第406話 未知との遭遇、色んな意味で

 煎餅というものは概ね小麦だの米だのを挽いて粉にしたものを、練って薄く延ばして鉄板とか金網とかで焼いたお菓子で、所により違うけど大体が丸形。

 味は醤油や塩、味噌、変わった所ではネギ味噌やら砂糖醤油なんかもある。


「けど、カレーは聞かないですねー」


 辞書から目を放した董子さんが首を捻る。

 お昼ご飯のカレーの後、どうしてもカレー煎餅が食べたくなった私は、皆を引き連れて董子さんの研究室に来ていた。

 って言っても、研究室は大根先生と共同使用なので、必然大根先生の研究室へ訪問する形になるんだけど。

 フェーリクスさんはまだ帰ってない。

 研究室に董子さんがいる情報は紡くんに教えてもらった。

 大根先生から「今日、もし勉強したいなら董子に見てもらいなさい」って言われたそうな。

 董子さんは食の研究家でもあるから「カレー煎餅」について話を聞きに行くと、そもそも「煎餅とは?」という話が始まって今に至る。


「いうて、聞かないのは『カレー粉』が昨今生まれたばかりの調味料だから……でしょうけども」

「じゃあ、可能性としては……?」

「ありかと思いますよ。だって米につけて食べてるもんですし。他所ではパンをカレーに浸して食べてるとこもありますし、種なしのパン……膨らまないパンに乗っける食べ方もあるようなので」


 妥当なカレー煎餅の作り方としては、粉にした米を練る段階でカレー粉を混ぜ、焼きあがったら更にカレー粉をかけるのが良いだろう。

 董子さんが示してくれた作り方は、概ね前世で「俺」がカレー煎餅を手作りしてみた時の作り方と同じだ。

 前世の「俺」は凝りだすととことん迄やる方で、何故か一時期その手のお菓子を作ることにハマっていたらしく、その時の記憶もちゃんと残ってたりする。


「なら、作り方が解った所で料理長に頼むのか?」

「一緒に作らせてもらいますけど?」

「それは僕達もやらせてもらえるのかな?」


 皇子殿下二人がわくわくとした目をこちらに向ける。

 料理長はいつでも来てくれて構わないって言ってくれてるけど、流石に皇子殿下方をいきなり連れて行くわけにはいかない。

 さてどうしようか?

 迷っていると、董子さんが「ここで実験しちゃえばいいんでは?」と言ってくれた。


「いやー、ウチさっきまでちょっと辛いソースの研究してたんですよ。なんでそれを食べるためにお米自分で炊いたんですけど、残っちゃって。無駄にはしたくないから色々考えたんですけど、食べるにしても一人だと限度があるじゃないですか。お煎餅の正式な作り方じゃないけど、おやつになる物は作れますよ」


