第171話 瀬戸際の花婿(馬)
「ふむ、つまりケルピーを捕まえたことには捕まえたが、騎乗に適さぬ気性のように思う……とな?」
「はい。人間やエルフに囲まれただけで気絶しますし。そもそも群れから追い出されたのも、その気性の弱さからだというものですから」
「なんとのう……」
一夜明けてというのか、地続きの朝というのか、あれからほっとしたせいか、直ぐに眠くなって寝ちゃったんだけど、起きて厩舎に行ってみれば「お世話になります」とばかりに、ケルピーがポニ子さんと子馬と並んでいた。
だから朝の姫君へのご挨拶と歌の練習に合わせて、ありのままをご報告。
すると姫君は持っていた薄絹の団扇をひらひらと振る。
「しかしケルピー一の俊足なのであろう? であれば、艶陽も諦めぬと思うが……。あれも気性が荒い故、己の騎馬に臆病を許すかどうかと思うと、連れて帰るのも無慈悲な気がするしのう」
「それはどういう……?」
付いてきていたレグルスくんと二人で首を捻ると、姫君は眉間にしわを寄せる。
姫君はそういう仕草も綺麗で素敵。
ぽえっとしていると、姫君が咳払いを一つ。
「神の怒りというのはの、意図しなくても悲劇しか招かぬものよ。たとえば艶陽のもとにその気弱なケルピーを連れていくとするじゃろ? 騎馬に適さぬ臆病さに、艶陽がそのケルピーに怒気を発したとする。その怒気が稲妻に変じ、ケルピーを打つ。神の怒りから発した稲妻じゃ、並みの威力ではない。ケルピーなぞ粉々よ」
「「ひぇ!?」」
恐ろしい姫君の言葉に、しがみついてきたレグルスくんをぎゅっと抱き締める。
こりゃいかん。
単に動物が死ぬのも可哀想なのに、ポニ子さんの夫(仮免中)が死ぬなんて、そんなの駄目だ。
何か打開策を考えないと。
こちらの顔色が変わったのを見て姫君も頷く。
そしてふと何かに気付かれたのか、ぽんっとほっそりした手を打たれた。
「子馬の方はどうなのじゃ? 子馬はそなたらのポニーの血を継いで賢そうではないか?」
「でも生まれたてですし、あの子を連れていかれちゃうとレグルスくんの騎馬がいなくなっちゃうので……」
「妾がひよこには代わりの馬を用立ててやろう。それではいかんのかや?」
その方が四方八方丸く納まるかしら。
そう考えて昨日からの子馬の様子を姫君に伝えると、姫君は天を仰いだ。
「ひめさま、どうしたの?」
「解んない……」
暫く二人で姫君の様子を伺っていると、姫君が長く大きなため息を吐かれ、そして首を横に振られた。
「万事休すじゃな。子馬は天上には連れて行けぬ」
「へ?」
「ケルピーはの、気位が高い変わりに情が深い上に義理も欠かさぬ。奴等は一度服従したものにはとことん尽くす生き物よ。主と定めた者が出来た以上、それから無理に引き離せば自死も厭わぬ。その子馬はひよこに服従したのじゃろ? 無理に天上に連れていけば死ぬかもしれぬ。解っていてそうするほど、妾は非道ではないぞ」
「あちゃあ……それは存じませんでした。申し訳ございません」
「いや、ケルピーの生態なぞほとんど解っておらぬでの。そなたらの教師連中が知らぬでも仕方のないことじゃ」
姫君は鷹揚に団扇を翻しながら仰る。しかし、その眉間にはやっぱりくっきりシワが寄っていた。
うーむ、これは本当にどうしたもんだろう?
