第442話 偶然を必然へと引き寄せる
「ちょっとよろしいですか!?」
そういきなり声をかけて来たご店主さん。
走っているうちに被っていたフードが脱げたのか、顔や髪型がくっきり見える。
見苦しくなくさりとて無造作に流された髪はヨモギのような緑で、すっきりとした顔立ちだけど頬のそばかすと、丸眼鏡から見える少し垂れた目が愛嬌のお兄さんだ。
そのお兄さんが膝を曲げて、座っている私と視線を合わせる。
「あの、お化粧とか興味ないですか?」
「へ?」
「遠目からでも解る綺麗なお顔立ちですし、それをもっと美しく演出するのにお化粧とかどうでしょう!?」
お化粧どうですかって言われてもなぁ。
戸惑っていると、ラーラさんが店主さんの肩に触れた。
「遠目だから解らなかったかもしれないけれど、この子男の子だよ?」
「え!? いや、男の子でも! 肌のお手入れとか爪のお手入れとかは必要だと思いますし、男の子がお化粧しても別におかしくはないと思います!」
「はぁ……」
まあ、別に男の子が化粧したってそりゃいいよ。現に魔術師は魔除けとかの効果を狙って、目元に朱を挿す人もいるし。
でも私はあんまり興味はないかな。
だってその辺のお手入れはラーラさんがやってくれてるし。なのでラーラさんに視線をやると、ラーラさんはちょっと考えて「何があるの?」とお兄さんに尋ねる。
「今手元にあるのは、全身に使える保湿クリームと化粧水ですね。手荒れ止めクリームや日焼け止めなんかも作れますし、その人に合った化粧品の提案なんかもさせていただいてます。こちらはじっくり肌の様子や体質を、問診や診察してから作らせてもらえれば、と!」
「うーん、もう一声ほしいな?」
「あー……えぇっと……」
店主さんはちょっと困ったような顔をする。
化粧品の提案にもう一声って言われても、お値引きとかその辺になっちゃうだろう。それか特殊な材料のヤツを出してくるとか。
そんな二人のやり取りを見て、レグルスくんが私の手を引いた。
「にぃに、おけしょうでまじゅつがつかえるようになるかも……って、なに?」
「ああ、何だろうね? なんかどこかで聞いた話なんだけどな……」
それもここ暫くのうちで、そんな話があったような気がするんだ。ただ、それが何処でだったかが思い出せない。喉元まで出かかってるんだけど。
首を捻っていると、店主さんがはっとした顔をする。
「あ、もしかしてご存じですかね? 昔話の『捨てられ王女と賢者の化粧』ってやつ」
「んん? そんなタイトルだったっけ?」
いや、そんなお伽噺的な話でなく最近の事だったんだけどな。
それを言うべきかどうか迷ううちに、店主さんがざっとその「捨てられ王女と賢者の化粧」というお伽噺のあらすじを教えてくれた。
大昔、王族は一人残らず枝葉末節に至るまで魔術が使える国に、魔素神経を持たない王女様が生まれたそうな。
父親である王様はそんな王女様を恥に思い、とある森に棄てたそうだ。けれどその森の奥には賢者が数多住まう塔があって、王女様はそこの若き賢者様に拾われたとか。
賢者様は王女が受けた非道に怒り、王女様を立派な淑女に育てあげた。そして彼女に特別なお化粧を施すことで、王女に魔術を使う術を与えてやったのだ。かくして王女は自身を虐げた親兄弟をうち滅ぼし、偉大な魔術王国の女王へと返り咲きました。めでたしめでたし。
「立派な復讐譚ですね」
「まあ、そうですね」
私の言葉に、お兄さんが眉を少し落とす。
お伽噺を復讐譚と呼ぶ人間は少ないし、そりゃ反応にも困るだろう。
だけど彼から聞いた話をきっかけに、喉元まで出かけていた記憶が完全に引っ張りだされた。
それはいつかの会議で聞いた、フェーリクスさんのお弟子さんの話だ。
象牙の斜塔の大賢者様のお弟子には、お伽噺をもとに化粧と魔術の関係を研究している人がいる、と。
もしかしてこの人か? それとも同じ研究をしている人か?
