第163話 真実はラノベ風に奇なり

 ヤバい、変な汗がどっと出てきた。

 喉はからからに干上がって、上手く声が出せそうもない。

 まるで耳の上に心臓が出来たみたいに、鼓動が目茶苦茶うるさい。

 でも、こうしてたって埒が明かないわけで。


「あ、あの、違ったら笑ってくれて構わないんですけど、もしかして、ユウリさんて……別の世界から来たとかそんな……?」


 乾いた声が喉から上がる。

 しかし、いつまで経ってもユウリさんは笑わない。それどころか、長い睫毛に縁取られた目を伏せる。


「最初は頭がおかしくなったのかと思った。次にタイムスリップを疑った。でも俺がいた世界では、エルフもドワーフも、獣人だっておとぎ話の住人だ。いっそ気が狂ったんだって言われた方がまだ納得できる。こんなこと、笑えない……」


 唇を震わせて、苦痛に耐えるようにユウリさんが呻く。

 美しく整えられた長い髪をぐしゃぐしゃに掻き乱すその姿に、ミケルセンさんがベッドから立ち上がってすかさずユウリさんを支えて、ベッドへと座らせた。

 なんて無神経な言い方をしてしまったんだろう。

 彼の置かれた状況を、冗談を言うみたいに口にしてしまった。

 座るユウリさんの傍によって、視線を合わせて彼の手を取る。


「申し訳ありません。貴方には決して冗談では済まされないことでしたのに……」


 そう言って手を握れば、潤んだ目がこちらを写す。

 そんな状況でもないのに、大きくてけれど妖艶な黒曜石みたいな瞳の輝きにドキッとする。

 すると、彼の白い手が私の手を握った。


「……いや、俺も、こんな状況の奴が目の前にいたら、冗談だと思う。それが普通だろう?」

「それは……」


 確かに「違う世界から来た」なんて、普通は思わないもんじゃないだろうか。

 転生だって大概だ。

 「なのに……」と呻くユウリさんの肩を、ミケルセンさんが強く抱き寄せる。その感触にユウリさんが顔をあげて、ミケルセンさんを見る。

 あ、これ、邪魔しちゃいけない、馬に蹴られるヤツでは?

 そう思ってユウリさんの手を離そうとすると、空いてる片手でビシッとミケルセンさんを指差した。


「なのにエリックと来たら『ああ、界渡りかぁ。よく聞く話だねぇ』とか、のんびり言うんだ……! よくある話ってどういうこと!? そんなにポンポンこの世界には人が落ちてくんの!?」

「……へ?」

「落とし穴でも空いてるのか!? 何でだよ!?」

「ええーっ!?」


 ちょっと、何言ってるのか解らない。

 「よく聞く話」ってなんなの!?

 驚いてミケルセンさんを見ると「ごめんね?」なんて、苦笑しながらポリポリと頬を掻いている。

 なんだ、この反応!

 しかし、そんな「よくある話だよねー」的な反応をしているのは、ミケルセンさんだけでなく。

 部屋を見回せば、皆、私以外「ああ、あるよねー」みたいな顔をしているんだけど!


「どういうことなの!?」


 叫べば、ヴィクトルさんが逆に驚いた顔をした。


「どういうことって、ルマーニュでしょ? よくある話じゃない。五十年に一回くらいある話だよね」

「そうだよ。別に驚くようなことじゃないかな」

「ミケルセンの家の近くの森は、特によく聞きますな」


 ヴィクトルさんの言葉にラーラさんもルイさんも同意っていうか、ルイさん、今さらっと凄いこと言った!

