第95話 有言実行の男
こちらでは四の月の
「施行されましたね」
「はい。これで少し、職人の立場が変われば良いのですが……」
「今までと比べれば格段に変わるでしょうが、貴族たちの意識ががらっと変わるかと言えば難しいでしょうね」
「そうでしょうね。でも、先ずは一歩を踏み出さないと」
この日、朝から少しだけ菊乃井邸は雰囲気が冴えていた。
帝国全土に発布された職人の権利や特許を認める法律が、この日から正式に施行される。その特許一号に私のつまみ細工が認定されて、その技術の詳細が明かされるのだ。
それだけじゃない。
カレー粉の基礎調合レシピも開示される。その上でEffet《エフェ》・Papillon《パピヨン》のカレー粉には皇室御用達の看板が下賜されることに。
ただし公開するものは基礎の基礎で、Effet《エフェ》・Papillon《パピヨン》のカレー粉は料理長と一緒に改良に改良を重ねたものだから味は別物、一朝一夕に作り出せるものではないのが味噌だ。
それはつまみ細工にしてもそうなんだけど、商売をする上でそう言うブラックボックスを作っておくのは当たり前のこと。
私は何もかも横並びにするほど良い人じゃない。
法律が発布されてから、今日までの間に職人養成の目処もなんとか立っていた。
それはローランさんから紹介された孤児院なのだけれど、ある程度大きくなった子どもたちに作業の一端を担って貰って、仕上げは私やエリーゼが担当する。
対価は孤児院に支払われるのだけれど、読み書き計算の授業も仕事の一環として組み入れてみた。
パーツを数えるのも揃えるのも、管理するにも読み書き計算は必須だもの。
孤児院の方への監督には、なんとラーラさんが行ってくれている。
今、菊乃井にはロマノフ先生やヴィクトルさん、ラーラさんの帝国認定英雄が三人いるわけなんだけど、ヴィクトルさんは合唱団員育成を、ロマノフ先生は治安維持方面を、ラーラさんは人材育成を受け持ってくれてるんだよね。
だけど私は先生がたに何か報酬をお渡ししてる訳じゃない。それがちょっと心苦しいんだけど。
でもそれを言うと先生方は笑って「出世払いで良いですよ」っていうんだよね。
「先生、重ねて言いますが、私に用意できるものなんて限られてるでしょうけど、何か欲しいものがあったら気兼ねなく仰ってくださいね」
「ありがとうございます。でもねぇ、私もそうですがヴィーチャもラーラも長く生きてるので、そうそう欲しいものもないんですよね。だからお宿と食事があれば大概は事足りるんです」
「でも、先生方にはそれだけでは賄いきれない程のことをお手伝い頂いてますし……」
「それなんですけど、強いて言えばそれ自体が報酬でもあるんですよ。私達は長く生きる分退屈が苦手なんですよね。だから世界を旅して、一つ処には余り留まらない。けれど今の菊乃井は明らかに色々と怒濤のように変わって行こうとしている。その中にいるのはとても面白いんですよね」
うーむ、よく解らん。
よく解らんけど楽しいなら何よりだ。
ぽてぽてと菜園に続く庭の小道を揃って歩くと、畑には先に道具を持って行ったレグルスくんと奏くんと源三さんがいて。
朝の挨拶もそこそこに、奏くんが難しい顔をして口を開いた。
「あのさ、若様。ちょっと見てほしいことがあって」
「はい、なぁに?」
小首を傾げると、軽く頷いて奏くんが両手を畑の畝に向かって伸ばす。
するとぼこぼこと陥没するような、隆起するような、そんな音を立てて、畝の土が混ぜ繰り返されていく。
まるで透明な鍬を畝にいれて、畑を耕しているような光景にあんぐりと口が開いた。
「なに、これ!?」
「かなー!? これ、かながしたのぉ!?」
「おお……やりたいなと思ったら何か出来た!」
いや、解らん。
はわわとなってるのは私とレグルスくんだけでなく、源三さんも目をかっ開いてたし。
しかし、年の功ってやつかロマノフ先生はパチパチと拍手を奏くんに贈った。
「奏君、お見事。これは先週の授業で教えた、土を隆起させるのと陥没させる魔術の応用ですね」
「うん、そう! へこませて、もり上がらせて、へこませて……ってくり返したら、畑がたがやせるかなって思って」
思ったら出来ちゃうとか、なんなの!?
