第443話 洒落では済まないお洒落

 紡くんの兄弟子さんのお名前は、ヴィンセントさんと仰るそうな。

 フェーリクスさんから菊乃井歌劇団の協力を取り付けてもらったのは良いけれど、ちょっとくらい費用は自分で稼がないといけないと思って、今回魔術市に出店したのだとか。

 売れ行きは悪くなかったらしい。

 でもそれは手荒れ防止クリームとか天然素材の保湿クリームだの化粧水だのなんだのであって、彼の研究の要である「魔術を使えるようになる化粧」ではないそうだ。


「そもそも化粧で魔術を使えるようになる理論って解明出来たんですか?」


 私の手には二杯目のミルクティー。甘じょっぱい。

 大事なことなんで聞いてみれば、ヴィンセントさんは俯いた。


「それが……多分爪に特殊な製法で作られた染料をつける『マヌス・キュア』の事で、染料で付与魔術の呪文を書いておくなどすれば、魔道具のように付与魔術が発動するのです。だから魔術は使えます。しかしこれは元々魔力を作り出す魔素神経があれば、化粧された本人が付与魔術を使えなくても、爪先に書かれた呪文がその肩代わりしてくれるというだけで、根本からの解決には至りません」

「もともと魔素神経がない人は魔力を体内で作れない。魔術のもととなる物が作れないから発動不可、と」

「はい」


 なるほど。

 つまり油が無いと火が燃えないみたいなもんか。

 うーん、だったら油を注せばいいんだよな? この場合の油を注すってのがどういう事かな訳だ。

 その方法を考えながら見るともなしに、出ている屋台を見ているとキラキラ光るビーズや、色とりどりに輝くガラス玉が付いたアクセサリーが目に入った。


「あ……」


 そういや、爪に色を塗って云々って前世にもあったな。

 頭の隅からそれを取り出すと、私はヴィンセントさんに実際「マヌス・キュア」を施してもらうことにした。

 アレと同じなら、もしかすれば……。

 その程度の軽い気持ちで左手を差し出す。

 お道具箱を開いたヴィンセントは、若干ウキウキしたような顔で私の手を取った。


「おお、見事にお手入れされてますね」

「ボクが毎日磨いてるからね」


 ラーラさんが「ふふん」って感じで胸を張る。

 毎日エステみたいに揉んでもらってるし、手だって本当に綺麗にしてもらってるんだよね。お蔭で爪先に余計な甘皮とかも残ってなければ、何も塗ってないのに私の爪は綺麗に輝いてる。さかむけもささくれもなく、典型的なお貴族様のお手々。

 ほんの少し消毒というのか指先を拭うと、ヴィンセントさんは小さな筆に魔力を乗せて、私の親指の爪に色を乗せていく。


「これはコーサラ原産の夜薔薇の花びらから取った染料です。夜薔薇は花びらに魔力を溜める性質があって、そこから得られた染料は魔術のいい媒介になるんです」

「ほうほう」


 そういう話はやっぱり面白い。

 ひよこちゃんはワクワクした顔で私の指先を見てるし、奏くんも薔薇の話に興味津々。紡くんはヴィンセントさんの一挙手一投足を見逃さないようにガン見してて、瞬きしてない。

 先生達も凄く興味津々って感じで、施術を見守っている。

 まずは親指が赤く染まった。

 丁寧に塗った後は乾かさないといけない。

 そうして乾くと今度は凄く小さな筆に魔力を乗せて、赤く塗った爪に小さく文字を書いていく。これは呪文からして、恐らく物理防御の向上か。

 眺めていると、親指が小さな文字で埋まった。


「これで指先に魔力を流してみてください」

「はい」


 言われた通りにやれば、薄く身体に膜のようなものが張り付いた感覚があって。

 それは物理防御向上の付与魔術が発動して、防御力が上がった時に感じるものと同じ感覚だった。


「これは凄い……」

「あ、ありがとうございます」


 声に出せば、ヴィンセントさんが照れたように頭を掻く。


「でも、まだまだ目指すところには届かなくって」

「魔術を使う事が出来ない人にも……っていう点ですね」

「はい。勿論それは化粧を施される側だけでなく、化粧する側にも言える事です」

「施術側が魔術を使用できなくても……か」


 難しい話だな。

 でも本人に無いのなら、やはり何処かから補填するしかないだろう。

 術を施す側は兎も角、術を施される側なら何とかならないだろうか。

 さっき魔力の籠ったビーズのアクセサリーを見て考えた事をやってみるのはどうかな?