 混乱する私を他所に、ポンッとロッテンマイヤーさんが手を打つ。


「若様、もしや『渡り人』の話をご存知ないのでしょうか?」

「へ? 『渡り人』?」

「はい。異世界の話を神様からお聞きだと伺っておりましたから……。これはうっかりしてございましたね」


 謎の単語が出てきて、首を捻ると、ロッテンマイヤーさんとロマノフ先生が顔を見合わせる。

 そして、ラーラさんやヴィクトルさんと視線で会話したロマノフ先生が口を開いた


「なるほど、本当にうっかりしていましたね。私達のうち、誰も話していなかったとは……」

「な、なにを、ですか?」


 ドキッとしてどもっちゃった。

 だけど、それは驚きのせいだと思われたようで、ラーラさんが理由を語る。


「ルマーニュ王国、特に王都の外れの森は、なんでかやたらと異世界の人が落ちてくるんだ」

「は……?」

「文字通り空から落ちてくる時もあれば、いきなり道端に転移魔術でも使ったみたいに現れたりするんだ。理由は色んな人が研究してるけど、今のところ有力なのは、大昔にルマーニュ王国辺りにあった国が開発した禁呪の影響じゃないかって説だね」

「禁呪……って、どんなのです?」


 息を飲んで訊ねると、ヴィクトルさんが肩を竦める。


「それがねぇ、時空に大穴開けるような魔術だろうとしか。なにせ、その頃の話なんか、僕らの祖父母でもあやふやだから」


 古代、今のルマーニュ王国の辺りには魔術を重んじる魔術都市なるものがあったそうで、その国では色々な魔術が研究開発されたそうだ。

 転移魔術やマジックバッグの魔術なんかはその頃のに作られたらしいけど、他にも中々怪しいのもあったそうで、代表的なのが不老不死や死者蘇生だったとか。

 それで、その古代魔術国家は色々やりすぎて神様に滅ぼされたらしいけど、その原因の一端に「渡り人」が発生する元になった禁呪があるのではないか……ってことらしい。

 恐らく、傲り高ぶった魔術国家の王が神界へと攻め込むために作った魔術が、時空に大穴を開けるような物で、実験は失敗して神界ではなく異世界と繋がる道を作ってしまったのではないか、と。


「なんてはた迷惑な……」

「だろっ!?」


 思わず漏れた呟きに、ユウリさんが強く同意する。

 こっちの大昔の王様のやらかしたことが原因なんて、はた迷惑極まりないじゃないか。

 先生方やルイさん、ロッテンマイヤーさんが補足してくれるには、一人二人とかじゃなく集団で落ちてくることもあったりするそうで、そういう人達を「世界を渡った人」という意味で「渡り人」と呼ぶんだとか。

 しかも今に始まったことでもないから、その被害者はかなりの人数に達するそうだ。


「でもさ、はた迷惑っていうけど、あーたんが食べてるお米もお味噌もお醤油もプリンやケーキみたいなお菓子も、みーんな、その渡り人達がもたらしてくれたもんなんだよ?」

「へ!?」

「渡り人がどうしても祖国の味が恋しくて、頑張って頑張ってどうにか作ったのがお味噌やらお醤油やらお菓子やら。稲作を広めたのも、お米がなんとしても食べたかったからだって」