考え込む私と姫君の間で、レグルスくんがソワソワと視線を行ったり来たりさせる。
そう言えばレグルスくんを初めてポニ子さんに会わせた時も、こんな感じでソワソワしてたっけ。
去年の夏、買われてきた時にはガリガリだったポニ子さんも、その頃には乗馬出来るくらいに身体も整えられていたし、調教もきちんと施されていた。
ヨーゼフに手綱を取ってもらっておっかなびっくり乗ってたレグルスくんに、ヨーゼフは「ポニ子さんを信じて欲しい」って言ってたっけ。
乗る人間の恐怖は、背中を伝って馬に伝わる。だからポニ子さんを信じて怖がらずにいて欲しい。怖いのは人間のような得体の知れない生き物を背中に乗せるポニ子さんも同じだけど、ポニ子さんには優しい人間もいるから、人間を信じるようにと教えてるからって。
去年の夏の鮮やかな思い出の中の出来事が一気に蘇ってきて、その中に打開策になるかも知れない言葉があった。
これなら、或いは。
決めると、私は姫君に跪く。
「恐れながら姫君様、ケルピーに我が家で調教を施したいと思います。ですので今暫く、あれを天上に召すご猶予をいただけませんか?」
「ふむ、調教とな……」
「はい。うちの馬丁は以前、乗馬の際は馬を信じて欲しいと言っていました。馬にとって人間は得体の知れない生き物で、それを背に乗せるなんて馬にはとても怖いこと。でも馬には優しい人間もいて、それを信じるように教えてるから、怖さを乗り越えて乗せてくれるのだから、人間も馬を信じるように、と。ケルピーも同じだと思うのです」
「……続けよ」
「敬愛と敬意とで背に乗る方への信頼感を持たせることで、ケルピーから怖れを取り去ってやれば良い騎馬になると思うのです。なので、その調教を当家で行います」
「調教への対価は?」
「艶陽公主様がケルピーにお乗りにならぬ間は、当家にケルピーを置いていただければ。世話も勿論致します。ケルピーが家族と過ごせるよう取り計らっていただければ、ケルピーの方もやる気がおきましょう」
「伏してお願いいたします」と膝を着いて頭をさげると、となりで「おねがいいたします!」と、元気な声とともに勢い良くレグルスくんが腰を折った気配がした。
僅かな衣擦れと風の吹く音だけが、しんと耳に響く。
ややあって「面をあげよ」と姫君に言われて、頭を上げると、艶やかな唇が優美に三日月を形作った。
「今、天上の艶陽に話は通した。しかと騎馬として調教致すように。期限は妾が地上を去る前日まで。その時に一度天上に連れ帰り、結果は次の日、そなた達との今年最後の対面の折りに言い渡す。それでよいな?」
今は秋の中旬、いや、終わりに近い。
冬までには後──。
残された日数では厳しいかもしれないが、それに間に合わなければ最悪ポニ子の夫(仮免)が死んでしまう。
重々しく「御意」と頷けば、姫君はその妖艶な唇を綻ばせた。
「まあ、の。妾も色々と考えてやるゆえ、先ずは力を尽くすがよい」
「はい、全力で取り組みます」
「うむ」
「れーも! れーもおてつだいします!」
「そうじゃの。兄を助けて励むのじゃぞ」
「はい!」
元気なお返事のレグルスくんに、ちょっとほっこりする。
それでこの話はとりあえず終り。
いつもと同じく歌を歌って、お屋敷に帰ると、玄関ポーチには先生方三人とロッテンマイヤーさん、宇都宮さん、それから奏くんとヨーゼフが待っていた。
だから姫君とのお約束を話す。
「ヨーゼフ、貴方にとても重い責任を背負わせることになってしまいました。申し訳ありません。でも、私が考えうる最良の一手だとも思います」
「わ、わ、わわ若様……」
「いじめられて怯えていたポニ子さんが、また人間を信じられる様に接し続けた貴方なら出来ると思うんです。だからお願いします」
そう言って頭を下げようとすると、それより早くヨーゼフが頭を勢い良く下げた。
「ありがとうございます! オラ、必ずやご期待に応えて見せますだ!」
ヨーゼフに頭を上げさせると、その眼には強い意志の光が宿っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます