第249話 愛は兄より出て弟に土砂降る

 雪樹山脈に住む少数民族は、独立不羈にして中立。

 魔族にあって魔族至上主義でもなくば、多種族と馴れ合うことも良しとせず、我が道を往く中道派なのだそうだ。

 当然、魔族の国にも属さなければ、帝国やらコーサラにも属さない。

 どこの勢力にも与せずにいられるのは、彼らが魔物使いの民族だからだそうで。

 一族の者は皆、幼い頃から修行し魔物を従える。

 魔物を自身で捕らえる者もあれば、親から引き継ぐ者もいるし、交配した魔物の仔を貰って使い魔とするもの様々だ。

 ラシードさんのアズィーズとイフラースさんのガーリーは、それぞれ赤さんやら卵の時に貰ったのだそうな。


「どなたから?」

「お袋」

「あら、まあ」

「そっちこそ、アビス・キメララクネとかマンドラゴラとか……」

「タラちゃんは、貰った時は奈落蜘蛛だったんです。ござる丸は庭に生えてて……私の魔力を食べてたらしいから、私が育てたのかな?」

「なんだそれ?」

「いや、私のことはいいんですよ。それより続き」

「お、おお。それでだな……」


 エリーゼが運んだお茶を前に、ラシードさんは季節の花が描かれた茶器類を「可愛い」と誉め、背筋を正してカップの摘まみを指先で摘まむ。

 姫君の蜜柑を使ったジャムを溶かした紅茶を、香りを楽しみながら口に含むと静かに飲み下した。

 帝国の貴族でも中々見ない洗練された優雅な所作に、これはいよいよ大物を釣り上げた気がしなくもない。

 まあ、どうせイベントで人の出入りが激しくなるから、治安維持のために犯罪者識別システムみたいな、言葉は良くないかもだけど監視システムの構築を先生方に相談しようと思っていたところだから、それを急がなきゃいけなくなるかも。

 嬉しくない予感をひしひし感じている間にも、ラシードさんの話は続く。

 殺されかけたのは、一族の集落がある雪樹山脈から離れた暖かな平原に向かう最中。

 歩けば一日や二日では辿り着かない場所も、グリフォンの翼なら半日くらい。

 空間拡張の魔術の掛かったキャリーバッグにアズィーズを入れて、ガーリーの背中にイフラースさんと一緒に跨がっていた空の上での話だそうで。


「ワイバーンがいきなり襲ってきて、空の上だし……」

「逃げていたら帝国に入っていた、と?」

「結果的にそうなっただけだ。最初はどこかの森に隠れてやり過ごそうとしたんだけど、兄貴のワイバーンが逃げても逃げても追ってきたんだ」


 待て、今、大事なことが聞こえたぞ。

 兄貴のワイバーン。

 それってつまり、ラシードさんを殺そうとしたのは彼の兄ってことか!?

 待て待て。

 本格的にヤバい話に、嘴を突っ込んだかも知れない。

 彼の洗練された所作、お高そうな服、乳兄弟とは言え付けられた護衛。

 もしやラシードさんは雪樹山脈に住む民族の族長の息子なんでは?

 そして今まさに彼は権力闘争の真っ只中だったりする人なんじゃ……?

 思わずロッテンマイヤーさんを見れば、彼女も何か察するものがあったのか、私を見ていた。

 これは慎重にいかないと。

 緊張が表に出ないように表情を制御していると、奏くんが首を傾げるのが見えた。


「なんでラシード兄ちゃんは兄ちゃんにおそわれんの? 仲悪いのか?」


 おぉう、豪速球ストレート。

 聞きにくいし言いにくいしな部分を、さらっと責める奏くんに、ラシードさんは目を白黒させる。


「え? や、悪いって言うか……嫌われてるって言うか……でも一番上の兄貴とは悪くなくて、二番目の兄貴には目の敵にされてる……」

「なんで? 一番上の兄ちゃんと仲良いなら、チクればいいじゃん。いじめられるって」

「チクればチクったでエスカレートするんだよ」

「ああ、怒られたのラシード兄ちゃんのせいだって?」

「うん」

「ああ……わかるわー」


 なんだそりゃ?

 っていうか、それ、兄弟喧嘩あるあるじゃん。

 そんなとこから殺すの殺されるのって物騒な話にはならないだろう……と、思って、否と前世の「俺」が否定する。

 前世のとある宗教の説話によると、人類最初の殺人は嫉妬による弟殺しだ。

 となると、権力闘争と兄弟喧嘩の会わせ技か?

