第148話 踏み出さなければゴールもない

 深々とマリンスノーが降り積もる。

 白い白い世界に水の蒼が揺らめいて、この世の果ての景色ってこんなだろうかと思うほどの静けさ。

 沈黙が耳に痛くなって来た頃、ロスマリウス様がどかっと御者の席に腰を降ろした。


「辛気臭くなっちまったな、悪い」

「いえ」


 言葉もないんだけど、ずびっと洟を啜る宇都宮さんに、レグルスくんがハンカチを貸してあげてて、つまりは宇都宮さんの涙が私達の総意だ。


「おれも楽器とか出来たらよかったかな」

「私もだ。笛くらい習っておけば良かった」


 奏くんもネフェル嬢もしゅんとしてる。

 でもロスマリウス様は「気持ちだけで充分だ」と、もう豪快さを取り戻して「HAHAHA」と笑った。

 そして、ニッと今度は悪戯を見つかった子供みたいに、悪い顔をする。

 なんだろうな?

 「まあ、座れよ」と言われて、クアドリガの床に腰を下ろす。


「ところでよ、鳳蝶。お前、領地に学問を敷きたいらしいな?」

「え? ああ、はい。そうです」

「何故だ?」


 突然の問いかけに驚きつつ、もう何度も色んな人々に話してきたこと、芸術と学問や暮らしの関係性についてお話すると、顎を一撫でしてロスマリウス様は目を細める。

 そんなロスマリウス様と私の間を、ネフェル嬢の視線が行ったり来たり。

 右往左往する彼女の目線に興味を引かれたのか、レグルスくんがネフェル嬢に問いかけた。


「どうしたのぉ?」

「いや……なんだか……私より鳳蝶は小さいのに、色々考えているんだな……と」

「にぃにはぁ、しゅごいんだからー!」


 ぴこぴこと金の綿毛の様な髪の毛を揺らしながら胸を張るレグルスくんに、ネフェル嬢が神妙に頷く。

 もう、ひよこちゃんたら可愛いんだから!

 思わず緩んだ頬を、ロスマリウス様が長く節が逞しい指先でつつく。


「コイツは今ちょっと権力闘争とか色んな事情を抱えた特殊例だから、気にすんな。お前も歳の割には魔術が使える類いだ、自信を持つといい」


 うん、そう。

 私はちょっとズルしてるから、比べちゃ駄目だ。

 頷くと、今度は頬をロスマリウス様の指が摘まむ。


「最初はそれが上げ底になったかも知れんが、その後の努力は間違いなくお前自身の力だ。その辺りを卑下するのは、自戒とは違うぞ」


 ムニムニと頬を揉まれて、言葉も出ない。

 というか、神様皆様、こちらの心の中なんか駄々漏れなんですね。

 ぶにぶにと一頻り揉んで気が済まれたのか、頬から手を離すとロスマリウス様は「しかし」と、難しい顔をされた。


「それだけじゃねぇんだろ?」

「う、まあ、はい。それだけではないです」


 でも何故それを気にされるんだろう。

 心の内にある疑問を読まれたのか、ロスマリウス様は「ふん」と鼻を鳴らされた。


「お前な、俺は海神わだつみでもあるが、魔術と学問の神でもあるんだ。魔術と学問を志す者は、大概俺を信心するんだよ。それは俺の力を増すことにも繋がる」

「あー……」

「お前、さては俺が魔術と学問の神でもあるの忘れてたな?」


 全くその通りです、申し訳ありませんでしたー!

 青ざめると、呆れたような顔をしたロスマリウス様の手で、髪の毛をグシャグシャに混ぜ返される。


「百華の言う通り、妙なとろこで抜けてやがるなぁ。まあ、いいさ。変に媚びられるよりましだ」

「本当に、申し訳ありませんでした!」

「おう、詫びは受け取ったからもう良いぞ」


 鷹揚に手を振られるロスマリウス様にほっとする。

 私、本当にこういうとこ命取りだよね。気を付けよう。

 うーむ、帰ったらロマノフ先生に、神話の話とか教えてもらおうかな。


「失敗から学ぶのは良いことだ。師によく教えを請うといい」

「はい」

「で、だな。学問を敷きたい目的は結局なんなんだ?」

「それは……」


 口を開こうとした矢先、元気よく「はーい!」と奏くんとレグルスくんが手をあげた。


「おう、ちびども。なんで勉強した方がいいと思う?」

「あのねー、だれかをしらずにかなしませたりしないためだよー……です!」

「相手と意見がちがっても、それかどうしてか考えればわかり合えるかもだし。そのためには相手のことを知らなきゃいけないし、こっちのことを相手に説明できる力が必要だけど、それは勉強しないと身に付かない力だからだ!」


 争いは知識不足と不理解から起こる。

 それを二人なりに解釈すると、そういうことになるんだろうか。

 奏くんとレグルスくんの答えをロスマリウス様は興味深そうな顔で聞きつつ、私に視線を向ける。


「争いは知識不足と不理解から起こります。そして大概の争いは、知識を得て、その知識を基にお互いの事情を語り合い、妥協点を探せば往々にして解決するものでもあります。勿論、そうでないことも沢山ありますが」

