第224話 ハートフル(ボッコ)メモリーズ
がらがらと馬車が帝都を走る。
車内は私とロマノフ先生の向かいに、ヴィクトルさんとラーラさんが父を挟んで座っていた。
沈黙。
二人の間で小さくなる父には、針の筵どころか敵地で首に縄を掛けられてゆるゆる絞められているに等しいだろう。
宇都宮さんやレグルスくんが菊乃井の屋敷に来たときに味わった緊張と同じものを、この男も知らねばならない。
だから私はあえて父を無視するし、意図的に空中の水分を凍らせてキラキラ光らせつつ、車内の温度をぐっと下げている。
先生方はそれぞれ自力で私の魔術を防げるから、父が震えていても我関せずだ。
皇宮から菊乃井別邸までは然して遠くはないらしく、石畳を漸くいけば住宅街の一角に蔦に覆われた鉄柵の門の前で馬車が止まる。
目的地に着いたのか、御者が馬車の扉を開けると、ロマノフ先生が先に降りた。
ロマノフ先生に手を引かれて馬車から降りると、古びた、帝都の菊乃井屋敷の半分くらいの大きさの家が見えて。
父を含めた全員が馬車から降りるタイミングで、通りを挟んだ向かいにキラキラと光が振る。
するとその光の中からソーニャさんとレグルスくんと宇都宮さんが現れた。
「あ!」
こちらの一行を見つけたひよこちゃんの顔がパアッと輝く。
右見て左見て安全を確認すると、レグルスくんがばびゅんっとこちらに走り出す。
すると虚無だった父の顔に血の気が戻り、ばっと腕を広げてレグルスくんを受け止めるよう、私の前に立ち塞がった。
「レグルス! 父だぞ! 会いたかった……!」
叫んだ父の背中越しに、レグルスくんの輝く笑顔が見える。
なんだかんだ言っても、やはり父に会いたかったのかも知れない。
近付いてくるひよこちゃんを見ていると、父が自らレグルスくんを受け止めようと腕を広げたまま近付いて行く。
しかし、父の腕に飛び込む寸前、レグルスくんが顔をしかめて父を飛び越えた。
かと思うと、バランスを崩して転びそうになった父の背中を踏みつけて、私の目の前へ着地。
その勢いを殺さず、なんの準備もしてなかった私に飛び付いて来た。
「にぃにー! あいたかったー!」
「ぐふっ!?」
ぐりぐりと頭をすりつけてくるんだけど、そこ、鳩尾や……!
痛みとレグルスくんの可愛さに悶えていると、レグルスくんに踏まれてスッ転んでいた父が立ち上がるのが見える。
振り返ったその顔が愕然としていた。
それを知ってか知らずか、レグルスくんがぷくっと頬を膨らませる。
「れー、さみしかった! おひるごはんたべてからおわかれしたのに、もうおやつのじかんだよ!?」
「ああ、そうだね。結構時間かかっちゃった。お腹空いてる?」
「すいてる!」
すりすりと頬を寄せてくるレグルスくんの頭を撫でると、すぐ近くまで来ていたソーニャさんと宇都宮さんに手を振る。
「お久しぶりです」と声をかければ、ソーニャさんがコロコロと笑った。
「お久しぶりねぇ、あっちゃん。ごきげんよう?」
「はい、ソーニャさんもご機嫌麗しゅう。この度は色々とありがとうございます」
「いいのよぉ。ばぁばに出来ることは、なんでも頼ってちょうだいな」
おっとりとしながら、ソーニャさんは私の頭を撫でてくれた。
そしてひっつめた髪に留まるムリマの蝶に目をやると、空中に魔力を集めて、そこに手を入れる。
ずずっと空間が歪む音がして、引出されたソーニャさんの手には私の髪に留まる蝶と、色違いだけどそっくり同じものが四つ。
