第109話 決意の表明

 75階での職業選択を終え、76階へと移動してから、わずか数時間で "狩人倶楽部"一行はエスクードへ帰還した。まだ、お互いの職業について教え合ってもいない。

 "天職" どころでは無かった。

 シュンがもたらした異邦人の召喚にまつわる秘事が重たく、時間が経つにつれて、ユアやユナだけでなく、"ガジェット"のメンバー達が魔物狩りに集中できない状態になってしまったのだ。


 今は、"ネームド"と"ガジェット・マイスター"それぞれのホームに別れて休息を取っている。


 シュンは自分の部屋の寝台で横になっていた。"ネームド"のメンバーは、ホームであろうとなかろうと、いつもムジェリの天幕で寝泊まりをしているので代わり映えはしない。


(あまり良い情報では無かった。あんな事を聴かされても、納得がいかないだろう)


 寝台の上で仰向けになったまま、シュンはぼんやりと天井を見ていた。


 シュンから情報がもたらされるまで、ユアとユナは、神様によって誘拐同然に連れて来られたと思っていた。ニホンから自分たちが消えた状態だと・・親や知り合いを心配させているだろうと思い悩んでいた。もちろん、帰りたいという気持ちもあっただろう。


 それが、実は自分と同様の存在が向こうにも居て、今まで通りの生活を送っているのだと聴かされたのだ。シュンが神様から聴いてきた情報は、異邦人にとってはかなりの衝撃だったに違いない。聴かされた時には驚きと混乱だけだったが、時間が経つにつれて、「気持ちが悪くなってきた」と双子が言っていた。そのあたりの感覚は、シュンには分からない。


 神様からは『知らない方が良い事だってあるよ?』と忠告されていたが、シュンは全てを伝えた。ユアとユナが思い悩むことになると理解した上で伝えた。


(俺なら、知っておきたい。知らないまま、別の世界で生きている状況には耐えられない)


 そう思ったから伝えた。

 正しい行為か、誤った行為なのかはシュンには判断がつかない。


 シュンは他にも質問をしている。

 そもそも、どうして異邦人を掠ってくる必要があったのか? 何のために? 原住民の孤児だけで良かったのでは?


 これらの質問に対する神様の回答は、『だって、面白いじゃん』の一言だった。それ以上は受け付けない雰囲気だったため、シュンは踏み込んで訊かなかった。


(2人は・・何と言って来るかな?)


 漠然とした不安はある。


(迷宮探索を止める?・・しばらく休むくらいは言って来るか?)


 まさか、もう止めるとは言わないと思うが・・。


 シュンが思っている以上に、あの2人は強い。双子が互いに支え合っているおかげで、良くも悪くも2人の世界で完結できるためか、悩んでいる姿を見せる事がほとんど無い。少なくとも、シュンと一緒に行動するようになって、悲しくて泣いている姿を見た事が無い。大泣きをする時は嬉しい時だけだ。


(・・3年経って、俺が外に出られるようになったら、2人はどうするのかな?)


 シュン自身は迷宮を離れるつもりが無い。活動の拠点を迷宮に置きつつ、たまにアンナやエラードの居る町へ顔を見せに行くくらいの生活を送れれば良いと思っている。


 何しろ、もうすでに衣食住が高いレベルで満たされている。

 シュンには、街頭の講話のような騎士物語や英雄譚に憧れる気持ちが無い。貴族や王様になったところで今より良い風呂は手に入らないからだ。


 何しろ、今の風呂は、総檜ヒノキの内風呂、さらには美しい湖畔を望める露天風呂。どちらも温泉である。

 暗殺を恐れて終日護衛がはべっているような王族や貴族には望むべくもない、圧倒的な開放感を味わえるのだ。


(旅行・・と言っていたか?)


