第177話 時には昔の話を……

 アレクセイ・ロマノフには妻帯歴はない。

 しかしながら、彼には息子が一人いた。

 過去形なのは、その息子・レオニードが既に鬼籍に入って久しく、最早息子がいたことすら人々の記憶から失せて久しいから。

 レオニードはアレクセイ・ロマノフの血を分けた実子ではなく、ダンジョンの中で拾った人間の子供だった。

 アレクセイ・ロマノフは、子に先立たれる親の辛さを知る数少ないエルフの一人である。

 しかし、幸運なことにレオニードはエルフからすれば非常に短命でも、人間としては長生きした方で、妻もいたし、息子も娘も、孫もひ孫も抱くことが出来た。

 だが残念なことに、そのレオニードの子孫は流行り病や飢饉で数を減らして、遂には口減らしで売られたアーデルハイドという娘だけになってしまった。


「そのアーデルハイドがそなたの守りのロッテンマイヤーとな?」

「はい。もうビックリしました!」

「なんとまあ、芝居の様ではないかえ……」


 姫君がヒラヒラと薄絹の団扇を翻して、大きな息を吐かれる。

 いや、まったく、事実は小説より奇なり。

 ロッテンマイヤーさんがまさか血は繋がらないけど、ロマノフ先生の家族だったとは。

 ロッテンマイヤーさんが持っていたロマノフ先生との伝手って、そういう事だったのね。

 でも元を辿るとって言うか、ロッテンマイヤーさんが祖母から聞いた話として教えてくれたことには、そもそもソーニャさんが菊乃井を助けてくれた事を、祖母はずっと恩義に思っていて、何か恩を返す手段を考えてソーニャさんの喜びそうなことを調べていたら、ロマノフ先生の血の繋がらない息子・レーニャさんのことが出てきたらしい。

 それでレーニャさんの家族がどうしてるのかを探ったら、ロッテンマイヤーさんが口減らしに売られかけていて、祖母がへそくりを叩いてロッテンマイヤーさんを買ったと言うか保護したんだそうな。

 それで直接自分がソーニャさんにロッテンマイヤーさんを保護した事を伝えると、恩返しに何か出来ないか探っていたのがバレてしまうので、祖母はロマノフ先生にロッテンマイヤーさんから手紙を差し上げるようにしたとか。

 因みに、祖母的にはロッテンマイヤーさんを保護したのは直接ソーニャさんのためになるとは言えないから、恩返しとしてはカウントしないと言っていたそうだ。

 ラ・ピュセルのお嬢さん方のご家族に、彼女達の無事を報せるのをさっくりやってくれたのは、この辺りの経験が生きたのだろう。

 人の繋がりって本当に凄い。


「ふむ、しかし、この地を救ったはエルフのみではなく、その友人もであろう? それはどうしたのじゃ?」

「ああ、それは……。ご友人のお弟子さんが、大怪我をして冒険者を引退することになって物凄く荒んでいたのを、引き取って庭師に転向させた……と、ロッテンマイヤーから聞きました」


 ロッテンマイヤーさんのお話だと、ソーニャさんのご友人さんと祖母は文通していて、何かの折りにお弟子さんの話になったそうで。

 ご友人さんの手紙には、お弟子さんがどこかの辺境で怪我をして、もう冒険者としてはやっていけないからと荒れているらしいとあったから、その地まで行ってお弟子さんを説得して菊乃井に連れて帰ってきたそうだ。

 これ、もしかしなくても源三さんのことだよね。

 言葉は悪いけどロッテンマイヤーさんのことを上手く使えば、その当時もう英雄だったロマノフ先生はきっと祖母の後ろ楯になってくれたろう。

 それをしなかったのは、祖母の中でロッテンマイヤーさんを引き取ったことは、本当になんの恩返しにもならない事柄で、寧ろ自分の頼れる右腕を手に入れてお釣りをもらった感覚だったから。

