第179話 瓢箪からケルピー
珍しいお呼び出しに、一目散に庭に飛び出すと、身体強化をかけてひた走ってたんだけど、途中で魔術を使っていないレグルスくんに追い付かれた。
まあいいかと一緒に走ったら、ちょっとも行かないうちに追い抜かれて、心が折れたので、異変を察知してやってきたタラちゃんにレグルスくんと一緒に乗せてもらって、ばびゅんとやってきた奥庭。
華麗な牡丹の花の前には、つい一時間くらい前にお見送りしたばかりの姫君様がいらした。
そのお顔はやっぱりお美しいけれど、物凄く不機嫌そう。
もしかしてケルピーが粗相したのかと、内心で震えながら跪いた。
「鳳蝶、御前に」
「うむ、大義」
「れー……レグルス、ごじぇ、ごぜんに!」
「む、ひよこも来たか。大義じゃ」
レグルスくんも噛み噛みしながら跪くと、姫君様の団扇がひらりと閃いて「面をあげよ」とお声がかかる。
しかし見上げた姫君様のお顔はやっぱり険しくて、レグルスくんと緊張しながら手を繋ぐ。
そんな私たちの様子に、姫君様は眉を上げて、それから大きくため息を吐かれた。
「そう震えずともよい。妾は確かに不機嫌じゃが、そなたたちのせいでも、そなたらの馬のせいでも無い」
「え、あ、はい……」
姫君様のお言葉に頷きはしたものの、じゃあなんでそんなにご機嫌麗しくないんですか……とか、聞ける筈もなく。
普段は物怖じしないレグルスくんも、何だかピヨピヨと身体を左右に動かしてるだけで、聞きたくても聞けないって感じ。
そんな私たちを他所に、姫君様はギリギリと領巾を握りしめて、雑巾絞りを始めた。
「彼奴めぇぇぇ!」
いやーん! めっちゃお怒りなんですけどぉぉぉぉっ!?
暗雲俄に立ち込めてって表現が似合うほど、一気に空が曇りだして、天を稲光が走る。
「ひえっ!?」と小さな悲鳴を上げてしがみついてくるレグルスくんを抱き締めてガタブルしていると、姫君の背後からひょっこりと綺羅びやかな馬具を着けたケルピーが顔を出した。
何処と無く申し訳なさげな雰囲気を醸してはいるものの、怪我をしているようには見えないし、とりあえずは無事みたい。
となると、何があったかさっぱりだ。
おずおずと姫君様の後ろから、ケルピーが私たち兄弟の方に向かってやってくる。
私が手を差し出すと、ケルピーは自分で咥えていた手綱をぽとりとそこに落として。
その間も雷鳴が轟いて、これはいよいよ雷が降ってくるなってタイミングで、姫君様が縊り殺していた領巾を手放した。
まだ眉の辺りには不機嫌が漂っているけれど、瞬時に空が晴れる。
「……取り乱した、許せ」
「えぇっと、はい。大丈夫です」
「うむ。ケルピーも、無事じゃの?」
「はい、けろっとしています」
「で、あるか」
むすっとした表情はそのままに、姫君様は深く息を吸われると、ゆっくりと吐き出す。
瞬きを一度してから、姫君様は薄絹の団扇をひらりと閃かせた。
「……沙汰じゃが」
「は、え……ケルピーの、ですか?」
「左様。先の約束では明日沙汰することになっておったが、状況が変わった」
「は、はい!」
口の端を引き結ぶ姫君様に、私もレグルスくんも背筋を正す。
状況が変わったってなんだろう?
きゅっと手を握ると、なんだかちょっと湿っていて、手汗をかいていたことに気付く。
すると姫君様のお顔から、険が消えた。
「艶陽がそなたらにケルピーを下賜すると言うておる」
「……かし、ですか?」
かし?
貸し?
なんのこっちゃと、ぽかんとしていると、姫君様が片眉を上げた。
「兄弟揃って間の抜けた顔をしおって……。まあ、気持ちは解るがの」
「あの……かし、とは?」
「そのままじゃ。妾が艶陽にやった、そなたらが献じたケルピー……号を
「ふぁ!? かしって、下賜のことですか!?」
「うむ」
ちょっと何を仰ってるか解らない。
私達が姫君様にケルピーをお渡しして、それを賭けの支払として姫君様が艶陽公主様にお渡しした。
そこまでは解る。
そこから何でケルピーが私達に下げ渡されるのかが、全く解らない。
どういうことなの?