 以前に、双子が旅行をしてみたいと言っていた。

 シュン達、原住民には縁の無い行為だが、異邦人達は転々と各地を旅しながら巡る・・そういう楽しみ方をするそうだ。


(そんなことで気が晴れるなら、旅行というのをやるのも良いか)


 迷宮の中でも、各階層で様子がまったく異なるので、旅行気分は味わえそうだが、異邦人の考える旅行とは別なのだろう。


 実際には、迷宮の外を旅行しても、迷宮の魔物が魔獣や山賊に置き換わる程度で、シュンにとっては面白いことは何一つ無い。

 町や村は、エスクードほど清潔では無い。下水の施設が整った町など見た事が無い。壺に用を足して窓から外へ捨てるような不衛生な町がほとんどで、むしろ、糞尿を集めて畑に撒いている田舎の村の方が清潔だった。


 治安も悪い。荷物を背負って歩いているだけで物がどんどん減っていくし、食事中に足下に置いた荷物は3分で消える。若い女が1人で歩けば町中であっても掠われて売られる。そんな町を見て回りたいと言われても戸惑うばかりだ。


(まあ、ユアとユナなら掠われる心配は無いが・・)


 ぼんやりと考えながら、シュンはふと物音を聞いた気がして視線を巡らせた。


 耳をそばだてていると、もう一度、扉が控えめに叩かれたようだ。

 シュンは扉越しに気配を確かめてから扉を開けてみた。

 そこに、ユアナが立っていた。


「入って良い?」


「・・泣いていたのか?」


 シュンは赤く腫れたユアナの目元を見ながら、部屋に招き入れた。


「思いっきり泣いちゃった」


 悔しいような悲しいような何とも言い難い気分が激して、自室でわんわんと泣いたらしい。ユアとユナで別々に泣き、シュンのところへ行こうとしてユアナになってからも泣いたそうだ。


 シュンは窓際に置いてあった椅子をユアナに勧め、自分は寝台に腰を下ろした。


「うだうだ言っても仕方無いし、ここで頑張って生きていこうと決めました。だから、これからもお願いします」


 ユアナが早口に言って、シュンの視線から逃げるように頭を下げた。


「私達は、シュンさんと一緒に居たいんです。こんなの、ずっと前から決めていましたけど。あっちにも自分が居るって聴かされて・・なんか自分たちが何者なのか分からなくなっちゃって・・どうしたら良いのか分からなくなっちゃって・・えっと、それでも、とにかく一緒に居させて下さい」


 初めて見るくらいに弱った様子でユアナがうつむいている。


「俺は嬉しいが・・いや・・俺は嬉しいけど、良いのか? もう知っていると思うけど、俺はあまり常識を知らないよ?」


「ぇ・・何です? その喋り方」


 いきなり変わったシュンの口調に、ユアナが伏せていた顔を上げ、まじまじとシュンの顔を見た。


 シュンは微かに照れ笑いを浮かべた。


「アンナ・・育ての親の前だと、こんな言葉なんだ。まあ、無理して・・なんだけど」


「うわぁ・・なんだか、とっても新鮮です!」


 ユアナがはしゃいだ声をあげる。


「どちらかと言えば、いつもの口調が素なんだけど・・同じ年代が相手だと、こういう言葉にならないんだ。今くらいが精一杯だな」


「ふふふ・・私はいつもの感じが好きですよ?」


「まあ、すぐに戻る」


 シュンは苦笑した。


「どうして、そういう話し方をしてくれたんです?」


「お前達が湿っぽいと調子が狂う」


 この上、泣き出されでもしたら、もうシュンの手に負えない。少し気分を変えさせようと口調を変えてみたのだが、成功したようだった。


「・・なんだか気を遣わせちゃいました?」


 顔を赤くしたユアナが少し上目遣いにシュンを見る。


「少しは元気が出たか?」


「う~ん、もうちょっと、こう・・思いっきり甘い物が食べたい感じです」


「・・・・そうか」


 ユアナの要求に、シュンの顔色が急速に悪化した。


「あははは・・本当に甘い物が苦手なんですねぇ」


 ユアナが吹き出した。


「・・お前達がケーキを食べる場に座っているくらいは我慢できる。出かけるなら付き合うぞ?」


「ユアナじゃなくて良いですか?」


 ユアとユナに戻って行きたいらしい。そもそも、シュンは1度として、それを駄目だと言ったことは無い。同級生に会うのが嫌だからと、双子がユアナの姿を選んでいただけだ。


「もちろんだ」


 即答したシュンの顔をしばらく見つめ、ユアナが自分の頰を両手で音が出るほど叩いた。


「色々ありがとう、シュンさん・・ようしっ、もう良いや! あれこれ考えるのは止めます! 全部投げ捨てます!」


「いきなり、どうした?」


「あっ、自棄やけになってるんじゃないですよ? いっぱい考えて泣くだけ泣いたし、もう満足です! どうせ生きるなら、がっつり前向きに生きてやります! 異世界上等です!」


