第120話 エスクードは曇ってる。
エスクードに平和な日常が訪れた。
突発の魔神イベントについては、あまり多くの情報が出回らなかった。魔神が
大通りから少し外れた通称"職人通り"を、ユアナが1人で歩いていた。長い黒髪を背で無造作に束ねて黒紐で縛り、"ネームド"の女性用戦闘服姿で歩いている。
「あら? ボスさんはもう良いの?」
声をかけたのは、露店の売り子に手作りケーキのストックを渡していたミリアムだった。
"ガジェット・マイスター"のメンバーは、シュンが体調を崩して"ホーム"に籠もったままなのを知っている。このところ、ユアとユナも滅多に外に出て来なかったのだ。
「・・まだ大変そうなの」
まだ、ユアナの顔が晴れない。
「そんなに?」
「うん・・もう起き上がれるようになったけど、思うように体に力が入らないって・・怪我や病気じゃないから私達の治癒魔法が効かないの」
ユアナが俯いて唇を噛んだ。
「命に別状が無いなら良かったんじゃない?」
ミリアムが明るい声で励ます。
「・・そうなんだけど」
「ボスさんは休ませてあげた方が良いわ。いくら狩りが好きだからって、ちょっと連戦だったでしょ? 眼に見えないところで疲れって溜まるから。この際だし、思いっきり休ませてあげたら?」
「でも、シュンさんがあんなに弱ったの初めてだし、なんだか心配で・・」
ユアナが不安そうに顔を曇らせたままミリアムを見た。
「大丈夫よ。強い人だもの。神様も大丈夫だって言ってたんでしょう?」
「・・うん」
「ほら、ユアナに暗い顔なんて似合わないわよ? そんな顔をしてたら、ボスさんだって心配しちゃうわ」
ミリアムが、軒先に立ったまま動かないユアナの背を抱いて"ガジェット・マイスター"のホームへ招き入れた。
入れ違いに、中から急ぎ足でスコットが出てくる。
「おっと、ユアナちゃん久しぶり! ゆっくりしていってね!」
元気な声をかけながら、スコットが外へ飛び出していった。
「ごめんね。ハーレム作るとか言って張り切っちゃってるの」
ミリアムが笑った。
"ガジェット・マイスター"のホームは、相変わらずの様子で、地下階からは
「奥の倉庫を、燻製用の調理場に改造して貰ったのよ」
ミリアムが、階段下にあるガラス扉を指さした。
「燻製?」
「そうよ? 色々な木の煙で
「・・チョコクッキーなんかも?」
「う~ん、全否定はしないけど・・ちょっと申し訳ない味になりそうね」
ミリアムが笑う。
「そうだ! 今、冷ましているパウンドケーキがあるから試食してみない?」
ミリアムが1階の商談室に並んだ椅子を引っ張り出してユアナを座らせた。
「いただきます」
ユアナは素直に従った。
「飲み物は何にする? 香りが良いのだと、ディナ茶か、プレレかな?」
「熱いラージャ茶が飲みたいです」
「あら、珍しい。渋いお茶は苦手なんじゃなかった?」
茶葉の缶が並んだ棚を見上げていたミリアムが振り返った。
「ラージャ茶がいいの」
「ふうん? 分かったわ」
それ以上は訊かずに、ミリアムが銀色の缶を手に厨房へ入っていった。
ぼんやりとユアナが待っていると、2階から足音が降りて来た。
「あれ、ユアナちゃん来てたの?」
両手に折り畳んだ布を抱えたジニーだった。何かの作業をしていたのか、両肘に当て布をしている。
「ジニー、久しぶり」
ユアナは軽く手をあげて見せた。
「元気無さそうね。ボスさん、まだ?」
「うん・・少しは良くなったんだけど」
まだ本調子にはほど遠い感じだった。独りで生活できる状態なのだが、見ていてどこか危なっかしい。本人いわく、力が入ったり入らなかったり・・思い通りの加減にならないらしい。
「そう、心配だねぇ。大丈夫だとは思うけど」
