第321話 有り難くない先ぶれ

 ざわっていうか、そわっていうか。

 そういう微妙な熱量が歌劇団の中の数名、言えば凛花さんやリュンヌさん、ステラさんやシュネーさん、美空さんから発せられて、それは歓声へと変わる。


「マリアお姉さま!」

「お姉さま!」

「どうして、お姉さまが!?」

「お会いしたかったです、お姉さま!」

「お久しぶりです、お姉さま!」

「皆さま、御機嫌よう」


 喜び勇んでって言葉が似合うくらい嬉しそうに、五人がマリアさんに駆け寄る。

 それを見ていたユウリさんが「誰?」と、目線で私に問うた。


「あの方はマリア・クロウ嬢。帝都一の歌姫で……」

「ああ、去年、ラ・ピュセルとトロフィーを分けたお嬢さんか」

「はい。その人ですが……?」


 なんで彼女がここに? それから彼女の隣にいる人はどこのご令嬢だろう? はて、アポってあったっけ?

 ヴィクトルさんに尋ねると「ないよ」と、こちらも首を捻る。

 兎も角お客さんだし応対しなきゃと思って舞台から降りると、マリアさんが見事なカーテシーで迎えてくれた。


「ご無沙汰しております、マリアさん」

「いいえ、閣下。私こそ突然の訪問の無礼をお許しくださいまし」

「閣下だなんて……。マリアさんは私の姉弟子に当たる方、いつも通りで結構ですよ」

「然様ですか。ではお言葉に甘えて。でもショスタコーヴィッチ卿への師事は貴方が先ですのよ?」

「あれ? そうですか?」


 マリアさんと初めて会った時に彼女はたしかに歌のレッスンをヴィクトルさんにお願いしていたみたいだけど。声をかけたのが師事の最初なら、マリアさんの方がやっぱり早かったような?

 疑問符を顔に張り付けていたみたいで、ヴィクトルさんが答えをくれた。


「あーたんにレッスンするのは、アリョーシャとあの時点で決めてたことだからね。でもマリア嬢にレッスンする気は皆無だった。まあ、あの時は、だけど」

「あの時の私は、名実ともに帝国一の歌い手でなくてはならないと気負っていて……。耳障りな事を言う人も、阿って思ってもいないお世辞を言う人も、誰も彼もが敵に見えていたのです。だから強気でいなければ足を救われると思ってあのような態度だったのです。自分に自信があって強いという事と、傲慢で高飛車とをはき違えていたのですわ」

「そうなんですか……」


 正直に言えばあの時のマリアさんは怖かったけど、でも私には親切に歌を褒めてくれた。田舎から出て来た子どもに優しくしてくれたんだから、素は優しい人なんだと思ってたんだよね。

 今だってその時の事を思い出したのか、扇子を広げて顔を隠しているけど、見えてる耳は真っ赤だし。

 そんなマリアさんの様子にほわっとしていると、にこやかだったヴィクトルさんが急に眉間を押さえた。何事?

 黙って成り行きを見ていると、ヴィクトルさんはマリアさんの御連れの、黒のさらさらした髪に若葉色の瞳のビスクドールのようなお嬢さんに話しかけた。


「君……お父上は君がここにいるのはご存じなのかい?」

「はい。お会いしたい旨をロマノフ卿にお伝えくださると」

「アリョーシャに?」

「はい。」

「解った。連絡が行き違ってたみたいだ」


 その会話で解るのは、彼女はヴィクトルさんとお知り合いで、もしかしたら家族ぐるみのお付き合いかもってこと。

 そんな人がいたのかとヴィクトルさんを見ていると、疑問に思ったのは私だけじゃなかったようで。


「クロウさんの方は解ったけど、もう一人はヴィクトルさんの知り合いのお嬢さん?」

「ああ、ユウリ……。うん、そう、だけど……うーん」


 何処か歯切れが悪い。マリアさんも言っていいのかどうかって顔。でもそういうとき突撃してくれる人がここにはいるんだ。

 てこてこと、レグルスくんと紡くんを連れて、勇者が現れた。


「ま、マリア様! こんにちは! それと……?」

「あ、ああ、はい。こんちは、奏さん。えぇっとこちらの方は……」


 奏くんが頬っぺたをバラ色に染めてマリアさんを見上げる。

 奏くんはマリアさんのファンで、その純粋な好意の詰まった眼で彼女を見上げていた、マリアさんもそこからは目を逸らせないようだ。最終兵器奏くん、つおつお!