 私と祖母は考え方や性格が似てるらしいから、これは間違ってないだろう。

 源三さんはロマノフ先生と面識は無かったし、ロッテンマイヤーさんも敢えて自分の話をするタイプじゃないもん。

 祖母は菊乃井のことは菊乃井の中で、つまり自分と自分に賛同してくれる人達の力で何とかしたかったに違いない。

 私もそうだけど、祖母も妙なところで意地っ張りだったのだ。

 だから人材を育て、自分の次、正確には次の次に当たる私に託したかったんだろうけども、それを破綻させたのが私の性根の悪さと、両親の予想外の駄目っぷりだった……と。

 いや、まだだ。

 私はすんでの所で踏み止まれた。

 なら菊乃井だって。

 ぐっと手を握ると、「ひよこ、兄の頬を摘まんでやれ」と姫君様の声がぼんやりと聞こえて、むきゅっと軽く頬を摘ままれる。

 はっとすると、レグルスくんが困った顔で私の頬を摘まんでいた。


「そなた、学問を敷くのは人間は元々本能が先んじる生き物じゃが、それを学ぶことで性根の良い者に育てるためであろうが。そなたは親から最低限の教えも与えられなかったのじゃろ? 性根が悪くて当然ではないか。それを恥じるより、これから何を学び、どの様にそれを活かし、何をなすかではないのかえ?」


 そうだった。

 今しなくちゃいけないのは、過去を振り返って歯ぎしりすることじゃなく、見えている未来を何とかすることだ。

 短く「はい」と答えると、姫君はにっと口の端を上げられる。

 そしてレグルスくんと手を繋いでいる反対側を、団扇で指した。

 そっちの手には、大人しく控えているケルピーの手綱が握られている。

 その姿は最初にポニ子さんの厩舎に現れた時の、ばん馬のような姿で。


「……堂々としたものじゃな」

「はい。昨日、最終確認のため走っている姿を見ましたが、見事な駿馬と確信しております。名前もお付けいただければ」

「うむ。馬具の方も、昨夜氷輪がそなたから預かった敷物と飾りをイゴールに渡しておる故、今頃仕上がって艶陽の元に届いておろう」

「ありがとう存じます」

「ありがとーぞんじます」


 レグルスくんと二人でお辞儀すると、ケルピーにも何の話をしているのか解ったのか小さく鳴いて、頭を下げた。

 今着けている手綱はヨーゼフのお手製で、天上に行けばイゴール様が作った物と取り替えられる。

 けれどイゴール様の手綱に付く飾りにも敷物にも、ポニ子さんとグラニの毛が少しずつ混じっているから、ケルピーは一人じゃない。家族と一緒だ。

 持っていた手綱を姫君に差し出すと、手のひらから姫君の方へと持ち手が飛んでいく。

 ヒラヒラとゆっくりと姫君の差し出した団扇の上に着地すると、それに引かれてトコトコとケルピーが姫君の御前へと歩み出た。

 そして恭順の意を示すように恭しく頭を下げる。


「では、預かるぞ」

「はい。万事姫君様にお任せ致します」

「うむ、悪いようにはせぬ」


 姫君の唇が「ではの」と刻むのに、少し遅れて馬が嘶く。

 そして姫君から発せられた光がケルピーも包むと、一瞬目も眩むほど輝いて、後には姫君を慕う季節外れの花が揺れるだけだった。

 後はケルピーを信じよう。

 彼が天に行くまでの毎日、微々たる物にしかならないだろうけど、ござる丸の葉っぱに普通の二倍くらいの魔力を込めて育てたのを食べさせておいた。

 艶陽公主様の怒りに触れても、耐えて即死でなくば姫君が癒してくれるだろう。素早ければ雷も避けうるかもだし。

 イゴール様にお渡しした敷物や飾りにも、これでもかってくらい防御力や素早さを底上げする付与魔術を付けてる。

 普段なら賑やかにお話しながら歩くレグルスくんも、今日は言葉少なに固く繋いでいる手を握り返して歩くだけ。

 玄関まで辿り着いて開けた扉の向こうには、ロッテンマイヤーさんと宇都宮さんが待っていた。

 普段通り迎え入れられると、お客様が来ているからか、手を洗うとリビングへ。

 客間の扉を開けて中に入ると、三人がけのソファにソーニャさんが一人で座り、向かい合うもう一つの三人がけのソファにロマノフ先生を真ん中に挟んで左にヴィクトルさん、右にラーラさんで座っているのが見えた。

 何だか心なし、三人がそわそわしているような気がしないでもない。

 リビングに入ってきた私とレグルスくんに気がついたのか、ソーニャさんがニコニコと手招きする。

 人見知りがおさまったレグルスくんが、ぴよぴよとソーニャさんに近付くので、私も歩いて行くと、先生方三人があわあわとした様子を見せた。


「もー、あっちゃん、れーちゃん聞いてー? このどら息子たち、折角来たのにもう帰れって言うのよ!」

「え? なんでですか!?」


 驚いて先生方を見ると、凄く顔がひきつっている。

 なんでだろ?

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