「そうさな。武器を握る前にやれることは沢山ある。しかし、それだけでは片付かないから、戦なんてものがあるんだが」

「はい。しかし、歴史を学んだり相手の事情を知識として得ることで、戦以外の選択肢を増やすことも可能かと」


 知識や情報が少ないと、視野が狭まる。視野が狭まると、選択肢が必然的に少なくなり、それ以外の手段は無いものだと思い込んでしまいがちで、極端から極端に走ってしまうことになりかねない。

 つまり外交で話し合いを重ねて折り合いを付けられず、戦争という極端な手段に出るというようなことが起こる。

 それは誰にも不幸しか呼ばない。

 その不幸を回避する手段こそが、知識を得て相手を理解しようと勤めることなのだ。

 国とかいう大きなことじゃなく、個人レベルでもしないで済む喧嘩は、しないに越したことはない。

 話し合って解り合えなかったとしても、解り合えないことが解るんだから、喧嘩するような接触を減らすことも可能だ。

 私の解答を聞くロスマリウス様の表情は、なんだか試験の結果を見ているロマノフ先生のそれに似ている。

 ロスマリウス様がフッと吐息で笑った。


「知の力で争いを無くすなど、神なる俺にも出来んことを、ちっぽけな人の身で挑むか。まあ、いいんじゃねぇの? やってみな、骨は拾ってやるからよ」

「いや、無くすまではやっぱり無理かと」

「おいおい、志はでかく持てよ! ちっさく纏まんな。モテねぇぞ!」


 モテるのは別にいいかなぁ。

 あ、荷物は沢山持てるようになりたいかもしれない。帰ったら筋トレしよ。

 兎も角、ロスマリウス様からは「やってみろ」というお言葉をいただいた訳だし、色々頑張ってみようか。

 帰ったらやること沢山出来ちゃったな。

 そんな風にちょっとぼーっとしてたら、急にネフェル嬢に両手を掴まれた。


「鳳蝶は一体何と戦ってるんだ? どうしたらそうなる?」

「いや、戦ってる訳ではないような?」

「ロスマリウス様はお前は権力闘争の真っ最中だと……」

「ああ……。強いていうなら両親ですよ。あの浪費癖の酷いのを隠居なりなんなりさせて、領主の座から蹴落とさないと、うちが破産する」


 うちの領地の現状を話すと、ネフェル嬢が絶句した。

 「そんな領主がいるのか……」と呻くように呟くのを聞く限り、彼女の周りはきちんと責任ある行動をとる大人が多いのだろう。

 手本になる誰かがいるのは良いことだけど、それならなんで彼女は目を隠していたのか。

 もしや私よりネフェル嬢のが、知識不足と不理解をどうにかする必要があるんでは?

 そう口にすると、ネフェル嬢が口を閉ざした。


「いや、だって、あなたを苦しめている金銀妖瞳が不吉だって言い伝えも知識不足からくる偏見には違いないでしょ。それを駆逐するには何故そんな言い伝えが出来たか調査して、言い伝えが根拠に乏しくて意味のないものだって周知してもらわなきゃいけないんだから」

「そうか……!」

「あとね、あなたが目を隠していたのは、あなたの目を指差して『不吉』だって言う人があったからでしょう? それも身内じゃなくて、外の人だ。違います?」

「いや、違わない……。私がこんなだから、両親が悪く言われないように目を隠して争いを避けてただけで、両親は隠さなくて良いって言ってくれていた」

「でしょうね。でもあなたにそういうことを言う人は、あなたが金銀妖瞳じゃなくても何かしら粗を探しては色々言うもんです。取り合わなくていい。だけど、そもあなたを指差す行為も、不理解のなせるわざだ」


 不理解とは、無理解の上に、更に理解しようとする姿勢すら持たない、或いは持てないことを指すと私は思っている。

 金銀妖瞳を持つことがどういうことか理解がないのが無理解で、金銀妖瞳を持った彼女が「不吉だ」と指差されてどんな気持ちになるのか想像すらしないのが不理解だ。

 翻って、自分が生まれつきのことでどうにもならないことに指を指されたならどんな気持ちになるかを想像できる人間は、ネフェル嬢を指差すことなどしない。

 そんな話を黙って聞いていたかと思うと、ネフェル嬢はぎゅっと私の手を握る力を強めた。


「そうか……。私の敵は知識不足と不理解だったのか……」

「いや、まあ、知識不足と不理解は敵というより、解消していく問題とか、そんな方向がいいんじゃないですかね」


 それに知らなくて良いことってのが、世間には時として存在する。

 知るべきこと、知らなくて良いこと、教えたらまずいこと、それぞれを判断できるようになることが、大人になるってことかもしれない。

 

「ともあれ、誰もが学問を気楽に受けられるようにならなければ、知識不足の解消は無理だし、学問することで学ぶ姿勢を身につけて不理解も解消して欲しい。だから私は領地に学問を敷きたい。それが結論です」

「うん、まあ、いいんじゃねぇの? 行き詰まったら海に来いや。旨いもので相談に乗ってやるよ」


 サムズアップするロスマリウス様は、やっぱり学問と魔術の神様ってよりは、どう見ても気っ風のいい海のヤンチャ青年に見えた。

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