「れーちゃんの御守り代わりに預かっていた残り四つ、お返しするわね」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言えば、ソーニャさんの指先に留まっていた蝶がパタパタ羽ばたいて、私の髪や耳に留まる。
「それじゃあ私は帰るけど、また遊びに来てね。待ってるから」
「はい。春にはお邪魔したいと思います」
「即位記念祭ね? 楽しみにしているわ」
そういうと先生方にウィンクして、しゃらんらとソーニャさんは転移魔術で帰って行った。
代わりに大きなバスケットを二つ持った宇都宮さんが、すすすと側に来る。
然り気無く私とレグルスくんを父から隠すような位置に陣取ると、バスケットを私に見せた。
「料理長さんからお茶の用意を預かっております。ロッテンマイヤーさんから、給仕は私がするように、と」
「それじゃあ、お茶をお願いするね?」
「多分先にお掃除になると思いますが……」
「ああ……」
見上げた先の屋敷は、辛うじて埃っぽさはないものの、どよんとした重苦しい佇まい。
前はこんなじゃなかったと、宇都宮さんは悲しそうに首を振った。
庭も花壇の痕跡があるだけで、花の一つもない。
「このお庭で、天気の良い日は奥さ……マーガレット様とレグルス様はひなたぼっこなさってらしたんです。その時には沢山お花が咲いていたのに……」
「必要だから屋敷の経費とか締め上げたせいで、庭師さんがいなくなっちゃったんだね、ごめんね?」
「いえいえ、庭師なんてそもそもいませんでしたから。マーガレット様と私とレグルス様とで整えていたんです」
「ああ、だからレグルスくんはうちでも土いじりを嫌がらなかったんだねぇ」
「泥んこになっても、菊乃井では怒られなかったので益々好きになったご様子です!」
ニコニコと思い出を話す宇都宮さん。
レグルスくんはそれを不思議そうな顔をして聞いている。
「覚えてる?」と尋ねると、レグルスくんは小首を傾げて「ちょっとだけ」と答えた。
「うちゅのみや、ここブランコあった?」
「はい。ゆらゆらとお母様のお膝に乗って揺られてましたよ」
「……うん」
静かに庭を空色の目が見つめる。
ここにはレグルスくんの大事な思い出があるんだ。
大事にしないと。
そう思っていると、なにやらゴニョゴニョと話し声がして。
振り替えると父が、先生方の圧迫面接を受けていた。
「どうしました?」
「いや、バーンシュタイン卿が勝手に中に入ろうとしたもので」
「勝手とはなんです!? ここは私の自宅ですぞ!?」
いきり立つ父に、私だけじゃなく皆が冷ややかな目を向ける。
つか、往来で叫ぶな。
「残念ながら貴方の家ではありませんよ。ここは菊乃井伯爵家別邸。貴方はバーンシュタイン家の人で、菊乃井伯爵は私です。つまりこの屋敷の主は私。使用人に至るまで全て私のものです。勝手に手出しをしたら賠償金を支払っていただきますよ?」
「なっ!?」
大方メイド長にさっきの映像の真偽を確かめたかったんだろうけど、そうは行くか。
ともかく、話はレグルスくんのおやつが終ってからだ。
そのレグルスくんがひょこっと私の後ろから、父の様子を探る。
それから物凄くしょっぱい顔をして。
「お″ひ″さ″し″ぶり″です″、と″う″さ″ま″」
ぺこんとお辞儀したものの、そのお口から出てきたのは普段とは全然違う、地の底から這い出てきたかのようなデスボイス。
驚いてレグルスくんの顔を見れば、いつもの可愛いひよこちゃんに戻ってる。
久しぶりに会った我が子に、父は恐る恐る話しかけた。
「レ、レグルス?」
「は″い″……」
レグルスくんはやっぱりしょっぱい顔のデスボイス。
いや、しょっぱい顔もデスボイスも可愛いけど!