ジニーが不安げなユアナを見て微笑する。
「大丈夫かな? そう思う?」
「魔神
「・・そうかなぁ?」
ユアナは椅子に座ったまま自分の
「もうっ、下を向いてたら駄目よ。ボスさんが気にしちゃうわ」
「言われちゃったの」
ユアナが呟いた。
「なにを?」
「元気が無さそうだけど、どうしたんだって・・悩みがあるなら相談に乗るって」
その時、咄嗟に上手く言葉が出なくて、ちょっと買い物に行ってくるからと、ホームを出てきたのだった。あのまま居たら泣いていたかもしれない。
「あらら・・さすがボスさんね」
ジニーが苦笑した。
「自分が大変なのに、私達の心配とかして・・変に気をつかわせたみたいだから、ちょっと外に出てきちゃった」
ユアナは
「・・ジニーもどう?」
厨房から出てきたミリアムがちらとユアナの様子を見てから、スライスして皿に載せたパウンドケーキをジニーに見せた。
「ありがとう。試食は大歓迎よ」
抱えていた布をテーブルに置いて、ジニーがユアナの横へ椅子とテーブルを持って来た。
ミリアムがジニーに目配せしながらテーブルに皿を置いて厨房へ戻る。
「そうだ! せっかく来たんだし、ミリアムにお願いしてボスさんの好きな物を作って貰ったら?」
ジニーが言った。
「ボスは何でも食べるの」
下を向いたままユアナが呟く。
「でも、特に好きな物とかあるでしょう?」
「何でも食べちゃうの。ほら、私達って胃腸が強くなったし、歯が丈夫だから・・」
ミリアムに食事を作ってもらうようになってからも、解体した魔物を主に塩胡椒で食べている。骨ごと噛み砕けるので、雑にブツ切りにして焼いただけで何でも食べられるのだ。もしかしたら、胃腸の練度が一番高いかもしれないと、ユアナは思っている。
「あぁ・・まあ、そうなのね。それなら、そうね・・」
ジニーが他の物を提案しようとした時、玄関に人の気配があって蜥蜴顔の男が入って来た。
「やあ、こんにちは! スコットさんはいるかい?」
「あら、ニカウルさん、久しぶりね」
ジニーが立ち上がって、玄関脇の
「スコットはガールハントに出かけちゃったわ。頼まれていた物ならケイナが預かっているから」
「ははは、スコットさんは変わらないねぇ」
「少し変わって欲しいんだけどね」
ジニーが苦笑する。
「あっ、ニカウルさん、預かってるわよ!」
階段上から顔を覗かせたケイナが蜥蜴顔の男に声をかけた。
「いつもすいませんねぇ・・自分たちでも似たようなのは作れるんだけど、どうしても寸法が狂ってしまって」
「例によって会心の作らしいわ! 朝からスコットが自慢していたもの!」
階段上からケイナが大声で言う。
「そりゃあ楽しみだ!」
「あ・・そうだ! ニカウルさん、こっちの・・原住民の男の人って、どんな物を贈られたら嬉しいのかな? 付き合ってる女の子からって意味なんだけど」
ジニーが小声で訊いた。
「うん? 外の慣習はよく知らないなぁ。ただ、どんな物でも嬉しいんじゃないかな? 特に、趣味に使う道具なんかだったりすると喜ぶんじゃないかな?」
「あら、どうして?」
「自分をよく見てくれているって感じるからね。そういうのは嬉しいもんだよ」
蜥蜴顔の男が片眼をつむって見せながら階段を上がっていった。
「なるほど・・」
得心のいった顔で頷きつつ、ジニーがユアナの肩に手を置いた。
「・・ジニー?」
「趣味の道具よ!」
「え?」
「ボスさんの趣味はなに? 趣味で使う物をプレゼントするの!」
ジニーが勢い込んで言った。
「・・解体?」
ユアナは、少し考えてから答えた。
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