レグルスくんと顔を見合わせると、同じくらいぽかんとした顔をしている。
一方、姫君様の方を窺うと、苦虫を噛み潰した上にセンブリ茶まで飲んだようなお顔で。
これはあんまりつついちゃダメなヤツな気がするけど、聞かないわけにはいかないヤツだ。
「あの……どうしてそのような事に……?」
「思い返すも腹立たしいが、まあ、聞くがよい」
眉間に深いシワを刻みながら、姫君様の仰るには、あの後直ぐにケルピーを連れて、姫君様は艶陽公主様のお宮にお出かけになったそうな。
そこにはイゴール様の馬具ももう届けられていて、お宮に住む艶陽公主様の側仕えがきちんとケルピーに馬具を着けさせると、艶陽公主様は直ぐに乗り心地を試されるとのことに。
天上の馬場でケルピーに乗って、艶陽公主様は乗馬を楽しまれたそうだ。
ケルピーも調教の甲斐あってか、多少緊張した面持ちではあったものの、艶陽公主様の手綱捌きにきちんと応えていそうで。
「良き馬じゃと申すから、当たり前じゃと返しておいたわ」
「勿体ないお言葉を。ありがとう存じます」
姫君様はひらりと団扇で口許を隠される。
目が笑っておられるから、本当にケルピーは見事に走ったのだろう。
姫君様の話は続く。
ケルピーは私達の期待通りに頑張った。
しかし、艶陽公主様は姫君様の仰るに、少しばかり気性の激しいところがあるようで、段々と手綱捌きが手荒になってきたそうな。
ケルピーがそれに疲れてしまい、少し脚を縺れさせて立ち止まってしまったらしい。
それに艶陽公主様がお怒りになり、天上に稲妻が光り、あわやと言うところまでに。
「妾も勿論止めようとしたが、稲光が光った瞬間氷輪が来ての」
「氷輪様が?」
「うむ。それはもう目から火が出るかと思うぐらい、艶陽を叱りつけおったわ」
曰く、「自分の機嫌の悪さで他者の命を粗末にするとは何事か」とか「神と言えど無為に命を摘むのは許されぬ」とか、それはもう氷輪様は厳しく艶陽公主様を叱責なさって、最後には泣かせてしまうほどだったそうな。
神様も叱られて泣くんだ……。
吃驚したのが顔に出たのか、難しいお顔で姫君様が頷く。
「艶陽と氷輪はまた事情があるでな。艶陽にとって氷輪は特別な存在なのじゃ。それから厳しく叱責されれば、泣きたくもなろうよ。考えてみれば、我ら神の中でも艶陽は強い力に反して、その精神はややすれば幼い。親神より最後に作られた存在ゆえ、致し方ないのかも知れぬが……」
「なるほど」
「しかし、思えば氷輪が艶陽の我が儘というか、荒ぶりというか、そんなものをわざわざ叱りに来るのも珍しい事じゃがのう。更に珍しいのは叱って泣かせた後に、きちんと詫びた艶陽を慰めていたのもそうじゃな」
「ははぁ……」
「まあ、それから、氷輪はこのケルピー……いや颯がどの様な仔細で、妾の手から艶陽に渡ったかを
うわぉ、それは……!
あまりの事に唖然としていると、姫君がこほんと咳払いをなさる。
「そういうわけで」と、眉に再び不機嫌を漂わせて、姫君が団扇でケルピーを指した。
「ケルピーの名前は艶陽がそなたらの申し出を受けて『颯』とした。その颯は、ケルピーを神の乗るに相応しき馬へと調教して見せたことへの褒美として、馬具ごとそなたらに下賜するそうじゃ」
「は、ははぁ。ありがたき幸せ……で、よいのでしょうか?」
「良いのだろうよ。二度と颯は欲さぬと氷輪が誓わせておった故、返せと言うてくることもなかろうて」
なんかよく解んないけど、結果オーライだ!
兎も角、ありがたく艶陽公主様の思し召しを受け止めておこう。
改めて姫君様や艶陽公主様にお礼申し上げると、ほうっと姫君様がため息を吐いた。
「ともあれ、よくぞ艶陽が認める結果を出した。誉めおこう。この
「ありがたき幸せにございます。当家の馬丁にも、お褒めの言葉を頂戴したこと、伝えおきます」
「うむ。妾の臣のための骨折り故、妾からも氷輪には礼をしておいたが、そなたからも改めて礼を言うがよいぞ」
「承知しております。氷輪様にはお会いした時にお伝え致したいと思います」
「妾の臣としての」
「はい、必ず……?」
なんだか妙に「臣」を強調なさってるけど、なんだろうな?
若干気になったものの、私がそれを口にする前に「では
残されたのは、私とレグルスくんと、颯と名付けられた凄くカッコ良く飾られたポニ子さんの旦那(仮免)だけ。
颯の手綱を引くと、トコトコと更に近付いてくる。
「まあ、なんだか解りませんが、貴方の頑張りが認められたようですよ」
「ひん」
しゅるんと即座にポニーくらいの大きさに変わった颯の背を撫でると、レグルスくんもお腹の辺りを撫でる。
そしてこてんと小鳥のように首を傾げた。
「ケルピー……はやて、おうちのこになるの?」
「うん。艶陽公主様が、ポニ子さんとグラニと一緒にいさせてあげなさいって」
「よかったねー!」
本当に良かった。
ほっと胸を撫で下ろすってこういうことなんだろう。
ポテポテとレグルスくんと屋敷に戻るために歩き出すと、何処にいっていたのか今度はござる丸を連れたタラちゃんも合流して。
ようやく屋敷の近くに戻ってくると、ロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさん、ヨーゼフにロッテンマイヤーさんとソーニャさんが庭に出てきているのが見えた。
レグルスくんがヨーゼフのもとに走り出す。
「ヨーゼフ! ケルピー、おうちにいていいよって! えんよーさまがいいよって!」
「ほ、本当に!?」
「ひめさまが、ヨーゼフがんばったねーって!」
グラニの主になったレグルスくんには、ポニ子さんとグラニの家族な颯のことが、口には出さなくても凄く気になってたんだろう。
ヨーゼフの事にしたって、事の始めに泣きそうな顔をしていたヨーゼフを慰めながら私のところに連れて来た訳だし、レグルスくんなりに心配してたんだろうな。
うちの弟は良い子だよ、ほんとに。
感慨に耽っていると、ピタリと颯のあゆみが止まる。
不思議に思って振り向くと、颯はその場で私に跪くような体勢を取って嘶いた。
「わ、若様を、こ、これ、これからは、主として、い、いきっ、生きてくって」
「……その前に『ポニ子さんと一緒になりたいです。妻子共々必ず幸せになりますので』からです、やり直し」
じゃないと、何時まで経っても「ポニ子さんの旦那(仮免)」だぞ、君。
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