「えっと、レグルスくん?」
「なぁに、にぃに?」
呼び掛けると瞬時にいつもの可愛いひよこちゃんのお顔だし、声だってきゃるるんと高い。
その様子に、父が眉を吊り上げた。
「レグルスに何を吹き込んだんだ!」
「別に何も」
無いことはないのかな?
まさか内容が理解出来てるとは思わなくて、養育費を送ってこないとか、ちゃんと仕事をしてないとか、税金をちょろまかしてるんじゃないかとか、結構色々言ってたもんなぁ。
「おのれ、卑怯者め! 子供に親の悪口を吹き込むなど、恥ずかしいと……は思わん、の、か……」
本当の事を話すのが悪口なら、そうなのかも。
ツラツラと考えていると、父の声が尻窄みに小さくなって、ガタガタと震え出した。
不思議に思っていると、呆れた顔でロマノフ先生が肩をすくめる。
先生の横にいたヴィクトルさんとラーラさんが、目線だけで私に下を向くように促す。
なので素直に下を向くと、レグルスくんが物凄く冷たい目をして父を睨み付けていて。
「……のに!」
「ん? レグルスくん?」
「だから、れー、とうさまにあいたくなかったの! かあさまもうそつきだからきらい! おはかまいりも、もうしない!」
「えぇっ!? なんでぇ!?」
「そんな!? レグルス様!?」
キーンッと耳が痛くなるような大きな声で、レグルスくんが怒鳴る。
地団駄を踏んで怒りをあらわにするレグルスくんに、一瞬呆気に取られたけど、ききのがしてはいけない言葉があった。
私はレグルスくんと目線を合わせるように屈む。
「どうしたの? お母様のこともだけど、なんでそんなこというの?」
「だって! れーがとうさまをすきじゃないのはとうさまのせいなのに! かあさまはとうさまのことりっぱなひとってれーにいったけど、りっぱなひとがなんでじぶんがすきじゃないっておもわれてるのを、ひとのせいにするの!? とうさまはぜんぜんりっぱじゃないもん! かあさまのうそつき! れー、うそつきはきらい! おうちかえる!」
ダンッと強く地面を蹴るレグルスくんを抱き締める。
すると少しは落ち着いたのか、レグルスくんは私の背中に手を回してぎゅっとしがみついた。
それと同時にバタンっと何かが倒れる音がして。
音のした方向を見れば父が地面に打ち付ける倒れている。
これはあれか。
レグルスくんを引っ付けたまま、先生方に視線を向けると、三人とも揃って肩をすくめた。
「れーたんの【威圧】にも勝てなかったみたい」
冷静な解説ありがとうございます、ヴィクトルさん。
ひよこちゃんは天才ってことですね、解ります。
「帝国軍人ってこんな弱くて大丈夫なのかな……?」
ラーラさん、その人は特殊な例なんじゃないですかね。多分。きっと。
そうじゃないと怖すぎます。
「下手に起きていると話が進まないので、このまま屋敷に運びましょうかね」
お手間おかけします。
って言うか荷物みたいに肩に成人男性を担げるって、ロマノフ先生は本当に外見詐欺ですね。
「若様ー! お気をたしかにー! 現実に負けちゃダメですよー!」
「はっ!? つい、口から魂と本音が!?」
宇都宮さんの言葉にはっとすると、私は現実を直視するとレグルスくんの背中を撫でる。
ふと、隣に立つ宇都宮さんが気配を固くした。
レグルスくんから顔を宇都宮さんが見ている場所に向ける。
すると屋敷から女性が一人、こちらに向かってくるのが見えた。
「うるさいわね。この屋敷をだれの屋敷だと思ってるの!」
「私の屋敷ですが?」
「は? なにいってんのよ! ここは……」
「菊乃井伯爵家別邸、つまり私の屋敷ですよ。私は菊乃井鳳蝶、今日をもって菊乃井家当主・菊乃井伯爵となりました。よろしく、別邸のメイド長・イルマ」
穏やかに笑ってやると、イルマの顔がひきつった。
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