 そう言って董子さんが指差した先にあるのは土鍋で、まだほこほこと湯気が出ている。

 目をぱちぱちさせる私達に、董子さんが土鍋の蓋を開けて見せてくれたところ、中身のご飯は半分以上手付かずだった。



「もうちょっと食べられるはずだったんですけど、作ったソースが思いのほか辛くて中々進まなくて」

「へぇ、どんなソース?」

「あ! ちょっ!? ダメだよ!?」


 奏くんが董子さんの、ご飯の残った茶碗を覗き込む。

 刹那「痛ぁ!」と奏くんが悲鳴を上げて、目と鼻を押さえた。滅多な事では悲鳴を上げたりしない奏くんが、だ。


「あー! ダメってばー!? それ、めっちゃ辛いソースだから~!」


 急いで董子さんが茶碗と、近くにあったソースの入ってると思しき瓶を私達から遠ざけて、鎮静と鎮痛の魔術を奏くんにかける。

 目と鼻を押さえてジタバタしていた奏くんだったけど、董子さんに背中を擦られているうちに落ち着いたようだ。


「目と鼻がスゲェ痛かったけど、あれ、何?」


 涙目というか充血した目で、奏くんが董子さんに問う。すると董子さんは近くの棚からコップを出し、冷やしたお茶を淹れて奏くんに差し出す。


「あれ、大人でも一口食べたら悶絶するくらい辛いソースだよ。ごめんね、先に言えば良かった」

「いや、勝手に覗いたのおれだし、いいよ。おれもごめんな」


 からっと笑う奏くんに、董子さんは安心したように微笑む。

 にしてもそんなに辛いのかぁ……。

 ちょっと興味をそそられる。

 そして興味を持ったのは私だけじゃなかったみたいで、ひよこちゃんとラシードさんが「なんでそんなの作ってるの?」と董子さんに尋ねた。

 董子さんは「実は……」と前置きして話し出す。


「知り合いに辛い物が好きな人がいて。その人がこの世の物とは思えないくらい辛い物が食べたいっていうから、色々調合してたんだけど……」

「それがそのソースですか?」

「いやいや、これは全然優しいお味ですよ。ウチがまだ食べられるくらいだし」

「え? もっと凄いんです?」


 衝撃の事実に驚いて声も出ない私達に、董子さんは重々しく頷く。


「はい。その調合したやつは瓶の蓋を開けた瞬間、目も鼻も悶絶するくらい痛くて、万が一肌に触れたら火傷したんかと思うくらい爛れちゃうようなやつなんですよ。ウチ、ソース作った筈なのに、劇毒物出来たんかって一瞬焦ったくらいでした」


 董子さんのポリシーとして、食べられない物を食べ物で錬成するのは悪なので、それは世に出すつもりはなかったらしい。

 しかし実験中に今の私達のように、董子さんの研究室に遊びに来たその知人さんが見つけて、止める間もなく味見しちゃったそうな。

 それで大惨事と思いきや。


「気に入っちゃって……」

「それ、食べられるものなんですか?」

「ウチ的には人類にはまだ早いソースだと思ったんですけど……美味しいって言うんです。でもそんなの世に出すとか嫌なんで、もっときちんと食べられる辛さにしようと思って、今実験してたとこなんです」

「……今作ってるヤツも大分人類には早い感じしたけどな?」


 しみじみ言う奏くんに、董子さんは「あれはだいぶんまろやかだよ」というから、更に恐ろしい。

 ところで、そのソース結局どうしたんだろう?

 聞けば董子さんはちょっと眉を顰めて肩を落とした。


「流石にそんなもの渡せないんで、封印してます」


 董子さんの視線が、戸棚の厳重に封印された木箱に注がれる。それはつまりその木箱にその劇毒物がしまわれているってことか。

 まあ、管理が厳重なら持ち出されたりとかはないだろう。

 因みにそのソース名前を「カンタレラ」と名付けたらしい。


「……毒薬みたいな名前ですね」

「使い方間違えたりしたら劇毒物ですし、そもそもあの人以外には毒でしかない気がしますから」


 世の中には色んな人がいるもんだ。

 もうとりあえずその激辛ソースの事は忘れよう。

 誰も彼もがそう考えたのか、一斉に頷く。

 董子さんにエプロンや白衣を借りて、手を洗って実験開始。

 まずはお米にカレー粉をふり混ぜ、それを潰してお餅のようにするそうで。


「……割と力がいるな」

「そうですね、潰すのがちょっと加減が解らないというか」


 統理殿下もシオン殿下も、丸めたお米を潰して薄くする過程にちょっと戸惑ってる。

 ひよこちゃんと紡くんは、奏くんやラシードさんのやるのを見てから、自分達も薄く延ばしてて器用。

 私は董子さんとカレー粉をどのくらい入れるかで、お話合いだ。

 まあ、入れ過ぎたら焼いた後で上からかける粉の量を減らせば良いか。



「にぃに、れーやきたい!」

「つむもー!」


 きゃっきゃはしゃぐ弟組に交じって、統理殿下とシオン殿下、ラシードさんが目をキラキラさせている。

 なんというか、皇子殿下方はアレだ。多分料理するのも始めてだから、ひよこちゃんや紡くんと同じくらい好奇心が旺盛で、何でもやりたいんだろう。

 その点は族長の息子のラシードさんも似たようなものか。

 なので危なくないように魔術で炎を掌に起こすと、その上にフライパンを乗せて。


「はい、焼いて良いですよ」

「にぃに、ありがとう~」


 レグルスくんが自分と私の分を焼きだしたので、皇子殿下方にもどうぞとフライパンを向ける。

 統理殿下もシオン殿下も、何故か驚いた顔をして。


「料理に魔術って……」

「出来るんだからするでしょ」


 私の向こうでは奏くんが掌の上にフライパンを乗せて、董子さんと紡くんと自分の分の煎餅を焼いていた。

 何か変な事してるっけ?

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