天才かな!?
あんぐりと口を開けている間に、全ての畝を魔術で耕した奏君は、それとは関係あるような無いような、一つ仮説を立てたと言う。
それは作物の出来の違いについて。
「去年、じいちゃんの畑とここで白菜を育てたろ?」
「ああ、なんか育ち方と味が違ったんだったかな」
「うん」
源三さんによると、源三さん宅で育てた白菜もこちらで育てた白菜も、もともと源三さんが育てた苗からだ。
でも、源三さん宅で育てた白菜とここで育てた白菜は、大きさも味も段違いでこちらで育てた白菜の方が良かったそうな。
肥料は源三さんが作ったものだから、両方同じ。
ならば土かと思って、この畑の土をプランターに詰めて自宅に持ち帰り、白菜を育ててみたけれど、それは源三さん宅で育てた白菜と同じ様な味と大きさになったそうだ。
日照条件もなるだけ同じになるように、場所やらなんやらにも気を使って育てたらしい。
「んで、育てたひとかなって思ったけど、じいちゃんも『緑の手』があるんだ」
「条件はほぼ同じなのに、やっぱり差異が出たんですね……」
「うん。それでおれは考えてみたんだけど、この家とじいちゃんの家でちがうのは、若さまの歌がきこえるかどうかじゃないかと思って」
なんと、この庭まで私の声は届いているらしい。
ぎょっとしていると、奏くんと源三さんが揃って首を振った。
「や、おれたちには聞こえない。でもエルフの耳には聞こえてるらしいよ」
「エルフ先生方のお耳に聴こえるなら、精霊が聴いとっても不思議はないですじゃ」
なんでそこで精霊が出てくるんだろう。
微妙な顔をしていると、ロマノフ先生がポンッと手を打った。
「ああ、なるほど。精霊の贈り物ですか」
「せーれーのおくりもの?」
こてんとレグルスくんが小首を傾げると、ロマノフ先生が穏やかに笑う。
ロマノフ先生の言うことには、精霊は美しいものが好きなのだとか。
「緑の手」や「青の手」の持ち主を好むのは、簡単に言えばそのスキルを持つ者から産み出されるものが美しいからだ。
そして美しいというのは何も目に見えることだけでなく、歌や音楽も含まれる。
「つまり鳳蝶君の歌を気に入った精霊が、その対価に鳳蝶君の庭で育つ植物を大きく美味しくなるように手助けしたということですね」
「なるほど」
「それでおれは思ったんだけど、精れいはまじゅつも好きなんだよな。だったらまじゅつでたがやした土も好きになってくれるんじゃないかなって」
魔術が行使される瞬間、魔力として還元される光も精霊は好むという。
魔術で土を耕すと言うのは、精霊が好きな光を土に散りばめることと同じ。
歌を聞かせた時と同じ対価をくれるかも……と言うのが奏くんの仮説だそうで。
「だめでもさ、まじゅつで土をたがやせられれば、今より畑しごとが楽になると思うんだ」
「ああ、それは確かに……」
「そしたらみんな、べんきょうしてまじゅつが使えるようになりたがると思うし」
「どう?」と鼻の下を擦りながら笑う奏くんの手を、思わずぎゅっと握りしめる。
「ありがとう、奏くん。色々一緒に考えてくれて」
「おれ、手伝うって言ったろ? おれは言ったことは、ちゃんとやるんだ!」
もう、どうしよう。
友達が男前で困っちゃう。
握った奏くんの手を、更に重ねて握ると、後ろからシャツの裾を引かれる。
するとレグルスくんがぎゅっとしがみついてきた。
「にぃに、れーもあれできたらしゅごい?」
「そりゃ、凄いよね」
「おお、ひよさまも出来ると思うぞ!」
「うん、がんばるー」
「えいえいおー!」と腕をあげるレグルスくん、超可愛いんだけど。
私の弟、超可愛いんだけど。
奏くんも爽やかに笑うと、レグルスくんのふわふわの前髪を撫でる。
暖かな日差しのなかの和やかな雰囲気を、しかし屋敷の方からリズミカルに走ってくる足音が引き裂く。
はっとして振り返ると、難しい顔をしたラーラさんが。
「まんまるちゃん、奴らの報告書が届いたよ!」
奴ら。
その言葉に、レグルスくんと奏くん以外の顔から笑顔が消えた。
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