 ユアナが握った拳を正面へ突き出して宣言した。


「具体的にはどう生きる?」


 シュンが訊いた。


「ぇ・・?」


 まるで予想していなかった問いかけに、ユアナが軽く眼を見開いて動きを止めた。


「この流れで、その質問します?」


「まずかったか? 何か目標か希望があれば、手助けをしたいと思ったんだが・・泣かせてしまったから、何か俺に出来る事でお前達につぐないをしたい。俺はお前達には笑顔でいてもらいたいんだ」


「知っていましたけど・・シュンさん、本当にブレませんよね」


 ユアナが前髪をいじりながら困り顔で微妙な笑みを浮かべた。


「何がだ?」


「もうっ!・・私達の希望はひとまず保留です。ゆっくり考えますから、シュンさんの方こそ、これからの事とか、野望とか、そういうのを教えてください!」


 真っ赤な顔をしたユアナに言われて、シュンは大きく頷いた。


「これからの事か・・お前達が一緒に居てくれるなら、俺は迷宮に住もうと思っている」


 すでに考えていたことだ。


「理由はいくつかあるが、一番の理由は魔物の多さだな。これほど多くの魔物を簡単に狩れる場所は他に無い。二番目が、治安の良さだ。多少の揉め事はあるが、こんなにも安全に生活できる町は他に無い。三番目が、ここは平等だ。生まれついての身分が意味を成さない。孤児の俺にとっては、三番目はかなり大きい」


「本当に、色々と・・シュンさんですねぇ」


 すらすらと答えるシュンを見つめて、ユアナがため息混じりに笑った。


「金竜の息吹ブレスすら満足に防げず、お前達の治癒が無ければ焼け死んでいた。蘇生薬は飲んでいたが・・お前達を護ると言っておきながら口先ばかりだ。今の俺では、オグノーズホーンと遭遇すれば一方的になぶり殺されるだろう。俺は・・あの老人に勝てないまでも、撃退できるという自信が欲しい。真っ向からやり合って押し返せるだけの力が欲しい。これが、俺の野望だ」


 シュンは膝の上で拳を握り締めた。迷宮12階であの怪老人に遭遇して以降、ずっと胸奥に刺さって抜けない敗北感がある。


「ええっと、もりもり殺気が出ちゃってますよ? それに・・すっかり口調が元通りです」


 ユアナが苦笑気味に茶化ちゃかす。


「野望を教えろと言うからだ」


 軽く息をつきながら、シュンも目元を和ませた。どうやら、ユアナにいつもの調子が戻ったらしい。


「ところで、お前達に相談してからと思っていたんだが・・」


「なんですか?」


 ユアナが小首を傾げた。


「未だにユアとユナの見分けがつかない。会話をしている時は分かるんだが、お前達が黙っている時は、まだ自信が無いな」


「うふふ・・HP、MP、SPまで一緒ですからね」


「戦闘中は無くて良いんだが、町中では何か装身具でもつけて貰えると助かる」


 知り合った頃には、リボンでも結んで貰おうかと思っていたが、見分けがつかないというのは対人戦では強みにもなる。だから、あえて注文をつけなかった。

 しかし、もう"ネームド"の名は十分に売った。今後は軽々しく絡んでくる探索者は減るだろう。


「装身具・・アクセサリーですか? う~ん、何が良いかなぁ? 一目で分かるとなると、髪飾りとか?」


「希望があれば、俺にも作れると思うが、どうだろう?」


 どうせ身につけるなら、魔導具に仕上げた方が良い。今のシュンなら、かなり質の高い物を創作できる。


「うわぁ! それは欲しいかもっ! 何にしよう・・何が良いかなぁ?」


 ユアナが黒瞳を輝かせて声を上げた。

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