第317話 略式の誓いはここに

 ルマーニュ王都の冒険者ギルドと火神教団が、古の邪教の秘薬を使用していた、ひいては古の邪教に連なる何かがある件は、世界っていうか、帝国・コーサラ・楼蘭教皇国・シェヘラザード・ルマーニュ王国・北アマルナ王国の政治の中枢に報告され、それはもう凄い大騒ぎになっているそうだ。

 どうしてそこまで広がったかというと、ルマーニュには各国から真偽の問い合わせがあり、北アマルナには友好国として帝国が知らせたらしい。

 あらかじめ宰相閣下にこの件をご報告しておいたから、国際的な問い合わせや情報提供にはお国が対応してくれていて、私は平和……と言いたいところだけど、シェヘラザードから私が戻ってから、ひよこちゃんの機嫌が猛烈に悪かった。

 原因はアレ、ベルジュラックさんへの首打ち式。

 空飛ぶ城で帰って来た私達を、フェーリクスさんとひよこちゃんとヴァーサさんで迎えてくれたんだけど、ベルジュラックさんがヴァーサさんに喋っちゃったんだよねー……。

「これで俺も認められた!」とかってさ。

 その声がひよこちゃんに届いてたらしい。

 大きくて凛々しい青い目が段々座って「にぃに?」って物凄く低い声が、あの可愛いレグルスくんから出て来た日には……!

 そしてその不機嫌は、まだ治っていなくって。


「ひめさま! にぃにが! れーに! リッターシュラークしてくれません!」

「おお、憤(むづか)っておるのう……」


 姫君にひよこちゃんが直訴した。

 姫君がその言葉に、私に目を向ける。あれは「理由は?」ってお尋ねのサインだ。

 何故って言われても特に理由は……やっぱり兄弟だし、ましてやレグルスくんはまだ小さい。幼年学校にすら通ってないのに、そんな将来の事を言っても。

 首打ち式ってやるのはそんなに難しい事ではないけど、した後が大変なんだ。アレは一種の誓約だから「騎士を止めたくなりました」ってなった時に簡単に「はい、そうですか」って破棄が出来ないんだよね。

 レグルスくんが将来どうしたいのかを思うと、今の段階で首打ち式は早すぎる。

 そう言うと姫君は「なるほどのう」と団扇をそよそよと動かされた。


「……ひよこ、納得いたしたかえ?」

「できません!」

「即答かえ」

「だって、れーはずっとにぃにといっしょにいるんだもん! ずっとそういってるのに、にぃになんでそれがかわるみたいにいうの!」

「それは……」


 それは、言えない。

 前はあの光景に辿り着くのが正しいんだと思ってた。でも今は迷ってる。いや、辿り着きたくないと思ってるからこそ、将来の事なんて考えたくない。それがどんなに逃避だと言われたとしても。

 目を伏せると、姫君が団扇をひらりとレグルスくんの頭に乗せた。


「それはのう、ひよこ。それは人が成長する生き物だからじゃ」

「せいちょうするいきものだから?」

「そう、成長というのは変わる事じゃ。背丈が大きくなることばかりが成長ではない。人と交わり、先人が貯えた知識を得て、自ら考えて進む。それもまた成長よ。そしてそれは何もひよこだけに起こる事でなく、生きとし生けるものは全て、死ぬまでそれが起こるのじゃ。その中で昨日まで正しかったことが、明日には打って変わって間違っているように感じる時がきたりするのじゃ。解るかえ?」


 静かに柔らかな声で、姫君がレグルスくんに語り掛ける。レグルスくんも神妙な顔で聞いていて。

 姫君からの問いかけに、きゅっと唇を噛んでレグルスくんが首を横に振る。


「……ちょっとむずかしいです」

「うむ、そうか。しかし変わるのは悪い事ではないのじゃ。ひよこよ、例えば自分より強いものが現れて、お主の兄を困らせたとしよう。今のお主では勝てんが、一年ほど妾の元で修行すれば、確実に勝てるとして、お主どうする?」

「う……」

「兄の傍にいては勝てぬ。そうなったらお主、修行に出るのではないかえ?」

「……うん」

「うむ。それもいわば変わることよな? そしてそれは悪い事かえ?」

「……ちがう、とおもいます」

「お主の兄が心配しているのは、今、お主が誓約を交わすことでそれに縛られて、変化が必要な時に変われなくなることじゃ」


 そう、そういう、それ!