 しかし、ラシードさんはもう一人兄がいると言った。

 つまり彼は三男坊。

 順当に行けば跡継ぎは長兄、次兄はスペア、三男は何処かに養子に出すか自由にさせる代わりに家から出すのが、帝国貴族のありようだ。

 ラシードさんの一族は違うんだろうか?

 そう尋ねると、ラシードさんの顔が固まる。


「いや、うちの一族もそうだ。次の跡継ぎは長兄、次兄はその補佐、俺は自由にしていいって。冒険者になってもいいけど、まずはちゃんとした魔物使いになってからにしろってお袋に言われてる。っていうか、なんで俺が族長の息子って……?」

「洗練された所作、お高そうな服、護衛の三点セットが揃ったら、身分があるくらいは解りますし、身分の高い人が殺されかけるなんて大概権力闘争でしょ。権力闘争が起きるってことはそれなりの家柄、なら族長の息子かなって」


 彼が帝国にも魔族にも中立な少数民族の族長の息子で、菊乃井的には助かったと思う。

 帝国に敵対する国の貴族やら王族だったら、助けたことすら内政干渉の火種になるところだった。

 今はそれでよしとして。

 当人たちの間で明確に序列が決まっているのなら、本来権力闘争が起こる余地はない。

 けれどそこに周囲の思わくが絡むと、また違った化学反応が起こる。

 その線はどうなのかと聞けば、これもないらしい。


「一番上の兄貴は優秀だもん。兄貴が族長になるのに、誰も反対なんか……いや、二番目の兄貴は不満そうだけど」

「それでも誰も従わない?」

「うん。同じ様にスペア扱いの奴らが取り巻きになってるけど……それだってそんなにいない」

「その鬱憤ばらしに貴方が八つ当たりされてる、と?」

「だと思う。だけどワイバーンをけしかけてくるとか、流石にそんなに嫌われてたのかと……。俺、確かに二番目の兄貴の言うように、兄貴達と違って頭は悪いし魔物使いの才能ないし、役立たずだけど……死ねって思われるほどなんて……」


 項垂れたラシードさんから鼻水を啜る音がする。

 落ち着いて話しているように見えて、実は内心はグッチャグチャなんだろう。

 殺されそうになるほど嫌われてる、それも兄弟からなんて、本当に精神衛生に良くない。

 護衛のイフラースさんは、ワイバーンがあまりに諦めないので、ラシードさんとアズィーズをアルスターの森に隠して、ガーリーと戦いに向かい、何とかワイバーンを撤退させたけど引き換えにグリフォンから森に落ちた。

 諦めないワイバーンに兄の持つ殺意の高さを思い知らされた挙げ句に、乳兄弟が覚悟を決めえ戦いに赴き、死んでしまったかもしれない場面を見ることになった彼のショックは大きかったのだろう。

 混乱した頭でイフラースさんを探させるために、アズィーズを集合場所も決めずに解き放ってしまったそうな。

 それが三日ほど前のこと。

 アズィーズも戻ってこないし、狂暴な悪鬼熊のいる森を彷徨った上で、情緒がグッチャグチャだ。

 でもそれだけ。

 発狂してもないし、怪我もない。

 この人、本当にルイさんの言うように危機管理能力が非常に高いのかも。

 ただしそれは本人が使いこなせる類いの物でなく、天賦の才、言い換えれば第六感的なもの……。

 なんとなく、ラシードさんの項垂れた頭に手を伸ばす。

 反対側からは奏くんが、ラシードさんの頭に触れた。


「なにはともあれ、三日も独りでよく頑張りましたね」

「うん、無事で良かった!」

「──ッ!?」


 そのまま二人してワシャワシャと頭を撫でると、ラシードさんが顔を上げて目を見開いた。

 首もとから徐々に赤くなって、耳も真っ赤にすると、再びラシードさんが顔を伏せて、今度は声を上げて泣き出す。

 するとレグルスくんや紡くんが代わる代わる、ラシードさんの肩や手を優しく撫でてやって。


「にぃにのなでなでは、げんきになるんだよ! れーのだけど、いまはかしてあげるね?」

「ちゅむのにぃちゃんのてもだよ! ちゅむのにぃちゃんだけど、かしてあげる!」


 やばい、弟達が可愛い。

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