残念なことに、私はフェーリクスさんからそのお弟子さんの名前も容姿も聞いてなかったんだよね。
菊乃井で待ってたら和えるんじゃないかと思ってたし、旅先でそういう人に会うとも考えてなかったから。
多分先生達も同じなんだろう。黙って彼の話を聞いている。
すると、紡くんが小さく首を捻った。
「あにでし?」
「え?」
小さな呟きに、店主のお兄さんが紡くんに視線を落とす。
「あのね、ぞうげのしゃとうしってる?」
「え、う、うん。象牙の斜塔って魔術師が一杯いるところのやつ? それなら知ってるけど……?」
「そのとうの、だいこんせんせい、じゃなくて、フェーリクスせんせいしってる?」
「知ってるも何も……僕の先生だけど……? なんで知ってるの、坊や?」
「つむのおししょうさま。おにいさんはつむのあにでし?」
「え、えー……マジかー……。先生の最年少の弟子が二年前に出来たって聞いたけど、えー……」
目を白黒させるお兄さんに、紡くんは首を振る。
そうだな、お兄さん勘違いしてるもんな。ともあれ、彼がフェーリクスさんの弟子って事が確定した。紡くんナイス!
私はとりあえず、困惑が深まっているお兄さんを確保することにした。
「それは彼の姉弟子の識さんの事ですね」
「え? え? どういうこと?」
「貴方が二年前に聞いた最年少の弟子は、識さんという女性で、この紡くんの姉弟子ですよ」
「え? 女の子? あれ? そうだっけ? で、紡君? どういうこと……? いや、それ以前に……えぇっと?」
混乱しているお兄さんを、目配せすると奏くんとひよこちゃんが誘導して同じテーブルに着かせる。
彼の正面にラーラさんやロマノフ先生、ヴィクトル先生が陣取ると、一瞬綺麗な顔が並んだことに驚いた様子を見せたけど、ややあって「エルフ……」呟いた。
それから先生達のお顔を見比べて「あ?」と、声を小さく上げる。
「……もしかして、フェーリクス先生の御親戚だったりします?」
「ええ。叔父ですね」
「ひぇ、マジですか……!?」
「うん。奇遇だね」
「偶然って怖いよね」
まったくもってその通りだよ。
まさかこんなところで、待ち人の一人に会えるとは。
そう思っていると、不意にお兄さんの視線が私に映る。
「あの、という事は、先生の手紙にあった菊乃井のご当主というのは……?」
「ああ、私ですね。初めまして、菊乃井侯爵家当主・鳳蝶です」
「ひょえ!?」
にこっとやれば、奇声を発してお兄さんが仰け反る。慌てて椅子から下りようとするのを、左右を固めたひよこちゃんと奏くんが押し留めた。
「いいって。若さま、そういうの好きじゃないから」
「そうだよ。にぃにもれーもみんなも、きょうはあそびにきてるから。そういうのだいじょうぶ」
「寧ろ目立つんで、出来れば普通に」
「ひゃ、ひゃい!」
お兄さんはそれでもちょっと顔をこわばらせてる。
身分を告げると大抵の人がこうなっちゃうので、出来るだけ怖がらせないよう笑顔を張りつかせるのが習慣になって来た。
それも本当は面倒なんだけど、人間関係を円滑に構築するには笑顔が本当にお役立ちなんだよな。敵意はないよって簡単な証明になるんだもん。
気付けれないように小さくため息を吐き出すと、私はお兄さんに向き直る。
「フェーリクスさんからお手紙が行ってるなら話は早いですね。当家に来てお化粧の研究をしてくれるとか?」
「は、はい。あの、菊乃井には女性だけの歌劇団があると聞きまして、あの、研究に協力いただけると……」
「舞台に立つ彼女達の健康に考慮した化粧品が生まれれば、それは市井の女性たちのためにもなります。勿論貴族の女性たちにも」
「あ、はい。それは勿論。でもそれだけじゃなく……!」
「魔術が使えない人にも、化粧を施す事でその使用を可能にできるとなれば、女性だけの問題ではありませんしね」
頷けば、お兄さんの目が輝く。
あとは確認だけだ。
「やれますか?」
「やってみせます!」
ぐっと私を見据える目は、菊乃井の食卓で董子さんが「大賢者・フェーリクスの弟子としてやってみせる!」と叫んだときのそれに似ていた。
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