「冷蔵庫や洗濯機、下水処理の仕組み、治水や井戸堀なんかもそうだよ」


 ひょええ、ラノベも真っ青な展開だ。

 つまりアレだ。

 渡り人は、こちらにない文明を沢山もたらしてくる存在なのだ。


「だから渡り人は見つかり次第、どこの国でも手厚く保護することになっています。なにせ、落ちることはあっても帰ることは出来ない仕組みなようで……」


 それってこの世界の文化の発展の裏で、訳の解らないままこちらの世界に連れてこられた人の人生が犠牲になってるってことじゃないか。

 さっと血の気が引いて、ぐらりと足元が揺れる。

 酷いという言葉が喉元までせりあがって来たけれど、慌てて飲み込む。

 それはこの世界の文明の利益を受けてる人間が言って良いことじゃない。

 心が受けた衝撃が、一気に膝に来て、ガクガクと笑う。

 どうしよう。

 どうしよう。

 そればかりかが頭にちらついて、膝が崩れそうになるのを、にゅっと伸びてきた手が止める。

 それはロマノフ先生の手だった。


「大丈夫ですか? こんな風に言うべきことではありませんでしたね」

「いいえ……いずれ解ることですし……」

「姫君様が一年ほど前に仰った言葉が今更響きますね。大人より賢いのと、大人であるということは違う。けだし名言です」


 真っ青で酷い顔をした私が、ロマノフ先生の目に写る。

 そっと頭を撫でる手は三つ、ロマノフ先生とラーラさんとヴィクトルさん。

 それからそっと柔らかく手を握ってくれるのは、ロッテンマイヤーさんだ。

 どくどくと音を立てる心臓が、四つの暖かさで少しずつ静かになっていくのを感じていると、ユウリさんが綺麗な顔を不機嫌に歪めていた。


「その子が賢くて優しい子だってことをこっちに解らせたいからだとしても、そんな感受性の強そうな子にショックを与えるような言い方をワザとするのはどうかと思うぞ。可哀想に、真っ青じゃないか」


 ムスッとした表情はそのままに、だけど私に語りかけるユウリさんの声音はとても優しくなった。


「その……渡り人ってのは確かに来たら帰れないみたいだ。だけど、来る前のシチュエーションを考えるに、転移してなきゃ死んでるかもしれない状況が多いらしい」

「……え?」

「エリックと色々調べたけど、俺より前にこっちに来た渡り人の残した話だと、こっちの世界にくる直前に船が嵐で転覆して海に投げ出されたり、飛行機が山に突っ込むとこだったり……、兎に角そんな死に瀕した人間がこっちに引っ張られやすいみたいだな」


 つまりそれは、元の世界では彼らは死んでしまった可能性があるということなんじゃ……。

 浮かんだその考えにゾッとして背中を震わせると、背を柔くロッテンマイヤーさんが撫でてくれた。


「因みに俺は歩道橋……道を渡るためにかける橋みたいなもん。それの階段を踏み外したのは覚えてる。あのままなら多分激しく頭を打ってる」

「なんてこと……!」

「後頭部をもろに強打するような落ち方だったからな。死んでなくとも、後遺症で寝たきりだったかもしれん」


 「それを思えば生きてるだけで儲けもんだ」と続けるユウリさんは、その言葉を自分に言い聞かせてるように見えた。

 死んでた命を拾った上に、こちらの事情を察してくれる人に拾われて、更にその人が頭も良ければ性格も良いなんて、奇跡的な状況だったのだ、と。

 なお、ミケルセンさんがユウリさんを保護したのは、丁度役所への出勤前。

 混乱するユウリさんを連れて家に戻って魔術でちょっと眠らせて、その間に仕事に行ってルイさんにユウリさんを保護した旨を伝えたらしい。

 んん、待てよ?

 ロマノフ先生の説明によれば、渡り人は見つかれば国が手厚く保護してくれる筈だ。

 だけど、ユウリさんは刺客を放たれた。

 ミケルセンさんと一緒にいたとはいえ、国に利益をもたらしてくれる人を殺すなんてあるだろうか?

 引っ掛かりを覚えてルイさんを見ると「ご明察恐れ入ります」と、彼が頭を下げる。


「ユウリ殿が狙われたのは、彼が渡り人だというのを我ら以外誰も知らぬためでしょう」

「ユウリさんのことを国に報告しなかったのは、ルイさんが出奔し、ミケルセンさんが出奔するに至ったルマーニュ王国の現状の故ですか?」

「左様です。今のあの国で渡り人が見つかったとなると、どのような目に遭わされるか解ったものではありません。懐柔するのに贅沢な暮らしをさせるならばまだしも、情報や技術をただ搾取するために人道から外れた行いをするやもしれない。そう思えば……」

「そりゃ隠すように指示しますね」


 私でもそんなの通報しないな。

 納得すると、ルイさんもミケルセンさんもほっとしたような顔をする。

 それからミケルセンさんの話によると、彼はルイさんの助言通り、ユウリさんに渡り人の話と、ルマーニュ王国の現状を、何度も繰り返し伝えて、彼を匿ったそうで、それはルイさんが出奔した後も続いた。