 私は傍にいたラーラさんに声をかけた。


「ラーラさん。以前ビーズ代わりに魔石の欠片をくださいましたよね?」

「うん? ああ、まだあるよ? え? 今いるの?」

「あればほしいです」


 そう言えば、ラーラさんは不思議そうな顔をしつつ、魔石の欠片の入った小瓶をくれた。

 中に入っている魔石はどれも小さく、丁度アクセサリーに使われるビーズくらいの大きさで。

 蓋になっているコルクの栓を引き抜いて一粒、ヴィンセントさんのお道具箱から借りたピンセットで取り出す。

 透明なガラスみたいに見えるけれど、魔石の粒だけあって僅かながらに魔力を感じた。

 魔石って言うのは魔力が内包された石で、それ自体の魔力も抜き出して使う事も出来れば、加工して魔力を溜める装置として使う事も出来る。

 私はヴィンセントさんから道具一式と、彼の左指を借りた。

 驚いて固まっているうちに、ヴィンセントさんの左親指に私が塗ってもらった染料を塗って、その上にお道具箱にあった白い染料を使って花を描く。勿論彼と同じく、爪を塗るにも花を描くにも筆に魔力を乗せて。それから描いた花の中心に、魔石の欠片を置いてみる。

 あれだ、ネイルアートってやつ。

 前世の「俺」のお母様が時々やってたんだよね。

 魔術で彼の指を乾かすと「素人考えなんですけど」と前置きする。


「やっぱり本人に魔力が無いなら、外付けするしかない訳で……。染料が媒介になるなら、爪と魔石を染料で繋げてみれば良いかな、と?」

「ああ、なるほど……?」


 不思議そうにしつつ、ヴィンセントさんは私が描いた花を避けつつ防御障壁を張る呪文を爪に書き加えた。

 そしてまじまじと指先を見ていたヴィンセントさんの顔が、段々と驚愕に歪んで行く。彼の爪先には小さな障壁が現れた。


「え? え?」

「どうしました?」

「や、僕の魔力じゃなく、魔石から魔力を引き出したんですけど……使えてます! あの、魔石の魔力が足りないから、障壁が爪先にしか展開できないですけど!」

「おお、じゃあこれはありですか」


 なるほどなぁ。

 外付けは有効だったらしい。

 感心していると、ヴィンセントさんがいきなり私の両手を握って跪く。

 なんぞ?

 驚いていると、彼の目から涙が溢れ出した。


「先祖代々の悩みが今! 解決しました!」

「えぇ……」

「僕の代でようやく染料に何を使えばいいのかまでは来ていたんです! 魔石を外付けにするのも考えました! でもあと一歩、及ばなかったんです!!」

「あー……うーん……私、ほら、素人なんで……とりあえずやってみただけですし? それに爪に綺麗な絵が描いてあったらお洒落でしょう?」


 寧ろ私的にはこっちのが本題って言ってもいいくらいだ。

 こういう目新しいお洒落は、実際の所お金になる訳だよ。特に社交界っていう場所で戦う人達を知っていると。

 そういう風にヴィンセントさんに告げると、ロマノフ先生が「あ」と呟く。

 ヴィクトルさんとラーラさんはその声にほんの少し眉を動かしたかと思うと、ややあって同じように「ああ」と呻く。

 そして私も、ちょっと閃いた事があった。


「あの、ヴィンセントさん」

「は、はい!」

「貴方の研究にお金を出してくれそうな人を思い出したんですけど、どうします?」

「どう、とは?」

「うん、いや、商機だなって思ったんだけど……」


 それだけじゃすまないな、これ。

 私と同じことを思ったのか、ロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんの目が泳いだ。

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