 言葉にならない代わりに、ぶんぶんと首を大きく縦に振ると、レグルスくんの眉毛が八の字に落ちた。

 きゅっと眉間にしわが寄って、空が溶けたような青い目にみるみるうちに涙が溜まる。

 やっべぇ、泣いちゃう。

 そう思ったのは私だけではなかったようで、慌てたように姫君が咳ばらいをした。


「う、うむ。しかしな、ひよこの無念も解らんではないぞ!?」

「へ!?」


 寝返った!? 姫君がレグルスくん側に寝返った!?

 ちょっと!? 可愛いは正義ってここでつかう言葉ですか!?

 てんぱる私を他所に、姫君に肯定してもらったレグルスくんは、涙をすっこめてぱぁっと明るく輝く笑顔を見せる。


「ひめさま! もっとにぃににいってください!」

「う、うむ。その、な。鳳蝶、お主ももう少し柔軟にだな……」

「え? は? 姫君様!? いい話の流れは!?」

「ええい、仕方なかろう!? ここでひよこを泣かせたら、妾が天に戻ってから艶陽に問い詰められるではないか!? アレに泣かれると妾も困るのじゃ! 鳳蝶、察せ!」

「ええええええええ!?」


 そんな理由!? いや、解るけど!

 じっとレグルスくんが私を見てくる。ついでに姫君も私を見る。視線が突き刺さって、豆腐メンタルグラスハートがとっても痛い。

 いや、でも、だけど……。

 戸惑っていると、姫君の薄絹の団扇が閃いた。


「そうじゃ! 正式なものはひよこが大人になってから改めてするとして、略式をするのはどうじゃ? 今ここでひよこが立てた誓いは仮のものとして、将来正式なものを交わして完全な誓約となすのじゃ! それで良かろう!? 決まり! 決まりじゃ!」

「は、や、え!?」

「はい! れー、それでいいです!」


 右手を元気に上げて、レグルスくんが良い子の返事をする。姫君もそんなレグルスくんの様子に頷くと、ここで合意してないのは私だけに。

 二対一じゃん、どういうことよ!?

 ぐぬぐぬする私に、姫君の目は逸らされるけど、レグルスくんは凄く嬉しそうで。

 その嬉しそうな顔を見ていると、なんかもう無駄な抵抗をしているような気がしてきた。いや、うん、私は結局レグルスくんが可愛いんだ。この子の望むことは、私に出来る事なら何でも聞いてあげたいくらいには。

 それに姫君も「決まりじゃ」って仰ってるし、もうこれはそうする流れなんだよ。

 無駄な抵抗を私は諦めた。


「解りました」


 そう言えばレグルスくんは飛び跳ねて喜び、姫君はいそいそと懐から帯びていた守り刀を私に渡してくださる。

 姫君にお会いするとき、私は寸鉄も帯びていない。不敬になるからね。だからが守り刀をお貸しくださったわけだ。

 でも首打ち式に刀ってどうなんだろう? 略式だしいいのか? よく解んないな。

 兎も角、お借りした守り刀を握ると、私はレグルスくんに「準備して?」と声をかける。すると心得たとばかりに、レグルスくんが私の前に跪く。

 略式だし、刀は剣と使い方が違うし、何より扱いに慣れていないから鞘から抜かないままに、レグルスくんの首筋にひたりと押し当てた。


「えぇっと……彼が全ての善良にして弱きものの守護騎士となるように」


 儀式の開始の言葉を告げれば、レグルスくんが私に恭しく頭を下げた。


「汝……あー……嘘を吐いてはいけません、えらそうにしてもいけません、誰に対してもお行儀よく、挨拶はきちんとしましょう。弱い人には思いやりをもって接しましょう。強い人には勇気をもって行動しましょう。正々堂々いつでも正しいと思った事をしましょう。騎士であることを忘れずに行動しましょう。守れますか?」

「はい! ちかいます!」


 凛々しく強い視線が帰ってくるから、私は守り刀を首からはずしてやる。まさかこの鞘にキスさせるわけにいかないから、刀をレグルスくんに渡すようにした。するとレグルスくんが恭しく、私から守り刀を受け取ると、輝かんばかりの笑顔を見せる。

 負けた……。

 いや、でも、神様も焦らせる幼児の泣き顔に勝てるわけないんだ。うん。

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