 そもそも仕事一辺倒で親しい友人もさしていなかったミケルセンさんだから、他人にユウリさんの存在を隠すのはそんなに難しくはなかったそうだ。

 それなのに、何故ユウリさんの存在が公爵夫人にバレたのか。


「恥ずかしながら、それは私の責任でして……」

「いや、俺も浮かれてたから……」


 気まずそうにする二人に、ルイさんがどういうことか尋ねると、ポリポリと頬を掻きながらミケルセンさんが「自分で言うのもなんですが」と口を開いた。


「私は無趣味で仕事と家を往復するだけの、無味乾燥な人生を送って来ました。しかしユウリを保護して以来、私の人生と世界は変わり、とても色鮮やかで美しくなりました」


 おう、惚気ていらっしゃる。

 これはあれだ、馬に本格的に蹴られるヤツだ。

 誰もがそう感じたんだろう。ユウリさんが見つかった理由はお察しって感じだったのでミケルセンさんを止めようとした。

 しかし。


「誤解を生むような言い方して……。エリックが俺の職業がイマイチ理解できないって言うから、一人芝居してみせたり、朗読劇やったり、簡単なダンスを見せてたら、エリックがドハマりしちゃって。俺を連れて近くの劇場に通い始めたんた。それを見られたのが原因だと思う」

「ああ、うん。簡単に言えばそうです」


 腕組みしながら顔をしかめていうユウリさんに、へらっとミケルセンさんが笑う。

 予想外の言葉に、全員が鳩が豆鉄砲食らったような顔をすると、ユウリさんが肩を竦めた。


「俺は舞台の演出家なんだけど、そもそも舞台俳優だったんだよ。もともと演出に興味あったし、身体を壊して上手く踊れなくなったのを期に転向したんだ」

「ぶ、舞台の演出家!?」

「そ。それを説明しても、エリックはそもそも芝居も舞台も観たことがないって言うから。芝居の面白さなんてのは説明されるより、観た方が早い。だから即興で、まあ、色々?」


 最初はエリックさん宅にあったおとぎ話を一人芝居的に朗読したそうだ。

 そしたらなんと、それに感動したエリックさんが、「もっと色々知りたい!」と言い出して、ユウリさんは望まれるままに、それはもう色々演じて見せたらしい。

 そして気がつけば、エリックさんは見事に舞台沼にドボンしてたそう。


「俺を連れて近所の芝居小屋に通い始めた辺りで、ヤバいなぁとは思ったんだよ。だけど俺も好きで舞台に関わりを持つようになった人間だし、こっちの芝居にも興味があったし……」

「いやぁ、芝居があんなに素晴らしいものだとは思ってもみませんで。仕事だけに今まで自分の時間を費やして来たのが、悔やまれました……。あ、でも、俳優さんはユウリが一番だと!」

「俺は演出家が本業だってば」


 つまり、ミケルセンさんは芝居沼にハマり、ついでに俳優のユウリさん沼にもドハマりしたファンと言うヤツで、ユウリさんはミケルセンさんにとって推しも推しということか。

 あ、待てよ?

 ミケルセンさんからは同志の匂いがプンプンする。

 こういうタイプは、推しに貢ぐことを躊躇わない。

 いくらでも貢ぐ。

 しかし、それをするには経済力がいる。

 経済力を担保するのは、仕事。

 仕事を頑張れば、推しに貢げる。

 そうなると、沼にハマった人間なんて皆同じだ。

 そして、ルイさんが去った後、目立たないようにしていたミケルセンさんが、それなのに反ルイさん側の人間に看過出来ないほどの存在になってしまったというのは、もしかして。


「もしかして、ミケルセンさん」

「はい?」

「仕事、頑張りましたね?」

「あー……そのー……」


 気まずそうにユウリさんが視線を明後日の方に飛ばす。

 これは間違いない。

 沼の住人というのは、推しに貢ぐためならどんなに嫌でも働ける。

 じっとミケルセンさんを見ていると、当の本人がへらっと笑った。


「仕事が終われば芝居を観に行けるし、そのための費用になると思うと、仕事が捗って捗って……」

「それで目立ってしまったんですね……」

「そのようです」


 これだから沼の住人は!

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