあげたのは、かつてジナリドの冒険者協会で受付をしていたキャミという獣人、猫族の女性だった。


「・・厳しかったようですね」


 シュンはキャミの着ている衣服の血汚れを見ながら言った。すでに治療されていたが、衣服の腹部が脇腹にかけて引き裂け、腰から下に血が染みている。


「あちらの治癒師のおかげで命拾いしたわよ」


 キャミが、ユアとユナを振り返る。

 ユアとユナは手分けをして一人一人治療して回っていた。全員が身動き出来ないほどに衰弱していた。


「キャミ、おまえ動けるのか?」


 老人が驚いた顔で訊ねる。


「この通りよ。信じられないわ」


 キャミが苦笑しつつ脇腹を撫でる。


「毒も抜けたみたい。なんだか・・前より元気になった気がするわ」


「・・それで、こちらの人とは知り合いか?」


 老人がシュンを見た。


「ええ、彼は前までジナリドの協会に獲物を持ち込んでくれていた狩人です。4年くらい前に迷宮に行ったのですが・・無事だったのね」


 キャミが喜色を浮かべてシュンの姿を見回す。


「迷宮に・・そうか、孤児の・・すると、この奇跡の技は迷宮で手に入れたんだな」


 老人が納得顔で頷いた。迷宮からの帰還者が、人間離れした強さをしている事は有名な話だった。もっとも、送り込まれた孤児のほとんどが未帰還なのだが・・。


「アンナはどうなったでしょうか?」


 シュンはキャミの眼を見た。


「・・領主の城からやじりや槍を大量に納品するよう依頼があって、ジナリドでは材料も不足していたし、造った物を運ぶ手間があるから、城の鍛治場を使うことになったの。聴いたかもしれないけど、魔物の氾濫が何度か連続してね。アンナさん、城の鍛治師にお弟子さんがいたから、真っ先に呼ばれちゃって」


「その後は何か消息を?」


「いいえ、私達もジナリドを放棄して避難したから・・」


 魔物の氾濫が繰り返され、ジナリドの防壁では支えきれなくなった。より守り易い場所を求めて、山中の坑道跡へ逃げ込んだらしい。


 しかし、今度は蟻の化物が押し寄せて来た。

 1匹1匹はそこまで強くないが、酸や毒を吐く上に、数が多い。多くの者が負傷し、毒で弱りながら、旧坑道を脱して、この滝裏の洞穴まで逃げ込んだそうだ。


「エラードさんは何処に?」


「徴兵されて領城に行ったわ。冒険者も呼び集められたみたいね」


 キャミが溜め息をついた。


「ここへ来る途中、魔王種・・虫の化け物がそこら中に溢れていました。ジナリドの町に戻ることは自殺行為です」


 シュンは別の土地へ避難するよう勧めた。


「・・そうね。残念だけど・・シュン君、ここまで無事に来られるくらいだから、他の土地にも行っているでしょう? 道中に安全な町や村を見なかった?」


 キャミが訊ねる。行く当てのある者達は、早々にジナリドを離れて去っている。残っていたのは、どこにも行く場所が無い者だけだった。


「迷宮の近くに安全な町があります。アリテシア教の町ですので、入信が条件になりますが・・逆に、入信さえすれば、出自も種族も何も問われません」


「アリテシア・・初めて聞くわ。それって、イルフォニア教とは違うのよね?」


 キャミが首を捻る。


「イルフォニア教およびセルフォリア聖王国は、迷宮に侵攻を企てたために創造神の使徒によって本殿と王城を破壊され、教皇以下主だった者達は他界しました」


「・・えっ?」


 キャミだけでなく、隣で聴いていた老人も、ぎょっと眼を見開く。


「アリテシア教は、創造神が命じて作らせた宗教です。神殿のある町は防壁と結界で護られ、虫の化物も、他の魔物も簡単には攻め込めません」


 洞穴の空洞に、シュンの淡々とした声が響く。


「イルフォニア教が迷宮に・・前に、エラードさんが戦争騒ぎが起きているって言ってたのよ。あれって本当だったのね」


「迷宮周辺の国が手を組んで迷宮を攻めたのです。結果として、セルフォリア、ミンシェア、ゼルギスの三国は大勢の兵士を失い、三国の王都は消滅しました」


「おいおい・・大陸の盟主国が消えちまったってのか?」


 老人が眼を剥く。


「じゃ、じゃあ、どこに逃げれば・・ああ、そのアリテシア? 神殿の町は無事なんだよね?」


 キャミが青い顔で訊ねた。


「はい。迷宮とその周辺は無事です。すでに避難して来た人を受け入れています」


「えっと・・もうお金とか何も無いんだけど?」


 キャミが俯きがちに訊いた。


「アリテシア教に改宗することだけが条件です。着の身着のままでも不自由はしません」


 シュンが説明するが、


「・・そうなの? 恥のついでに言っちゃうけど、本当に、これっぽっちも財産とか無いわよ? 怪我は・・まあ治して貰ったけど、あまり力仕事とか出来ない人ばかりよ?」


 キャミは不安そうに何度も念を押していた。


 着いてからの心配より、どうやって行くのか心配するべきだろう。

 シュンは苦笑しつつ、ユアとユナを見て頷いた。

 次は、領主の城だ。


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