 すると、横のお嬢さんが美しいカーテシーを披露してくれた。


「皆様ごきげんよう。わたくしはロートリンゲン家の息女、ゾフィーと申します」

「ロートリンゲン家の……え?」


 ロートリンゲン家の息女って、たしかお一人。

 そしてロートリンゲン家は、第一皇子殿下の婚約者を立てる予定の筈。


「もしや……第一皇子殿下の……?」

「そうそう。そのご令嬢だよ」


 ヴィクトルさんの肯定に、にこっとご令嬢は笑顔で答えて、マリアさんも穏やかに頷く。

 ああ、このご訪問には何かあるな、とは思う。思うけど、多分それは聞かない方が、私的にはいいやつなんだ。

 だって確実に第二皇子派って解っているマリアさんと、第一皇子派のロートリンゲン家のご息女が、手を取り合っていらっしゃるとか、絶対ややこしい話だよ、これ。

 ヴィクトルさんも何か察した見たいで、凄く複雑そうな顔をしてる。

 でもそれはちょっと脇において、私は礼儀に乗っ取り全員の紹介をする。ユウリさんが渡り人で菊乃井歌劇団の演出家だと紹介した時、マリアさんとゾフィー嬢の顔つきが変わった。


「菊乃井歌劇団の! 私、先日の舞台を見させていただいて……!」

「ああ、ありがとうございます。皆よく頑張ってくれたので、見ごたえのあるものが出来たと自負しています」

「ええ、それはもう! ラ・ピュセルの皆さんも歌劇団の皆さんの素晴らしくて!」

「本当に感動いたしました……!」


 年頃のお嬢さんって言っても、ゾフィー嬢は背の高さからして宇都宮さんくらいの年齢みたいだけど、可愛い人たちがきゃっきゃすると場が和む。

 歌劇団の人の中にはマリアさんを夢見て入って来た人もいるくらいだし、そんな憧れの人が褒めてくれたことが嬉しかったようで、劇団員達も皆心なし雰囲気が華やかだ。

 ユウリさんも満更じゃないみたいで、にこやかにしている。

 ひとしきり盛り上がると、「そういえば」とヴィクトルさんが口を開いた。


「二人って仲良かったの?」


 おう、ド直球。

 でもそれは大事なことだし、私からは聞きにくい。

 あえての野次馬的な尋ね方に、マリアさんもゾフィー嬢も、穏やかに頷いた。


「はい。わたくしとマリアさんは、同志ですの」

「大事な方をお守りするには、まず私達が手を取り合うべきだと……」

「ああ、なるほど。それは大事なことだよね」


 この大事な人というのは、つまり、そういう事なんだろう。

 不仲説が流れるって、両方に取って命取りになりかねないもんね。

 でもそれで仲良くうちに訪ねてくるって何だろうな?

 首を捻ると、ゾフィー嬢が祈るように胸の前で手を組んだ。


「本来こういった事は手順を踏んでなされることですが、これを好機とすべく父に取り次ぎをお願いいたしました」

「閣下に、ですか?」

「はい。菊乃井様にご相談致したい事があるので、わたくしをメッセンジャー代わりに行かせてほしい、と」


 メッセンジャーとはいったい?

 思い当たる節がなくて戸惑っていると、ゾフィー嬢が仄かに微笑む。そうして持っていた小さなビーズのハンドバッグから、手紙を一通取り出した。

 封筒に描かれているのは麒麟と鳳凰の御紋。帝国の皇室を意味するこの印が使える人など、この世界に数名しかいない。

 差し出されたそれを恭しく受け取ると、ゾフィー嬢が「中を改めてくださいませ」と言う。

 ヴィクトルさんを見れば頷かれたから、これはそうした方が良いのだろう。

 覚悟を決めて封を開ければ、紙が二通。

 目を通せば定型の時候の話が書かれていて、その後にやっと本文が来るのは形式通り。けれどそこから下に書かれていたのが、重大事で。


「……第一皇子殿下・第二皇子殿下合同のお茶会への、招待状!?」


 うーわー……来ちゃったよ、これ。

 思わず死んだ魚の目になったのは、多分仕方のない事だ。

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